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冷たい手(表)【テニス】



 松竹梅という分類は、もとは全て横並びで、今でこそ主に価格で分類されるものの、目的はあくまで区分。そこに上下はなかった。


 指先が冷たいのは心があったかいからと言ったのは誰だったか。
 冗談で触れ合える同性。同級生の誰かに違いないが、はっきり思い出せずとも文言だけでその表情が浮かぶよう。
 コロナが流行してこっち、触れ合うことに薄い壁のようなものが一枚加わった気がする。私個人は職場で仲のいい人が丸いすに座っていると無理やり一緒に座るし(迷惑)年末兄弟が集まれば妹と弟が並ぶこたつの一辺に無理やり入る(迷惑)
 当たり屋コミュニケーションは、発生するべくして発生していた模様。


 さて、テニスの振替で別のクラスに顔を出した。比較的昼間の時間帯は年齢層高めのようで、ゆっくりテニスをした。この「ゆっくり」、「のんびり」とか「気楽に」とかいうニュアンスではない。「ゆっくりしたラリーを実現するために全集中して」という意味だ。
 というのも、実は力ある打球は合わせさえすれば返るが、そうでなければこちらからも出力しなければならず、正確な打ち出し角度を求められるからだ。
 飛んでくる高さ、速さ、回転量から逆算して打点を決め、テイクバックの段階ではもうブレない。「僕の初級はここから始める」というやつだ。元々ボーリング打法だったせいもあって、ほぼ無回転で高さのある打球は、掬い上げるようにして同じ弾道で返していた。フラットのくせに後ろから押すことのできなかった私は、だからここに力と回転の加わったゴリリンが如き相手とのラリーなんてできるはずがなかった。

 初見の私に、戸惑っていた人たちが徐々に対面に入るようになる。きちんと合わせて返球する。飛距離を稼ぐため、女性陣の弾道は一様に高い。ずっとロブの打ち合い。一方じっちゃま達は打ってくる。膝とか肩とか腰とか大丈夫か余計な心配をするくらい打ってくる。


 ふと転職ってこんな感じなのかな、と思う。
 自分はこれができるという提示(例えば「サーブもらいますよ」とか「同じ速さでやり取りしますよ」とか)「この場におけるコップ一杯分の水」をパスした後、実際中の人達とコミュニケーションをとる。「慣れ親しんだところではあった容赦」がない状態からの自我の再構築。中には3歩圏内に返球しなければ返ってこない人もいて、3歩圏内に配球する。上下揺さぶるにしても一定の速度で。だってこれは目線を調整する練習。そうして私自身、キャッチの精度を上げていく。


 よく見ろ。


 つま先に力が入る。徐々に合ってくるテンポ。


 まだだ。

 最低限の労力で、最大限の出力を。
 一定の速度で。

 ゲームにしても条件は同じ。陣形を崩すことに注力する。いつだって女性として補われる側にいた私が、ここでは補う側に回る。「すいません」と組んだ女性が言った。40代からテニスを始めたという。
「不相応なのは分かっているけど、上手い人たちの中で打つ方が上達が早いと聞いて」
 それでもいいか決めるのはその時間帯に責任を負う人。
 伏せた目元。迷惑はかける。生きている以上。それでも今ここにいる。早く上達したくて。

 中上級、中級、初級。それまでは上下で区分していた。けれども松竹梅のように、例えば「その場所における制約」があったとしたなら。〈中級と中上級の違いはないよ〉という言葉が活きてくる。制約。例えばとあるクラスでは「相手の打ちやすいところに配球する」別のクラスでは「相手の嫌がるところに配球する」また別のクラスでは「相手によって配球を考える」としたら。それはただの区分。自分がどんなテニスをしたいかで居場所を選ぶ。

 テニスでいうペアは、実は周りから見るより影響が大きい。それはしょうがない。でも迷惑をかけると分かっていて、それでも今ここにいる。早く上達したくて。それなら。

 浮き球。味方がなんとか当てて返す。相手コートに返ればゲームは続く。から。
 揺さぶれ。相手を。伊藤あおい選手がよぎった。
 スライス。前に出る。並行陣からの味方の頭上を抜けたロブ。回り込んでフォアで逆クロス。相手の体勢が崩れた。再び前に出る。ボレーで落とす。なんとか拾われる。上がる打球。



 いけ。



「すごおい」という声が聞こえた。
 何のことなしに打ったロブ。「あれ、入ってるの?」と後ろで見ている人が言った。
 長く続いたラリーから得たポイントは喜びが大きい。緊張からの解放も相まって、一瞬で感極まる。


「すごいわ、あなた」


 そうして差し出された手。戸惑いがちに握った手はひんやりしていた。
 勝てるとうれしい。自分もそれに関わったと思えるとうれしい。
 だって「それ」が欲しかった。何よりこの競技の役に立ちたくて、だから怖くても、迷惑をかけると分かっていても今ここにいる。

 ふと誰も目を合わさずにコートを出て行った人たちを思い出す。

〈最後は人で?〉

 残るひんやりとした感触。
 どうしても卑下しがちだった。見合わなくて。でも

「上手な人の真似をするのが一番早いって聞いたの」

 最近目の合う人が増えてきた。そう言って綻ぶ目元。
 帰路に着く足取りが軽い人たちを見ることが増えてきた。


〈すごいわ、あなた〉


 別に感謝されたかった訳じゃない。けれど近頃勝てないことが続いていたために、知らず渇いていた心が潤うのを感じる。
 こんな私でも人の役に立つことができる。人を楽しませることができる。この競技の役に立つことができる。そう思えることは、あるいは「ただ自分が好きでしてるだけだから」という背中の寒さを感じずに済むのかもしれない。

 ひんやりした指先の感触。ほっこりした心。
 見る角度によって変わるもの。
 その実、補っているようで補われていたのは私の方だった。





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