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思索

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つれづれ。
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#トラウマ

委ねることが怖かった理由 冬至に浮かび上がったもの

わたしはずっと、この世界が怖くて仕方なかった。 周りが全員、敵だと思っていた。 冬至であらわになったものは、やっぱり「根深い恐怖」だった。 手を替え品を替え、あらゆる形で解放を促されてきたけど、結構深いところまで行ったな……という感じ。 毎年この時期、必ずと言っていいほど、母親絡みのトラウマが浮上する。 それを自覚したのは2019年の年末だったかな。 細かいことは忘れてしまったけど、その辺りから毎年。 それ以前からどうだったかはよく覚えてないけど、なんやかんや、毎年冬は

感情を解放するには、まず「自分」をしっかり安定させること

最近、心理療法の先生から何度も「いきなりトラウマに踏み込まないこと」「まずは自分の中に冷静な感覚を培うこと」と言われる。 しかし私は、自分を大切にするなんて考えもせず、この6年間、ひたすら、がむしゃらにトラウマに突っ込んできた。 あらゆる技法を試して、持ち前の集中力と底力でなんとかなってきたから、先生の言葉に、これまでの自分を否定されているような気がして、ここ最近は、治療院に向かうのが憂鬱になっていた。 昨日、「自分の中の欠落を埋めるには、感情を解放して受け止める必要が

自分の事は自分で救う

「過去の事はもう捨てていい」そう言われる度に、苦しかった。 過去に受けた心の傷を癒そうとこれまで頑張ってきたから、「おまえの頑張っていることは無駄だ」みたいに言われたような気がしていた。 * 「生まれてこないほうがよかった」 トラウマ治療に取り組み始めて間もなく、心の底からずるりと出てきたのがこの言葉だった。 この世に嫌気が差したという感じではなく、どちらかというと罪悪感で。私は、自分の存在が悪で、罪人だと、根底でそう思っていた。 けれど私は、自ら命を断つ事もでき

内なる子供との対話

幼い頃の心の傷は、その後の人生にあらゆる影響を及ぼす。20代半ばでそのことに気付いてから、傷ついた自分を癒すためのあらゆる手法を試してきた。 まず何が傷だったかを知るところから始まり、同じような形の傷に何度も出会いながら、少しずつ新しい経験をすることで、認めたり、手放したり、癒されたりしてきた。そして、まだそれは終わっていない。 「インナーチャイルド」という言葉がある。素直な感情、本音、本来の自分を象徴した子供のイメージであり、ありのままに生きられなかった傷ついた子供の姿

もういちど社会に出るためのささやかな一歩

私は今現在、在宅ワーカーだ。 今しているのは下請けの下請けみたいな仕事で、顧客はたった一社のみ。 およそ四年ほど、続けている。 本来なら、収入を増やすため、営業をかけて新規顧客を開拓したり、クラウドで仕事に応募したり、派遣に登録したりと、色々やりようはあるはずなのだけど、この四年間、頭の中で「やるべき」と思いながら、結局一度もそういったことはやらなかった。 とても恥ずかしい話だけど、名刺すら、ない。 もともと、在宅ワーカーになった理由も消極的なものだ。 転職と引越

心と体の関係がよくなってきた。「脳の断捨離」アクセスバーズ2回目を受けてからの変化

HSPのためのアクセスバーズ体験会がとてもよかったので、ねこのしっぽのるなさん主催のサロンそらいろで、2回目のアクセスバーズを受けてきました! 受けたのは8月8日(木)。施術時間は60分です。 ◆HSPのためのアクセスバーズ体験会レポはこちら 念のために概要を説明しますと、アクセスバーズとは、頭にそっと触れるだけで不要な思い込みを消去してくれるという、通称「脳の断捨離」と呼ばれるヒーリングのこと。 るなさんは、ねこのしっぽの相方りえさんとの間で「人にやってもらう瞑想」

脳の断捨離体験。 HSPのためのアクセスバーズ体験会レポ

頭の中に不要な思い込みやネガティブ感情、溜まってませんか? わたしはめっちゃ溜まってます!!! (知ってるよ!!!!って声聞こえてきそう。笑) ひょんなことから、「アクセスバーズ」という技法を知りました。 アクセスバーズとは、頭にそっと触れるだけで不要な思い込みを消去してくれるという、通称「脳の断捨離」と呼ばれるヒーリングのこと。以下引用します。 もともと、ゼロクロさんのHSPお茶会レポや交流会開催情報を見ていて「参加してみようかな…?(ふるふる)」と考えていたとき

一人でごはんを食べられない

最近、自分の気持ちを理解するひとつの手段として、あらゆる我慢や「〜しなきゃいけない」をあえてやめてみている。 そのことで、生活が困難になってしまっても、あえてそれをやって、観察して、原因や感情を探る、みたいなことをしている。 そんな中で気付いたのは、「わたしは一人でいると、ごはんを食べられない」ということだった。 お腹がすかないわけじゃないんだけど。お腹がすいても、「食べたい」とか「食べよう」とか、心から思えなくて。苦しいけど動く気が起きなくて、そのまま身体を動かせなく