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あのぶどうはすっぱいに決まってるから、2【feat.中上級2、5】




 あくまで私がしたいのは試合ではなくラリーだ。
 公式戦は相手を選べない。ドロップショットばっか打ってくる人だったり、サーブだけで終わっちゃう人だと、休日に時間や労力をかけて不機嫌抱えて帰ることになる。それは直に平日に響く。ただ、だからと言って練習の中のゲームを楽しめなければラリー自体も安心して楽しめないので、試合で使える戦術ないし技を磨く。いつだって始まりはラリーに対する渇望からだった。そうして今、

 私はななコの受け持つクラスで都合のつく時間帯が中上級しかないためそこに行く訳で、公式戦に出るような人とまともにやり合う気はないというのが本音だ。もちろん打てる人達が集まるのだから楽しいけれど、その実私の愛は狭い。
 メガネくんは苦手なショットがなかった。多少得手不得手はあっても、全て7以上だった。基本的なショットが打てる前提で組む戦術。私のボレーはまだ7に満たない。中級だろうと中上級だろうとどうでもいい。私はただななコと打ちたかった。けれど。
 ななコが鬼とまともに打ち合っている時、ひこことナオトが打ち合っているのを思い出した。フラットverのそれは、鬼が高い打点から低い弾道で打ち込んでくる。それをななコがやけに小さく見えるラケットで真っ直ぐ合わせて打ち返す。


〈基本は打ち出しの面と角度。そこを徹底的に突き詰めていく。本当に繊細に、突き詰めていく〉


 フラットは速い。けれど打ち出しの角度を少しでも違えると容易くアウトする。事実、ななコはよくアウトした。
 ギラギラした目で笑う鬼。本気を出していい相手と打てる悦びが、ラリーのエアポケットにいる私にまで伝播する。ななコは引かない。同じサイドのコートにいた私は、ずっとその横顔を見続けていた。真っ直ぐ打ち返す。凄まじいスピードのボールが打ち込まれ続ける。本気で甘えられる相手は、このレベルだとコーチ陣の中でも限られるに違いない。いなしたり変化させることはできても、正面から向き合える存在はそうはいない。
 知ってる。
 鬼の、あの打球の重さを。
 重いのに、あれだけの速さを出したら完全に交通法に引っかかる。下手すれば怪我人が出る。鬼は私相手にボレストをやる時、打ち込んでは来なかった。あるいはラリーで「高い弾道のトップスピンを配球し続ければ勝手に潰れる」と分かったのかもしれない。結果的にその速さのギャップにこそ勝手にバランスを崩した訳だが。鬼は、たぶん私相手に2も使ってない。それは私にとっての球出しと一緒で、何球打ってもきっと変わらなかった。

 ななコは真っ直ぐ打ち返す。合わせてるんじゃない。きちんとキャッチして、自分色にして返す。それを打ち返すのもまた楽しいのだろう。鬼はベースライン一歩内側で躍動し続ける。ななコはベースライン一歩外。
 楽な仕事はないな、と思う。打球はこっちのネットにかかった。ななコは「お見事」と言った。

 音が消えない。
 一時全く機能しなくなった聴覚は、鬼とななコが打ち合っている間中、ずっと無駄に機能していた。だから。
 音が消えない。
 フラットの、ボールを潰す音。ななコは勇敢だった。
 一切あしらうことなく、自分では緩急とか言うクセに、鬼が純粋な殴り合いを求めているのを分かった上でそれに応じた。
 凄まじい集中力と、調整力と、筋力。
 この時私自身、きちんと自分がこの場所に見合っていないことを自覚した。










 私は、たぶん、出会ってはいけない人と出会った。










 ななコは打ち出す時、ラケットヘッドを完全に下へ向ける。初めて見た時驚いた。ボーリング打法。私が手首を使わなくて済むからラクとして、遠心力だけで出力していたそれ。間違っていると、コンプレックスだと思っていたそれを、あれだけの人も使っていた。

 私自身、ショートストロークが得意というのは、唯一この打法をいじっていないから。ロブと同じく、ほとんど先天的に組み込まれたショット。だから打つ時のポイントとかなくて、勝手に打てる。逆にボレーやサーブは後天的なもの故、一時合っても容易くぐらつく。
 実はななコが「もう一球」と言ったボレストは、正しく言うと「最初に入って3球+3球」に加え、全員と一通り打ったら交代のはずが「ここで終わり」と言って私の後ろにラインを引いて打ち出したために、おかわり3回分加えて計本来の4倍打っていた。
 前衛の前で落ちる打球。左右に振ってスライスを混ぜて。
 それはまるで踊っているようだった。ななコも、私も。まるでどんなわがままも通じるかのような。相手がきちんと受け取るのが分かるから。向こうもたぶん、私の足が追いつくのが分かるから。勝負しているのに、相手の嫌がることをしているはずなのに、それは、全てを赦されるかのようで。
 それはサーブからの半面ラリーでも同じだった。上下前後を使って、長く続いた駆け引きの後、バチコと仕留められると、悔しさよりも楽しさが勝った。負け方、というのがある。やり切ったけど負けたというのは、そこまでやれた自分の肯定につながる。

 そうだ。聞いてよ。今思い出したんだけど、私この日、ななコのスマッシュをオープンコートに返して点取ったんだよ(普通に狙ってきやがった)
 前衛からのドライブボレー2本、センターと逆クロに決めたんだよ。たまにそういうことがあるからクセになっちゃうんだよね。


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