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始動(後編)【テニス】


 振り返る。
 打球感はすぐさま消える。同じことを繰り返しても、修正をかけても、3歩進んで2歩下がるのは、消えるからだ。上手くいった感覚そのものを丸ごと記憶することはできない。だからカスタムする。言われたことを自分なりに解釈してきちんと落とし込む。どうしたら馴染むのか工夫する。
「ヘッドが上がってる」というのは、本来の下から上へのスイングの軌道を描けていないということ。だから高さに合わせて打点まで下がるか、テイクバックの高さ自体を変えて前へ打ち出さなければいけない。
 ただ、わかっていて出来ないのは、それ以外の要素が邪魔をするから。環境、人数。いつだって縦に潜れる訳じゃない。だから必要なのは簡単に潜れる寄る辺、潜水用のロープで、可能ならそれは、自分にとって影響力のある要素を含む方がいい。能動を生み出す明確なメリット。なりたい自分。

「ヘッド上がってる問題」は、言い換えれば「面が上向くことで打球ふかす問題」。振ってみる。例えば意識して力を入れる指を変える。振ってみる。きちんとスイングできている時との違い。それは間違い探し。なりたい自分との差異。よぎったのは姐さんのストローク。いつだったか姐さんは「顎に肩が擦れるように」と言っていた。それはいつかの「理想のフォームと当時のスイングの間に発生したグリップ問題」を彷彿とさせる。理想と現実の間に生まれた事象。


 キレイなフォーム。
 例えば顎を引くこと。


 スイング。顎を引いた状態で見たラケットの面は、肩から肘から連動してきちんと前を向いたまま。スイング。逆に上げると弛緩して上を向く。筋肉の連動の仕組みは知らない。けれど顎を引くことで打ち出しの角度が安定し、なおかつキレイなフォームになる感覚があった。
 高い弾道に顎を上げさせられた上、それは重さも併せ持つ。だからトップスピンが苦手だったのだ。


 ここ2ヶ月で変えたのは、握り、グリップを持つ位置、ガットのテンション(−2)、非利き手の動き。変えること自体リスクで、元々の武器を一旦捨てるようだった。けれど寄る辺を掴んで再び同じ場所まで潜り直す。誤魔化しながら必死にではなく、きちんとゆっくり。
 その後ストレートラリーを終えてサーブに入ると、ノッポさんは「肩大丈夫?」と聞いた。私自身「大丈夫です」と答えながら、同時に「はて」と思った。どう考えても削られているはずの体力が削られていない。「うまくやらなきゃ、迷惑かけないように」と気負う分の心拍数を刻んでいないためかと思いかけた時、「打点が合ってるのか」というつぶやきが聞こえた。
 ああそっか。
 腑に落ちる。私がはあはあしている時、中上級の面々は不思議そうにしていた。それは休憩と称される時間にはあはあしている人を、私が不思議に思ったのと一緒で、体力問題はエネルギーの変換効率にこそ依存するものだった。

「利用してやる、でいいんだよ」

 エネルギーのある打球を切り返す、それはカウンター。思いっきり打ち返すのではなく、内蔵する力を利用する。ベクトルの向きを少しだけいじる。まるで光に鏡をかざすように。

 きちんと見て合わせ、そこに、芯を持つ。
 ブレない。どんな打球だろうと区分しない。
 それは柔軟性。なるほど大人のテニスだ。

 なるほど。利用してやる、か。
 けれど「それ」は性質。生まれ持った。
 思わず緩む頬。
 難しいな。私の器はおちょこサイズで、圧倒的に短気で。だから


 たぶんまだ殴り合いの方が性に合う。






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