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私が愛した博士 (藝人春秋 Diary)

大袈裟かもしれないが、僕には人生を狂わされた師匠というべき人が3人いる。

一人はRHYMESTER 宇多丸さんだ。
中学生の頃、「MTV  SCREEN」の善兵衛と鉄兵衛で衝撃を受け、「タマフル」に出会い、シネマハスラーに傾倒し、今尚「アトロク」のヘビーリスナーである。宇多丸さんに出会うことが無ければ、HIPHOPを好きになることはなく、ラップをしている事はなかっただろう。映画もこんなに見る事はなかったと自認している。滋賀の田舎にいた自分に世の中にはこんなに面白いことがたくさんあるのだと指針を示してくれた。
今の自分を形成しているのは間違いなくあの頃に宇多丸さんと出会ったからだ。

そして、町山智浩さん。
町山さんの映画の見方・解説は自分の人生を豊かにしてくれた。
映画には全てに意味があって、何を意味しているかを解き明かす解説は衝撃的で、自分の教科書と言うべき存在だった。
あの頃、映画秘宝の発売を待ち、毎号本屋へ買いに行って、読む楽しみがそこにはあった。思想・信条は異なる部分があるかもしれないけれど、行動含め楽しませてくれる。新作が発売されるたびに何を語るのか今尚ワクワクさせてくれる唯一無二の存在だ。

最後が水道橋博士。
水道橋博士に直接的に触れたのは「キラキラ」だったと記憶している。それまではテレビでの微かなイメージしか残っていなかったのだが、金曜日の昼のラジオをPSPのポッドキャストで聴いた時に僕の関心はそちらに傾倒していった。
その後、メルマ旬報の読者となり、大学受験の前夜はせっかく東京へ来たのだからと勉強そっちのけで「ニッポンダンディ」に夢中だった。
博士をきっかけに多くの面白いものに触れることとなり、その考え方には傾倒していくものがあった。

その他にも影響を受けた方々は多くいらっしゃるけれど、今も人生の中心に存在し続けるのは上記の3名の方々であり、影響を受け続けている。

そんな中で、水道橋博士が新刊を発売した。
「藝人春秋 diary」
博士が『週刊文春』の連載「週刊藝人春秋Diary」全60作を完全収録した決定版! 水道橋博士が紡ぐ、芸能界から政界までの渾身のルポルタージュだ。

連載から現在に至るまで博士には多くのことがあった。
賛否両論を呼んだ箕輪厚介とのボクシング戦。たけし軍団のお家騒動。
そして、一時活動休止。復帰。

詳細については、博士自身が街録chでも語っている事であるので、僕が語るまでも無いことであると考えているが、一時期は本当に大丈夫かと不安になリ、就職等でそれどころではなくなったこともあって、心が離れかけていたことも否定出来ない。

それでも、博士は帰ってきた。
元旦の復帰宣言。藝人春秋2・3の文庫化。「ASAYAN」等これまで以上に精力的に跳び回る姿に元気になられて本当によかった。

そして、極め付けが本書の出版だ。
550ページに上る大著は博士のこだわりがこれでもかと込められている。
その一つである全編に掲載されている江口寿史先生のイラストは言わずもがなであるが、どれも絶品である。

そして、何より水道橋博士によって紡がれるエピソードが最高なのだ。
西野亮廣との沖縄での邂逅から始まり、相変わらず三又又三が登場するし、師匠・ビートたけしと悪友・太田光との奇妙な三角関係・幻となったやくみつるとのエピソードが語られ、古舘伊知郎をきっかけとしたファミリーヒストリーによって締められる。
(石原伸晃に突撃するコラアゲンはいごうまんの話なんて爆笑し、最高だった。)

その中でひしひしと伝わってくるのが、水道橋博士の生き様そのものだ。
日記芸人として生き様そのものを晒し続け、自分の信念に基づいて水道橋博士の視点から芸能界そのものを映し出す。これこそ水道橋博士の真髄というべき『藝』であり、唯一無二だろう。

人生はどこかで星座によって結ばれている。
これは僕が博士に教えていただいた中で最も影響されている言葉の一つだ。
一見、偶然の出会いと見せかけて、それはどこかで決まったいたと思わせるようなことが多くあるものだ。今、ここに僕がいることとも何かによって決められていることなのかもしれない。どこかで星座によって結ばれた運命的な何かで繋がっている。本著でも語られるエピソードは偶然でもあり、必然なのかもしれないと感じさせられる。

水道橋博士は語り続ける。今もなお。そして、未来も。
それは時折、賛否両論を巻き起こし、僕自身嫌悪感を抱くことがあるかもしれない。
それでも、それこそが水道橋博士であると考えている。
今後も博士が日記を紡ぎ、生き様を晒し続ける限りどこまでもついていく。
これこそが水道橋博士に人生を狂わされた人間の一人としての義務であり、逃れることの出来ない呪縛なのである。

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