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子どもがいるということ

子どもというのはつくづくコントロール不能である。親がしつけという名の下にコントロールしようとするけれど、面白いぐらい裏切ってくれる。私たちは少しばかり、子どもを思い通りにしようと思い過ぎていたのかもしれない。予測不能なことをしでかしてくれる子どもがいることによって、親は何度も何度も打ちのめされる。そしてコントロール不能であることを察する。家庭によって、何がダメであるか違うけれど、ある程度大人の力によって、子どもをねじ伏せることも出来なくない。そのような大人の力でねじ伏せて、子どもをロボットのように扱う親は最悪だと思っている。いくら子どもの将来のため、しつけのためとはいえ、許されがたい大人の傲慢だ。そんな家庭は子どもが大きくなってから手痛いしっぺ返しがあるだろう。ある程度、子どもが自由にしている家庭は、面白いことが次から次へと起こってくる。予測不能で困らせることもあるけれど、子どもが自由に遊んでいるとき、大人たちは自分たちが忘れてしまったとても大事なものを、子どもから学び直すような気持ちになる。大人になって、何事も思い通りにしようとし過ぎてきたのではないか?むしろ予測不能で面白いことが次から次へと起こるような、このなんとも言えない自由な感覚の方が、本当に生きているって感覚なのではないだろうか。子どもが遊びをしかけてきて、自由に遊んで、ゲラゲラ笑っていると、普段の社会生活で凝り固まった頭は、自然とほぐれてくる。子どもたちは、元気よく遊んで、遊びきって、疲れて寝る。なんと健康的なことだろう。何もかもコントロールしようとして、上手くいかず、悩んで、苦しんでいる大人たちは、子どもの自由な生きるパワーを忘れてしまってはいないか。普段から予測不能な動きをする、子どもが同じ屋根の下に一緒に暮らしていると、子どものキラキラした「生きる」に、忘れていたなにかを感じている。

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