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素人が自由に本を読んで物を書く

どうも私の中で読むと書くというのはセットでやらないと続かないようだ。以前は日記を書いていたので、読書も続いていた。日記を不定期にしてから読書がストップしてしまった。素人の会社員で、趣味のひとつが読書なので、何ら問題はないのだが、一度本を読んで真理とも言えるような核心を得たような心持ちを経験すると、依存症のように次から次へと本が読みたくなる。

ネットでとても興味深い方に出会った。私と同じ、素人の会社員が本を読んで、日記を書いて、そして出版までしているという。今まで私は、このnoteやTwitterに、私のような素人が禅やら仏教やら瞑想やら、ましてや人類学やらのことを、間違いだらけの素人目線で書き連ねていくことを躊躇していた。本を読んでその気になるけれど、所詮は素人だ、穴だらけの知識のつぎはぎで、何がわかったというのか?自分を恥じて、書くことにすら躊躇している自分がいた。

それでもその方のように堂々と素人と断りを入れながら著述していくことに深い感銘を受けた。そうだ私は素人だけれど、こうやって本を読んで、そのことによってインスパイアした何かを自由に著述して良いのだ!

やはり私にとって読むと書くはセットである。これからも素人宣言をしながら、自由に本を読んで、そして書いていきたい。

年末年始の長期休暇が迫ってきている。素人なので、本を読むのも遅いし、読了できるのかもわからない。そのような断りを入れつつ、今日は休暇のために本を仕入れてきた。私の読書の主戦場である、人文コーナーに張り付くこと1時間。今日の戦利品を買った理由も含めて書いていこうと思う。

まずはこの本、これはお目当ての中沢新一の最新の連載を読みたいだけに買った雑誌。私は以前から書いてある通り、自分の悩みとか宗教とかの問いにスケールのデカい本で解答を与えてくれた中沢新一を半ばストーカー的に信奉している。中沢新一が週刊現代で連載している『今日のミトロジー』も大好きで、新しい中沢新一の文章が出ると買ってしまう。

天才ライプニッツ、私は凡才なので何もわからないかもしれない。モナドロジーについて読んだけれど、何もわかっていないことがわかったくらいだ。それでもライプニッツについて気になる。同じく工作舎から出ている『ライプニッツの普遍計画』という本を以前に読んで挫折したけれど、付箋だらけだ。気になるライプニッツに触れたくて購入。私の読書の原動力である、自由を手に入れるための知識、リベラルアーツに、ライプニッツは必要だと直感的に思っている。

ダニエル・デネットの本を3冊。アメリカの哲学者でアツい人らしい。最近、Netflixのドキュメンタリーにハマっている。

私は21歳の時にメンタルをやられた。だから心の問題は読書の原動力になっている。河合隼雄は心の自由を追い求めた人だと勝手に思っていて、河合隼雄やユングに触れてから読書熱が加速した。心とは本来自由に変化していくものだと思っている。自由を題材にしたデネットの本と、アメリカという現在でもキリスト教的な進化論を否定する文化圏において、声高に宗教というものについて問い直すデネットの進化論をベースにした宗教論を読みたくなった。Netflixでアメリカ的こころの最新の特集を見て、アメリカ的な最新のAI論など、興味を持った。私の亡き母もアメリカ的キリスト教に入信していたので、それと対決するものに興味がありすぎる。

この本もその延長線上であるが、まさに脳は予測する。予測することによって、悩み、苦しむ。私は最近瞑想やら、仏教的なものを実践しているのだが、それは私の脳の予測のバグが大きいからだ。現実よりもリスクを過大に予測するバグについて、仏教的なアプローチとは別のアプローチで読んでみたい本、これがこの本である。脳は予測する、この事実に気づいた上で、予測のバグをなくしていくにはどうしたら良いか?私のこの命題に、答えを出してくれそうな気がしたこの本を読んでみたい。

最近傾倒している岩田慶治という人類学者と、彼の読み解く道元。最新の人類学者と哲学者の語るアニミズムが知りたい。中沢新一の本から、理事無礙法界、事事無礙法界などという難しい言葉を知った。どうやら分けて考えるという科学的な分別智とは真逆の、無分別智、すべてをガバッとまるごと把握する思考、レンマ、禅、という思考が東洋的な思考の根本にはあるらしい。世界はそれぞれが個々に分かれているけれど、どうやら相互に深く連関しているらしい。それぞれに魂がある、仏性がある、などと考える思考、そしてどうやらそれは、多の一、一の多、というようにコインの表裏みたいに、分かれていても一つなのかもしれないなぁなどと素人考えで思っているのである。瞑想していると、世界との一体感がある。分かれている個物が、それぞれが違っていて変化していても、どうやらみんな同じものを持っている、同じところから来ている、などと思うことがあった。道元やアニミズムについて、もっと知りたいと思うのだ。素人がやる瞑想ではあるけれど、瞑想をするようになって、身心脱落と道元が言ったような境地になる。なにか心の安心立命に、この禅的思考、アニミズムは大きく寄与するし、現在の異常なまでに人間中心の世界から、もっとバランスの良い世界へと移行してくのに、重要な思想だと思っている。

最後はこの本。実は以前に図書館で借りて、母の最後を看取る時に読んでいた本だったが、葬儀やらバタバタで返却してしまった。本は7割は読み終わっていたけれど、この本は買わないといけないと思った。ミーハーな私は思春期はテレビっ子で育った、映画なども好きで、時々の女優やアイドルに現を抜かすことも多々あった。私の好きだった女優が度々、芸能事務所とトラブルになって、芸能界から消される期間があったりすることに素人ながら疑問に思っていた時期もあった。芸能のルーツを知るのに、絶好の本が本書である。私は宇多田ヒカルが瞽女の系譜の歌手だということを知って、深く感銘を受けたことがあった。瞽女が門付け芸をしたりして全国各地を転々とする、門の前で魂の歌声を聞いて、心を震わせる。ラフカディオハーンの「門つけ」という文が芸能のルーツに肉薄している。

さて、これだけの本を読み切れるのか?いささか疑問符が残るけれど、私にとって本を読むということは、生きていることに深く関わっている。今は亡き母は、少し暴れん坊の母であった。だから私は小さい頃から母のアップダウンに翻弄されてきた。21歳でメンタルをやられてからは、実家にもどり、母と父に育て直しをしてもらった。それでも私は悩み深き若者であった。そんな悩み深き若者を救ったのは読書であった。河合隼雄、中沢新一がスタートで、人文学の本を幅広く読むようになった。読むことで精神の自由を手に入れるようになってきた。だから、今日も読む。そして書く。素人という断りを入れてからの私の著述は、とても雄弁になってしまった。自由に書くことがここまで楽しいことか、長くなったので今日はこれで終わる。


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