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あの人を思い出す日


30代初めの頃、
夫のはじめての転勤先
八戸の生活は
およそ10年

これまで
縁のなかった土地での生活は
本当にたくさんの人々に
お世話になりました

なかでも
忘れられないのが
この方です






街の中心地に程近いところで
喫茶店を経営していた
ある女性

大きな二重瞼の
目のきれいな
びっくりするほどの美人
はじめて会ったとき、
宝塚の男役なの⁈と
見惚れてしまいました

そんな超絶の美人なのに
出てくることばが
「んだ、んだ」って!
(その後、南部弁だと知る)

はじめて聞いたときは
美形と訛りのほっこり感に
ギャップがありすぎて
びっくりしました!
まだそのイントネーションに
慣れていなかったせいもあって
衝撃を受けたように思いました。
一気に惹きつけられましたねー。


このギャップが
この方のみんなから愛される
最大の魅力なんだと
思います。

明るく華やかで気さくで
そしてあたたかくて、
いつも元気をもらっていました。



もともと、夫が前任者から
行きつけのお店ということで
教えてもらったという
ところでしたが
程なく家族丸ごとお世話に
なることに。
私たちも子どもたちも
「ママさん♪」と
呼んでいました。

小さなレトロな建物
見た目以上に中は凝っていて
シックな漆喰の白と濃い茶色の柱
ほのかに
ステンドグラスからさす灯りが
印象的でした。

流れる音楽は
ママさんのその日の気分で
ジャズだったり
シャンソンだったり
中島みゆきだったり
徳永英明だったかな?
ジャンルはさまざまにいろいろと、、


正面の漆喰壁の一面には
ママさんが大好きだという
オードリーヘップバーンの
モノクロの大きなポスターが
額装され
飾られていたのを
今でも思い出します。

一階はカウンターのみ
二階にテーブル席が少々
そしてほぼ常連さんの
行きつけの場所

置いてあるものすべてが
素敵で、ママさんの世界が
そこにありました。
居心地よいところでした。




メニューはコーヒーとピザと
あとは、日替わりのランチ
よくある喫茶店とは
ちょっと違っていました。

特にランチの内容が
特徴的で、
毎日、ランチメニューはひとつだけ
その日のメインと
野菜をふんだんに使った
お惣菜の数々が
いくつもの小さな小鉢に
目にも大満足な内容
お料理上手なママさんから
生まれた
家庭風料理が大人気

中には常連さんからの
食材、野菜のほか
魚介の差し入れもあって
(さすが港のまち)
それが調理されそのままメニューに
加わったりと
(ブイヤベースが最高)
ママさんの人柄ここでも溢れて
いました。

時には私も
そこでランチをいただき
四季折々のメニューを
教えてもらいます。
なんといっても
毎シーズン初めにお目見えした
「イカのおろし和え」
新鮮なイカならではの
絶品の一品
記憶も鮮明です

今の季節、
お茶の時間に行くと
なんだかいい匂い、、、
そう、
「焼き林檎」の登場でした

八戸にいる間
特に馴染むまでの数年は
絶えずママさんの明るさに
救われ、
励ましていただきました
子どもたちにもよくしてくださり
一番頼りにしていた方で
一番お世話になった方です。


八戸時代の終盤は
闘病と療養で
しばらくお店を
休業されることになりました

そして
もう、あの名物ランチを
いただく機会はないまま
私たちが
八戸を去る時を迎えることに
なります

震災直後で八戸の街も
混乱が続いていました
たくさんのお店が
閉まっていましたが
ママさんの体調のよい時に
ひっそりと空いてるお店で
最後に会うことができました
会えて本当によかった

しばらくして
日常生活に少しずつ戻られ
さらには
無理のない範囲で
お店も再開されている様子が
年賀状にありました


その数年後
再発のため再び入院
加療のなか亡くなられ
身内だけで送られたとの
連絡を受けました


、、、と、
当時をさまざまに振り返るとき
いつかこのママさんのこと
書きたいと思っていました。



今もあの建物は
残っているのでしょうか?




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