ストレス社会は日本人自身が作り上げた世界

こんにちは!
Haya Naturalのリカードなほみです🌿

今回は何だか、どぎついテーマですが、
これは健康にも大きく関わってくると思うので、勇気を出して書いてみます。


これは私が11年前にオーストラリア留学に行った時から感じていた事です。

日本では、1+1=2という教育で、
1+1=3なんじゃないか?と言ったら、
間違えた人というレッテルが貼られる教育環境で訓練された国だなと感じます。


何が言いたいのかというと、
間違える事を恐れて、間違えないために一生懸命だという事。

他人の目を気にして、言いたい事が言えない。
思っている事を発言できない。
皆んなと同じでないと怖い。


その結果、他国では存在しない、ブームや流行りが毎年、数年前から会議で決定されていて、それに沿って、髪色を変えたり、メイクをしたり、服装を変えたりしているのが日本人だと、ファッション業界では言うそうです。


私はその話を聞いた時、すごく腑に落ちた経験を何度かしていました。


日本から遠く離れた海外にいても、日本人はすぐに日本人だと分かるほどで、皆んな同じ動き、服装、話し方、メイク、物を持っていて、
正直個性がないと感じます。

それは私が日本人だからかな?と思っていましたが、どうやら日本人の友人がいる外国人ですらも、日本人、韓国人はすぐに分かると言われました。
その時、なるほど、これは国によってある程度コントロールされていた事なんだと気付きました。


学校の教育や道徳、日本人である限り定められたルール?とでも言うのでしょうか?
今まで私たちが教わってきた事は、
年功序列。
お客様は神様。
正解を導き出す事に特化した教育。

これらが強く関係していると感じました。


まず、海外では年功序列が通用しません。
アフリカや中東には上下関係がありません。
宗教や文化からも、皆平等である事が根付いています。

それを知らない人たちは、アフリカ人は知識がないから敬語が話せないとバカにする人がいますが、バカにする人こそが世間を知らないという事になります。


郷に入れば郷に従え。
確かにこの言葉の通り、郷に従う事が自分の身を守る事に繋がるとは思いますが、
出来ていない人をバカにする事は、
回り回って自分がバカにされる側に回ることもあるのだという事は知っておいた方が良いとも思います。

こうやって、人は自分より下の人間を見つけ出し、安心感を抱く様な世界を築き上げてしまった結果、ストレス社会を作り上げてしまったんじゃないかと感じています。

フランスで暮らした人は痛いほど分かる、
お客様は神様ではない。

この国は、お客様なんて言い回しはありません。
まず、気に入らないなら買わなくても良い。という店員の悪態ついた態度に驚いた人は多いと思います。

どうしてこういった事が起こるのか?
これはこの国の給料制度に関わる問題だといわれています。


どれだけ頑張って成果をあげても、この国はいくつかの業界を除いては、昇給なんて物はほとんどありません。
皆同じなんです。

ある程度年数を超えればそれなりに給料は上がるそうですが、日本の様にボーナスが増えたり、たくさん給料が上がったりなんてないので、増えても数年でほんの少し。


彼らは定時がきたらそそくさと帰って家族の時間を大切にします。


家族が一番なのです。
お客様を放ったらかして帰ることもしばしば。


これには何度も泣かされた日本人がたくさんいると思いますが、
フランス人は慣れっこです。

怒ったり、泣いたりしません。
またか!
じゃあ仕方ないな。で終わってしまうんです。

日本人は郷に入れば郷に従うしかないので、それに慣れるしかないのです。

どれだけ怒りを露わにしても相手は何も変わらないでしょうから。


これを聞いて、今日本で一緒懸命に精神をすり減らしてお客様は神様です!
をやっているサービス業の方がいたら、どう思いますか?


辞めたい。と思われた方多いのではないでしょうか?

お客様は神様です!
を日本国民がやり続ければ、お客様は神様と思い込んで、客なんだから店員は奴隷だ!
と言わんばかりの態度で、好き放題するお客さんがいるのも、日本が世界トップだそうです。

サービス業もトップレベルの日本ですが、
クレーマーもトップを誇る日本。


この悪循環が生まれたのは、バランスが取れていない事が原因だと思います。


一方アメリカも、サービスはトップ!
ただ、お客さんがクレーマーなのか?というとどうやらそうではないそう。


どうしてなのか?
個性を許される国トップでもあるアメリカ。


日本と違うところはここだと思います。

例えば犯罪を犯してもトップスターの座は奪われないアメリカ。
むしろ話題になって有名になるぐらい。


ここまでいくとやり過ぎだとは思いますが、
日本の狭苦しいサービス業と、アメリカのサービス業に違いが出るのはなんとなく分かります。


お客様の前で座ってはいけない。
洋服屋さんは、時には自分が好きでもない洋服を着て外反母趾になりそうなぐらい高いヒールを履いて営業したり。

会社の方針に従って、使ったこともないし、効果を感じたこともない物を、良いですよ!
と勧めなければいけないストレス。


これには驚きました。
サロンと名のつく場に働く友人たちは、やった事もない肌断食や、全く良いと思わない添加物がたくさん入ったサプリメントを、毎日まいにちお客さんに勧めなければ販売数が伸びていないと指摘されるんだそう。


こんな社会で働く人たちが、夢や希望を持って将来、羽ばたく事って出来るんでしょうか?
そんな中に大切な子供を必死で入れようとする事に、いったい何か意味があるのか?


なら海外に行けば良い?
問題は本当にそこなのでしょうか?

日本をどうにかしないと、結局全日本人が海外に行ったとしても、またそこで日本の思考が伝染して、そこでも日本と同じ事が起こります。

海外に住む日本人でも、神経質で今すぐに結果が出ないと納得いかない人は山ほどいます。


日本人がストレスフリーで生きていく為には、国や場所を変えるのではなく、日本人の思考そのものを変えないと、いつまで経ってもストレスフリーな社会は築けないと思います。


忙しさのあまり、学ぶ、考える、やってみる!という事が出来なくなった人たちが多いと感じます。

知っている人を見つけたら、なら全部教えて!
と人の時間を奪う事に、全く躊躇しない人もいます。

何度説明しても理解せず、何度も同じ質問をしている事に気が付かず、当たり前だと言わんばかりで、自分が待っていた答えが返ってこなかったら憤慨して怒る人もいます。


いつからこんな世の中になってしまったのか。


この世はゲームの様に、何もかもハッピーエンドが待っている訳ではなく、
自分の力で考えて、相手の状況を想像して、助け合う力がないと、いずれ1人になってしまい、孤立します。


そうなった時、相手を恨むのか、それとも学ぶ事をしなかった自分を認めて、そこから這い上がるのか?


私も昔は学ぶ事をせず、雇ってもらっていた立場だったので、正直とっても楽でした。
何かあっても最終的には会社が責任を取ってくれるという安心感があったからだと自覚しています。
(雇われる人が学んでいないと言っているのではありませんよ!昔の私はそうだったという話です)
発信する側、提供する側に立って初めて、責任感の重さ、ひとこと一言の重さ、大切さ、色んな事を学び、今も学び続けています。


この先死ぬまで、お金を稼ぐという事実から逃れられないのだから、
学びを辞めてしまう事は不可能だという事も実感しています。

人間は学ばないと思考が止まってしまう。
一瞬一瞬で現状は変わっている現代。
昨日まで何でも自由に出来ていた事が、疫病がきて身動きができない時代です。


災害も同じこと。
社会のシステムはいつも同じように動いているわけではない。


人間も同じで、日々細胞は生まれ変わり、日々思考も新しくなっています。


何十年も前の人の考えを大切に持っていても、今通用するどころか、今日学んだ事が明日通用するかどうかなんて明日にはわからない現代です。


学ぶことを躊躇せず、人をバカにしたり否定する前に、まず自分の立場はどこなのかを知ることって大切なんじゃないでしょうか?


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