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沼(フォアサイド3カメ、2)【feat.メガネくん】



 初めて会った頃、当時メガネくんはよくダブルフォルトをしていた。前も書いたが、メガネくんはたぶん大人になってからテニスを始めていて、決して万能ではない。ただ、まずきちんとボールを見ることから始めて、この「きちんと」の精度が後々響いてくる。

 きちんと受け取ること。真っ直ぐインパクトした打球、シュート回転のかかった打球、インサイドアウトで巻いてくる打球。最後の最後まで変化する打球に真っ直ぐ合わせる。
 真っ直ぐ。メガネくんの打球は初心者でもやりとりしやすい真っ直ぐ飛んでくるフラット。変な癖がない。きちんと捉えて真っ直ぐ打ち出す。だから合わせやすかったし、自分が上手くなれたような気がしていた。勝負をするには不利にも思える打球は、けれどもその正確なインパクト、ミスのなさに相手が勝手に崩れた。ガシャるごとに自分のテニスを疑い始める。ガシャって不規則な変化を加えられたボールさえも真っ直ぐ返ってくる。一撃で仕留めることはなくとも、じわじわと首を締めていく。しかしそれは相手にとって必ずしも苦しいだけという訳ではない。

 先も述べたように「自分が上手くなれたような気」になって、しっかり打ち合った末、殺されるのだ。だから相手にも「頑張ったけど負けた」というやり切った感は残る。勝ち負け以上に、元々ストレス発散目的で来ている人がほとんどだ。だから体力の消費が叶えば満足度は高い。きちんと打ち合えた時点で力量差は互角だと勘違いすることはままあって、直近で例を上げれば、コーチとのシングルス、1ゲームも取れていないのに充実感にニコニコしているヤバい女がいたことを思い出して欲しい(それわしやないか)

 つまり勝敗にこだわらなければ、ふわんとした「自分結構打てるんじゃね?」という感覚だけが残る。蓋を開けてみれば一度として勝ったことがないというのに。そう。
 この6年のやり取りで、私は一度としてメガネくんに勝ったと思ったことはない。ラリーをしたボールはいつだってネットのこっち側にかかっていた。そうであるにも関わらず、ソウさんやメガネくんと同じコートに立てないことによく臍を曲げていた。あれはだから当然のことで、単に自分で自分を正しく見られていなかっただけなのに「あ、ボーリングの方ですか?」打法でパンパカ打ち合えているつもりだった自分を殴り飛ばしたい。

 ダブルス。さっきまで敵だったじゃがコが味方になる。ボレーで仕留めることができない私はいつだってサーブを引き受ける。リターンにはメガネくん。さっきまで喚いていた肩はすっかり静か。
 対角線上に入るのが直接の対戦相手。ダブルスは相方がいる。メガネくんは基本、女性相手ならフォアサイドを譲るし、相手が強いとなればそのサイドを引き受ける。ビッグサーバーと組む時でさえアドサイドを引き受けるような人だ。けれど誰と組もうと、私がサーブを引き受ける時、いつだってフォアサイドに入ってくれた。
 それにも関わらず、結局この日、ロクにラリーをすることなく終わった。私自身まだ奪われた時間を引きずっていて、どこか戦いたくないという思いがあった。ただメガネくんとラリーがしたかった。そうしてまともに打ち合うことを拒んだ。
 メガネくんのサーブ。合わない。真っ直ぐのはずの打球をガシャる。唇を噛み締めると同時に、ふと前日に見たテニスの動画を思い出す。

「1日に3人のストローカーと勝負することないから、なかなか合わせられない」と言っていた鈴木貴男プロ。私の中でテニスは勝負とコミュニケーションに大別される。それはその前提を疑う発言だった。
 勝負だけど合わせる。勝負だから合わせる。
 どういうことだと混乱したのは一瞬、すぐに通じた。
 合わせないと勝負はできない。例えばラリーで球出しから始めるように、根本的に大別するものではなく、それがどちらにとっても延長線上にあるものだとしたら。

 今更見えるようになるもの。

 コミュニケーションの先にある勝負。勝負の先にあるコミュニケーション。どちらも「合わせること」を起点としていたら。
 今でも私は1人でテニスをしていた。7割が使えるようになって、合わせられるようになってきた風を装っているだけで、たぶん根本的な部分が抜けていた。
 合わせることから始める。
 合わせて、ずらしていく。
 捕まえて、狂わせる。
 それを当たり前にやっている人達が、だから「上」だった。


 テニスはボールが行き交えば誰にでもできる。けれど「できる」の輪郭、見ているものがまるで違う。
 美しさ「キレイに打つ」は自分事。もしそこにこだわるのなら、自分がするべきは相手がキレイに打てる位置に配球すること。そのためには単に深さだけでなく、高さ、球速、回転量、全てを精査する必要がある。それは自分次第で望む世界を作れる一つの可能性。打球に自分を合わせること。逆にその人に打球を合わせること。それが叶ったら、本当に終わらないラリーが生まれる。

 思いがけないひらめきに「やったあ」とポワポワした頭で前衛に構えていた私のそばを、鋭い打球が走り抜けた。
 メガネくんとコーチが打ち合っている。早い。ポーチに出られない。コーチが打ったボールがわずかにアウト。ウソだ。「ボール一個分のアウト」なら続いている。少なくともボール2個分以上コートを割る。そんなやり取りが何本か続いた。
 ジリジリする。前衛はお互い出られない。とてもじゃない。首を突っ込めない。この日総評で「もっと積極的にポーチに出ましょう」と言われたが、いやいやとてもじゃない。5段階評価でボレー3の私には荷が重すぎる。

 それに私にはストレートぶち抜かれて、腰を抜かした経験がある。鋭く美しい一太刀で完全に殺されたことが。コーチが「女の子扱いしてもらえないなあ」と茶化そうと、詫びることなく、申し訳なさそうにすることもなく。男は自分が正しいと思うことをした。ただそれだけ。こうしてストーカーは爆誕したのだ。そっちこそ前衛を当てにせず、ちゃんとラリーで打ち勝って下さいと言いたい所だった。
 結果は0−4。コーチ入りでそれはないわと誰よりコーチ自身が思ったに違いない。ともかくズタボロだった。ただ、以前メガネくんと組んで上手くいかなかった時のような後ろめたさはない。自分も結構ミスってたくせに、ほぼほぼコーチのせいだと思ったし、次のゲームにも響かなかった。プレイもスコアも似たような状態で生じるこの温度差は何なのだろう。

 対戦相手を変えて次のダブルスを始める。フォアサイド前衛、偶然隣のコートのシングルスが見えた。シングルのバックハンド。メガネくんが打ち出す。その打球。





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