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ラケットを置きたくなった日のこと(後編)【feat.メガネくん】



「ありがとうございました」

 ゲームが終わってコートを出る。とてもじゃない。見れた顔ではなかった。最初ににっこり笑って「お願いします」と言った、それだけを記憶しておきたかった。走って帰る。涙なんか出ない。泣きたいのは向こうの方だ。

 カウント、ひこにゃんペア0−4、中学生ペア2−1

 醜い。みっともない。泣きたいのは向こうの方だと分かっていながら、なら何故あの時謝った。正式に自分の非を認めるなら、苦くても痛くても受け入れるなら、あの時どう思われようと決して謝るべきではなかった。相手からしたら謝られても困るだけ。メガネくんは何も言わなかった。それだけがせめてもの救いだった。

〈女の顔になってるぞー〉

「ごめんなさい」と言ったあの時、にわかに甘い香りがした。自分から女が滲み出ているのを自覚して、吐き気がした。「どう思われようと」私はあの時、メガネくんの気持ちより、自分の気持ちを優先したのだ。なんと幼い。とても30過ぎた大人の所業とは思えない。とてもじゃない。こうして吐き出さずにはいられない程、気持ちの整理が追いつかない。


 冷静になれば分かること。上手くいっている時と上手くいかなくなった時の心拍数の変化、及び戻し方。試合という緊張を想定した練習。1本目のリターンの立ち位置。全てが欠如していた。理由は共通。慢心、ただそれに尽きる。コバンザメが調子乗って、できる気になって膨らんで、サーブ一本で穴があいて、本の大きさに戻るような。そうしてすぐさま動揺して、溺れて助けを求めるような。何だソレ。

 何にも変わっていないじゃないか。好きという気持ちだけが空回りして延々1人反省会していたあの時と。メガネくんに依存していたあの時と。ソウさんを見上げていたあの時と。意味がないんだよ。どれだけ上手くなろうと、いろんなボールが打てるようになろうと、ここぞという時にその力を発揮できなければ、無いも同然。

 ただ、今何を言ったところで仕方ない。幸い最低限年明けまでは会わない。加えて冬に仕事が忙しくなるというメガネくんは、年明け来るかも分からない。そうすれば次に会うのは来年の夏。

 また一から鍛え直しだ。

 今できること。すぐに他のクラスに顔を出して己を慰めないこと。できない自分をできないまま受け入れて、その自分ととことん向き合うこと。この恐怖を痛みとして刻むこと。私は弱い。ただそこから逃げないで、メガネくんやソウさんではなく、きちんとボールを見つめること。感情で現実を歪めないこと。ここまで吐き出してようやく深呼吸ができる。


 圧倒的に打ちのめされること。今の私に最も必要だったことを提供してくれたひこにゃんに、まずは感謝しよう。






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