沼(2、5カメ)【feat.ソウさん】
あるはずのない視線。それは自ら作り出したもの。
音を聞いている。ソウさんの打ち出す音を。2年経った今も。
クラスにはそのアイコンとなる人がいる。
コーチが「○曜日の○時」とではなく「〇〇さんがいるコマ」として記憶するような人で、例えば以前いた初級ではkeep outな蛍光色、ビッグサーバーがそれに当たる。初級、中級と分けた所で、結局は誰がいるか。この時間帯、隣に中級のクラスはあったが、ソウさんやメガネくんがいたこともあり、ぱっと見どっちがどっちか分からなかった(レッド襲来時はたまたま2人とも不在だった)ただ、マジでうまい人1人抜けることでガラリと雰囲気が変わり、芋づる式にクラス内のメンバーが入れ替わることも少なくない。大事なのは客観視する力。自分も、相手も。
見上げるとコートを仕切るネットの鎖が錆びているのが目に映った。
この場所もできて40年近くなるという。それはまるで人体を覗いているかのような感覚。
静かに静かに錆びていく。けれどもそこに「その人」がいる限り、ふさわしく在ろうと変化する限り、身体は錆びてもきっと自分を好きでいられる。
今いるクラスの女性は私だけだ。けれどたまに振替で現れる女性もいる。そんな時、良くないと分かっていながらいつだってソウさんを思い出した。
自分のペース。ソウさんは自分のすることに絶対の自信を持っていた。
〈エースだったから〉
しれっとそう言えるソウさんは、100%の正しさが存在しないこの世で圧倒的に輝いていて、いつだってその言動に見合うだけのプレイをした。
強すぎる光がすぐそばにいるだけで、ソウさんもまたアイコンに違いなかった。
ただ響くは打球音のみ。
それは生成され、煮詰められて、抽出されたもの。
ビッグサーバーの打球は横に滑る。ソウさんはそれをギリギリまで引き込んで、寸分違わず打ち出す。引き込み過ぎじゃないかと思っていた打ち出しは、自らの身体を目隠しにすることで、打ち出しの方向を読めなくしていた。外からだと分かりづらいが、ソウさんはきちんとキャッチしていた。だからビッグサーバーはソウさんだった。圧倒的ピッチャーと圧倒的キャッチャー。なびく長い髪。ソウさんの横顔は本当にキレイで、初めて行ったクラス、しかも初級にいたものだから、ここにはこのレベルの人がゴロゴロいるんだと思っていた。
テニスはボールが返れば成立するスポーツだ。だから別にどんな打ち方だろうと返り続ける限りテニスはできる。でもじゃあ「できる」ではなく「したい」と思うのは、私にとってやはり美しいかが大きな分かれ目になる。
以前中上級で見たラリー。すごいと思ったが、私の望む所ではなかった。
以前行っていた初級は、もう行く事はない。美しい人がいなくなったからだ。
ラリーがしたいと言っても、誰でも良い訳じゃない。人は近くにいる5人の平均と耳にすることがあるが、義務でない以上、私も選ばせてもらう。だから今いるクラスは本当に恵まれている。
戸塚が分かりやすく弾く。あの男はふさわしくないと思った相手には結構強い。最近はコーチが思いっきり弾くようになったから随分おとなしくなったのだが、最初は驚いた。
美しさは矯正できない。だからこそ戸塚含め、玉ちゃん、ひここ、揃いも揃ってキレイに打つ人達のいる環境は贅沢で、元々美術館が好きなのだが、動く美術館にいるような感覚になることがある。ベースがそこだから、実に贅沢。だからこそ、
コーチも戸塚も、流石に女性相手にとやかく言わない。代わりにハンデを加えるか、打つ相手を制限するか。それが勝手にストレスだった。
この日ではない年末には偶然ナオトが現れたため、女性陣は2人とも完全に我を失っていたのだが、じゃあ平時私にできることはと言えば「きちんと勝ち切ること」それだけ。協調からの破壊。きちんと相手のフィールドで勝つこと。
あるはずのない視線。待っているのはただ1人。それが叶わないから生み出す。
自分の中にソウさんを。
〈エースだったから〉
100%の正しさが存在しないこの世で、圧倒的に輝いていた美しい人に見合うように。たった4年でも、彼女と同じコートに立ったことを誇れるように。消えないように。
細くて、うるさくて、ヤバい女がいるクラス。
今度は私がアイコンになる。
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