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高校生

高校生が終わる。
受験とか友達とかいろいろ書きたいタイミングはあったけれど結局何もかけずに3月まで来てしまった。3年間のことをまるっと全部好きでいられるほどまだ大人じゃないけど、卒業式の退場の時友達の顔を見たらすぐに泣けてしまいそうで体育館のそれほど高くもない天井を見ていたのだから、結構楽しかったし寂しいんだと思う。
noteは誰も見ていなさそうで、きっと世界で5人くらいは読んでくれるから、その閉じているところと開かれているところのバランスがちょうど良くて好きだ。今このタイミングで字下げとかしたほうがいいかな?!って思ったけどなんかそういう不文律の日本のマナーみたいなのに正直疲れちゃってるからやめた。返信用の封筒に宛って書いたら返信する側はそれを消して様にしなきゃだめとかちょっともう気持ち悪い。初めはそこに気持ちがのっていたから美しかったのかも知れないけどすでにそれは煩雑な作業になってしまっているから好きじゃない。嫌いって言わないところに、3年分の成長があるし、それを言ってしまうところに大学での伸び代があるね。

正直高校生活どうだったのか、書いてみたい。お好きににどうぞ。すまないね、ありがとう。それなりーに勉強して、なんか運良く入れた私の高校は多分ちょっと変だった。外側はきらきら最先端!という感じだっだけど内情は結構保守的でこの学校すごい!と思うこともあれば、この学校終わりだよ、と思うこともあった。私たちよりもっと勇気があって強い後輩がきっと良い方向に変えてくれると思う。誠実で愛があって創造的な学校であってほしい。とにかく、やらせたいことと、生徒ができることの乖離がかなりあってついていける人はホンモノになっていったけどそうでない私を含めた大部分はやり過ごし方を覚えた。これは悪くないスキルだけど、悪くない止まりだからなるべく良いスキルを身につけた方が楽しい。これは自分に言っているから大学では肝に銘じておく。肝って見たことないし、そんなやつを信用できないので普通に爪とか、歯とかにも命じておく。タンパク質に絶対の信頼を置いている人みたいになって気色悪いけどいいか、

うわこの人めちゃくちゃ好きだ!もっと知りたいと思った人に限って、2ヶ月くらいでその理想からの距離に気がつき勝手に幻滅したり、こいつ誰だよって思った人こそ実は優しくて面白かったり、自分の人を見る目って当てにならないなあとつよくかんじた。だから3年生になってからはわりとオープンに人に話しかけるようになったし、自分から遊びに誘えるようにもなったからちょっと友達が増えた。好きな人には素直に好きって言った方が絶対いい。これきっとみんな4歳とかで気がつくのに、自分は拗らせすぎてやっと今気がつけた。よかったね。

3年間で1人で色々なところに行けた。人と作った思い出と同じくらい1人での思い出がある。1人で遊べるようになってから、人との距離を取れるようになった。友達がいなくなったら寂しいけど最悪1人で遊べるし楽しいから大丈夫かあと思えた。楽しいことの責任を全て自分で持てることが何もできなかった自分には刺激的だった。1人で山にもカフェにも本屋さんにも学校にもいける。そこでは、2人なら出会えないたくさんの人がいたから孤独も結局1人じゃないね。

受験勉強は高校生活のハイライトだと思う。自分に乗り切れるか本当に不安だった。今年から職員室の本当に真ん前の廊下に自習スペースが設置された。初めに担任がその存在をお知らせした時は、誰が使うんだよって思ってたし声に出てたけど結局自分が一番そこにいた。職員室の前の廊下でなきゃ、自分を律することのできない意志の弱さはどうかと思うけど結果的にそこでたくさん勉強できたのだし、先生と友達と一生ものの関係性を作れた。これから人生の折々で思い出して過去の自分を羨むんだろう。終わりは必ずあるんだけど、何をやっても進んでる気がしないし、誰も助けてくれないし、1、2年生の時に何もやっていなかった怠惰のせいで1からやり直さなければいけなかった。あまりにも出来なさすぎてもう何からやったらいいかわからなかった。あっという間だったとは言えない暗くて長い時間だった。どんどん周りの人たちや自分に余裕がなくなっていって心ない言葉が飛び交う環境が苦しかった。ただその分助け合おうとする力も三年間で1番だった。絶対にもう一度やりたくはないけど同時に素晴らしい時間でもあった。受験は本当に結果だけを見られるけれど、一緒に頑張った全員を心から尊敬している。

これからスキーに行かなきゃいけないし、書きながらバカみたいにポップコーンを食べているのがちょっと良くない気がするからこの辺でやめる。2000字も書いちゃった!スタイリッシュな文とか、効率とかそういうものの逆へ逆へいくよ!
高校楽しかった!いままでありがとう!

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