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強さと弱さ(たとえ小物だとしても)

 このクラスで女性四人が集うのは初めてじゃないだろうか。全員初見ではない。和気あいあいとした雰囲気。それは同じ競技を近しい温度で愛する者達だからこそ生まれ得るもの。

 今でこそ中級と名のつくコートにいるものの、クラス間の実際の審査はない。誰しもが自分でいたい場所にいることができる。大まかなクラス傾向としては、中級は戦略を重視され、より前に出て戦うことを強いられる。だから一見上手そうに見えない人でも、ボレーさえできればある程度やっていけるし、逆にストロークだけでボレーができないとなるといつまでも初球に留まることになる。雁行陣と並行陣。だからその境を失わないために、コーチは「とにかく前に出ろ」と口を酸っぱくして言う。全てはそこからだと。
 だからラリーを好むメガネくんは、以前私も通っていた初級のクラスと中級を行き来している。当然発生する実力差。でもあの人は相手がどんな力量だろうと、相手に合わせたラリーができるから問題ない。もはやコーチ側の人間だ。

 逆に私自身、実はそこが弱点であると自覚している。相手が強ければ強いほどその力を利用していいボールが打てる。早いと意図せずとも自分の本来の打点までき引き込むことができる。
 分解する程に己の小ささが顕になっていく。私は自分を戸愚呂兄だと思っているし、コバンザメだと思っているし、「すごい強敵かと思いきや、それを操ってる本体ちっちゃ!」という小物だと思っている。だから上手くない相手と打つとイライラしてしまう。こんなの自分じゃない。自分はもっとすごいショットが打てると勘違いしてしまう。

 女性相手のダブルスは久しぶりだった。打って前に出る。ファーストボレーをクリアすると、サービスラインでスプリットステップ。後ろで戦っている時に比べて早い展開。相手のポジションに合わせて返球コースを変える。反射。決め打ちが通用する後衛のやりとりとは違って、柔らかさが必要になる。下手したら勢いを活かした返球が自陣をえぐる可能性があった。

 スライスのリターンを足元に沈める。次の瞬間しまった、と思った。
 スライスは打点を下げる。けれどもバウンド後伸びない分、早く前に陣取れる。女性は低い打点のやりとりに慣れている。「それ」は全く攻撃の意味をなさない。
 早く並行陣を完成させる必要があるのは、一枚の壁を作るため。相手が近いというのはコートを狭く見せる。物言わぬプレッシャーになる。狙うべきは頭上か足元。女性の場合、どちらかというと頭上の方が苦手な傾向にある。けれども定期的に公式戦に出場しているという女性は、当然頭上のやりとりにも慣れている。きちんと作った面で捉えられたボールは、ベースライン近くに打ち込まれた。

 しまった、と思ったのは、本日スライスを多用し過ぎたこと。
 それは逃げ癖。分かっていて安パイなスライスのリターンを選択する。相手に前に出られる。打ち込まれる。
 フラットやトップスピンを打つ時必要になるのは「腰を落とし」て「完全に横を向く」こと。暑さに楽をしたがる身体は、残り30分、腰を落として打つ姿勢を取ることも、反応してすぐ身体の向きを変えることも怠る。すると打てるボールも打てなくなる。ますますスライスに逃げるようになる。
 逃げ癖。その本当の恐ろしさは、調子のいい時には気にもとめなかったことを気にし始めること。イメージが全てを黒く染め上げる。分かりやすいのはボレーそのものだった。並行陣を組めても勝てる気がしない。完全に悪循環だった。

 その後、ごくたまに乗ったサーブが点を稼ぐことこそあったが、結果は3ゲームやって全敗だった。コバンザメ、本領発揮である。

 一つだけ、想定外だったのは無意識に想定していたこと。
 楽を覚えた身体は動けない。並行陣アドサイド、サービスラインに落ちるであろう山なりのボールが来た時、チャンスだと思った。違った。相方がラケットを目一杯伸ばしてあわあわしていた。センターを抜けてクロスに飛んでくる打球。センターに返した打球は勢いが足りない。鋭角に打ち込まれる。そのどちらも相方がひこにゃんであることを想定していた。
 あの男にとってのチャンスボールも、
 あの男なら横取りするボールも、
 今は自分が動かなければいけないものだった。当然あるはずの人一人分の責任を、無意識に放棄していた。

 打ちのめされる。何よりいけなかったのは試合中に変われなかったこと。
 下げさせられるなら、そこからショートクロスを。出られたなら、せめて決め打ちでもコースを。球速に変化をつけて、頭上が得意でない方にロブを。いくらでも選択肢はあった。でもとにかくスライスしか打てなくて、それが視野を狭めた。余裕がなかった。

 ダメだ。戦う意思を失っては。
 5本に1本。スライスはそのくらいで打たないと、頭以上に身体が基本姿勢を忘れてしまう。
 頭をかきむしりながら帰路に着く。その時、前を歩いていた女性が振り返った。
「以前何度か振替えで来てましたよね?」
 小柄なサウスポー。女優の濱田マリさんに似ている女性は「素顔初めて見ました。いつも黒いマスクしてましたよね? ここのクラスのレギュラーですか?」と続けた。「はい」と答える。私も初見でないと分かっていた。女性は普段、メガネくんのいるクラスにいた。
「今のクラス、なかなか時間合わなくて。また来ます」
 そう言い残すと女性は帰って行った。


 時々ある。それはおじいちゃんだったり、私より10以上も年上の女性だったり、驚くべきはその皆が皆、一様に敬語で話すこと。医者の力を借りて仕事をする時ではなく。ただ一人のプレイヤーに過ぎない私に、キラキラした目で話しかけてくるのだ。
「本気で打ってほしい」と。「またこのクラスに来てほしい」と。それはどこか私にとってのジョコに対する思いに似ているのかもしれない。何でもないただの一般人。それでも人に影響することがあると知れると、それだけで身に余る思いだった。
 マリさんな女性は知っている。メガネくんと打っている時の私を。だから今日、純粋に調子が悪いのだということを。それが分かったから声をかけた。今日の私しか知らなかったら、きっとそんなことはしなかっただろう。

 繋がる。思いもしない誰かが見てる。
 私は弱い。でもだからと言ってそこで立ち止まる訳にはいかない。

 誰しもがひたむきに向き合う。この競技と。
 傷ついても笑う。心から楽しいと思える瞬間が来るのを知っているから。


 だから私も負けない。









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