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強さと弱さ(エゴイスト×エゴイスト)【feat.ひこにゃん】


「一人でいなさい 辛くても寂しくてもずっと一人で
 いつか世界があなたに折れてくる」

 というニュアンスの名言が記憶の端に引っかかったままで、時折今でも何かの拍子にゆらゆら揺れる。出典も正確な内容も覚えていない、どうしようもない根無草。下らない希望ならない方がマシだろうにチラチラチラチラ。一体何を期待してんだか。

 さて。
 私の通っているテニススクールは、2ヶ月で1クール。最終週を「8週目」と呼称する。この週だけ特別に呼び名があり、わざわざ予告されるのは、1クールの区切り「試合いっぱいやるデーだよ」宣言に他ならない。だから試合嫌いの人は欠席したり、ワザと別のクラスに顔を出したりする。
 8週目。30分のアップを終えて早々試合に移る。半数が女性の今回は、前半をミックスダブルス、後半を男ダブ女ダブに割り当てられた。
「アップ」
 声に合わせてラケットを回す。得たのはリターン。隣にはひこにゃん。
 ウイッチは何もサーブ権を決めるためだけのものじゃない。「どっちがいいですか?」と聞くと「どっちでも」と返ってきた。
 ホームラン王に初手リターンはキツかろう。フォアサイドに入ると腰を落とす。

 想定していた通り、ひこにゃんの力任せのリターンは入らない。この男の異常な脆さは気負い。実力と現実の乖離。
 この男は私を女だと思っている。その意識が「こうだけはなりたくない」という思いを鮮明に縁取る。過剰な自意識はさながら自己免疫疾患。それでもどんなに追い込まれても男は安パイなリターンを選ばない。それは、そうすることで一度逃げたら戻れなくなると知っているから。それが分かるから口出しはしない。
 一方私のリターンは安定している。ストレート一本叩いておけば前衛は動けない。その分広がったスペースにボールを運ぶ。2本。隣の暴走はまだ鎮火しそうにない。テメエでテメエ焼いてどうすんだよ火だるま。ため息一つ、肩の力を抜く。

 人は自分より余裕がない人を見ると不思議と落ち着きを取り戻すらしい。そうして丸コゲな相方越しに、以前言われたコーチの言葉を思い出す。
〈打てるのは分かった。君は充分ストロークで戦える。だから次は視野を広げよう〉
 私のリターン。前衛がストレートに張ってる。普段ならセンターをぶち抜く。
〈緩急だよ。相手のコートに穴を作る。そうすると今よりもっと自分がゲームを支配している感覚になる〉
 しょうがない、と思ったのは、コーチのアドバイスに従うというよりは、丸コゲな相方に目を覚ましてもらうため。
 スライスでロブを上げる。以前言ったが、ロブは専売特許。このクラスで私以上にロブを上げる人はいない。
 テニスはラケットを使ってボールのやり取りをするスポーツだ。中でも一番安易なのは「来たボールをそのまま返す」こと。変化をつけるにはそれ相応のリスクが伴う。緊張する場面ではどうしても安易なものを選びがちになる。そうしてそれは自信のない人間を炙り出す。
 私のあげたロブは、不必要な程高い弾道を描いてベースラインに落ちる。それを相手が同じ弾道で返そうとした時、目の前を影が横切った。






 あらあら随分なお寝坊で。






 おはようさん。





 一閃。サービスラインに叩きつけられたボールは、大きな弧を描いてバックネットに沈む。
 その身体が弾む。やっと息を吹き返す。

 ああそうか。
 ひこにゃんのリターン。強烈な打球に相手の返球が浮く。自ら前に出て叩く。それは自給自足。私のリターン。コースを変えて、ストレートにスライスのロブ。バックハンドで捉えられた相手の返球は短い。ひこにゃんが鋭角に叩く。
 躍動。リズムに乗り始める。

 なるほど。
 ひこにゃんはラリーが苦手だ。同じことを繰り返すこと自体合わないというか、そもそもゴリゴリのトップスピンはインパクトが安定しない。よく力の放出方向を間違う。これはグリップの問題もあって、インパクトの面を伏せてスピンをかけるほど、スイートスポットは狭くなる。感覚的に言うとフラットを10とした時、7ぐらい。
 だからよくガシャる。緊張に何かが一つ狂うと、一切が噛み合わなくなる。
 だからか日頃からひこにゃんは私とラリーをするのを嫌がった。分かりやすく避ける。試合でミスが増えるのは、だから元々のベースが高いせいでもある。私にとっての「トップスピナーはメンタル弱め」というイメージはたぶんここから来てる。でもだからこそ

 当たり始めると強い。普段のラリーではできているんだから、普段を活かすだけ。そんな「普段」に持っていくために、あえて力の放出方向を限定する。ひこにゃんの場合「縦」だ。
 簡易のスマッシュ、ハイボレーの延長。そんな「力強さを残したままきちんと決められるショット」をひこにゃんは打てる。腹筋が強い分、多少重心を下げられても威力は落ちない。加えて落下地点の予測が早く、守備範囲も広い。つまるところ「縦に力を放出させる類の、アウトしないショット」を打ってもらえさえすれば、こっちにとって都合のいい展開になる訳だ。そのために、
 スライスのロブ。相手は嫌がる。攻撃しないと攻撃される。ネットに近ければ力押しがきくが、ベースライン2メートル後ろ。変化させるにはそれなりの技量が必要になる。
 そうして何よりコート上でしてはいけないのは「迷う」こと。結局どうしたらいいのか分からないボールは、頭上に上がる。すかさず動く影。その様子はまるで巨大な生き物が大口を開けて待っているかのよう。
 浮き球。コート前半分は男のテリトリー。能動的に力を加えられたボールは従う。迷いなくコートを分断する。

 その後、調子に乗ったひこにゃんは、私が「(前に)出る」と言っているにも関わらず、人のボールにまで容赦なく手を出した。憤慨する私にコーチが「早い者勝ちだ」と言って笑う。初回の「しまった」という面影はどこへやら、本人知ったこっちゃないといった体で元のポジションに戻っていく。
 コースを選ぶも、緩急も、相手コートに穴を開けるも、あくまで戦略。勝つための手段に過ぎない。要は勝てばいいのだ。踊るように繰り出されるひこにゃんのボレーは、一撃で仕留める力を持つ。まどろっこしいのは嫌いなのだろう。力で制圧する、分かりやすい雄の思考。

 いつか世界があなたに折れてくる、と言ったな。
 ひたむきさと言うのはそれだけ危うく、けれどもどうにかして活かしたいと思わせるものなのかもしれない。私は私で成り立っていた。でもそれは少なからず逃げないひこにゃんの影響を受けていて、ひこにゃんと組んでいるときはリターンの調子が上がった。
 私が私のしたいことよりもこの男の強みを活かすことを優先したのは、一人で積んできた時間、ひとえにその技術に対する敬意がためであり、本来の実力を相手に見せたかったからに他ならない。頼まれてもいない、それは私のエゴ。よく「後衛が」「女性が」手綱を握るのが理想と言われるが、何となく分かる気がする。コーチの言う「支配している感覚」とはまた違うのだろうけど。ただ、まずは何より

 首にタオルをかけてルンルンニッコニコしている男には、誰のおかげで気持ちよく打ててるか自覚して欲しい。そして盛大に讃えろ。何で他の人のショットには手を叩くクセに私の時は無なんだよ。味方だろ。誰より私のテンションを上げろよ。
 そんなこと言ったら「は? 誰のおかげでこんな短いやりとりで済んでると思ってんの?」とか昭和式やりとりに発展しかねないので、不毛な妄想はここまでにしておく。







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