見出し画像

勝手に伸びろ【テニス】



 自分の荷物の所に向かう途中、コート外に設置された椅子に腰掛けている夫婦が、さっと足を引き、背筋を伸ばした。「ありがとうございました」と女性が頭を下げると、すぐさま男性もそれに倣う。汗まみれ、低酸素状態の一般人Aは、はあ、と頭を下げると、ラケットをしまって帰路に着く。
 
 1ヶ月空いたのか。
 久しぶりに現在在籍しているクラスに顔を出すと、いつもの相方の他、見慣れない人たちがいた。計6人、内2人はおそらく中学生。
 振り抜きの角度を修正することで、力ある男性相手にある程度打てると、少しだけ視野が広がるのを感じた。目まぐるしく変わっていくメニューの中、自身の重心が変わる。
 自分視点から他者視点へ。以前【展望】として「この競技を通じて何がしたいか」という名目で3つほど挙げたもので、2つ目に相当する「自分に完結しないテニス」。必要となるのは絵としての説得力。そうして周囲を巻き込むテニスを理想とした時、私はこの場にふさわしいか。
 
 成長期の学生にとって、中級が「この程度」なのか「ここやべえ」なのかの境。最も分かりやすいのが球出し。指示された動きを忠実に体現できるか。我流の中で、いかに形を変えられるか。球種を、高さを、速さを、方向をコントロールできるか。その打球のために必要となる技能を理解し、習得しているか。球出しは他者を見る余裕を含む。
 中級に来るくらいだ。学生たちには当然自負がある。向上心がある。そんな彼らが求める期待を負えるか。そのためにはコーチの他、たぶん最低もう一人要る。「ああやって打つんだよ」という道標、手本だ。
 それはその球が打てて、尚かつ「ああなりたい」と思わせる力がなくてはならない。残念ながら私自身、おもちゃみたいなサーブを打っている動画がスマホに何本も収録されているために、決して胸を張れるような立場ではない。けれど、
 コーチの言っていることは分かる。何を想定し、何を目的として、そのためにどんな球を要求しているのか。その打球のために陥りやすい失敗も、だから注意しなければいけないポイントも。私はただその上をスイーと滑る。
 
 ふとi野コーチが「誰も僕の言うこと聞いてくれない」と言っていたのを思い出す。その時は笑っていたけれど、なるほど、今になってその感情が少しだけ理解できる。線引き。初級だろうと中級だろうと、規程の枠組みがあって、そのレベルに相応しい要求がされる。けれど自分の得意とする球を打つ方が楽しいし、打ちやすい。だから線引きが起こる。コーチと生徒の間。あの時コーチは「寂しい」と言ったのだ。
 クラスのレベルに線引きはできない。正しさを窮屈にこの場所を去られる方が困る。だからこそ間を取り持つ人間が必要で、加えてここで欲しくなるのは「調整なんて脳みそを持たない、ベースフルスイングの打球に合わせる技術」。いわゆる「キャッチ」「張り合わない」それに「出力させるストローカー」。よかった「あわ」だけじゃ同じ土俵でワタワタしているところだった。「バブルこうせん」も「ハイドロポンプ」も割と最近覚えたんだわ。
 打ち出し角度を変えて、スイングスピードを変えて、ストロークポジションを変えて、打点の高さを変えて。何よりここで必要となるのはやわらかさ。打球に合わせて自身の形を変える技術。テメエの枠内ならある程度支配できる。
 
 中学生は素直だ。ふとした時、相手を上に見ているか下に見ているか分かってしまう。私が組んだのは男子中学生だった。
 フルスイング。故にミスは出る。けどそこから引かない。何より横を通る打球に暴打の印象はなかった。そのほとんどが球一個分の誤差。
「打ちます」と言った。固い頬。サーブを打ちたいか聞いた時、あっちコート空いてると言った時、芯の強い、いい目をしているなと思った。
 
 中学生か、と思う。私が20歳そこそこで産んでいればそのくらいにはなるのか。この子にとったら私は母親に近いんだろうな。そうなるとちょっと「おかんうぜえ期」でもおかしくない。いくら声をかけようと、入らん可能性が高い訳で。
 構わん、勝手に伸びろ。と思った、その時だった。
 
「ナイッサーです」
 
 声がした。思わず二度見する。最後私のサーブからストレート抜かれた時には「入ってます」と笑っていた。
 今この場において、大事なのは結果じゃない。結果は否が応でも求められる時が来る。今大事なのは「この場において自分が何をしたか」「今日何ができたか」。たぶんその子はこの日の練習の中で何かを得て、それに満足した。だからキレイにストレート抜かれても笑っていたのだ。
 帰る足取りが軽い人たちを思い出す。その日、テニスを楽しかったと思えること。だってそのために来てる。誰だって、だからまた来週も頑張ろうと思える。
 
 今この子に必要なものは何だ。
 この子がまだ知らないものは何だ。
 じゃあこの子の強みは何だ。
 
 全てはそこの照準を合わせていけるだけの技術ありきで発生する思い。
 根本私は足りない。けれど今の私だからできることがあるのかもしれない。スーパー使えないパースンは、自分が使えないと分かっているからこそ、できない側の気持ちはよく分かる。
 
 何だかロンドンのキングズクロス駅の9と3/4番線辺りをうろうろしているような感覚で、クラスや自分の在り方もうろうろしている。でもきっとどっちも大切なことで、
「自分を磨き、技術を向上、定着させる力」も「誰かの成長に伴奏する力」も、緩に急が必要なように、甘えられて初めて甘やかすことができるように、どっちつかずの、これもまたバランス。
 
 帰路に着く。車にバッグを乗せると、男子中学生が車に乗り込むのが見えた。
 見学がてら送迎に来ていた夫婦もそれぞれに乗り込む。バン、と閉まるドア。
 その車内が賑わうといいと、一般人Aは勝手に思う。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?