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今年も酒造りが始まった



今年も
酒造りが始まりました。

この季節は
かつての
私にとっては
気ぜわしさと緊張感に
包まれる季節

おまけに寒くなるばかりで
いろいろ相まって
どこか
どんより灰色に染まる
そんな時でありました。


酒造りを
この土地で
ずっとやってきたんだもの、
ここは寒いに決まってる。
寒くないと
いいお酒はできないんだから。


それを
当たり前の光景にして
育ってきたけど、
子供ながらに
両親や周りの大人たちの
緊張がひしひしと伝わる
この時期はやっぱりしんどかった。


そりゃそうよね。
酒屋にとっては一番大事なとき。
利益の大半を酒米にかけ、
設備にかけ、
夏から
造りの準備をする。

寒い冬の間、
お正月も関係なく、
夜通し
ぷつぷつ発酵しながら
育っていくその子たちを
見守り、
そして、その時を待って
一本一本丁寧に絞っていく。



私が生まれ育ったのは
日本酒の蔵元
小さい小さい蔵なので
家の棟の奥に
蔵が並ぶ

女人禁制なんて時代では
もうなくて
古い方の蔵は
仕事する大人たちに混じって
私たちの遊び場
かくれんぼするには
うってつけのところ


そこかしこに
神棚があって
絶えずそこに酒造りの
神様の気配が漂ってる、、、
そんな空気を感じながら
そこに居た



私がこの時期が
苦手なのは
毎年この時期になると
こうして酒造りが始まるから、
だと思う。
私のちょっと暗めなところ?笑
や、
やたらと心配症なところ?

なんかいろいろ
引っ張り出してきたけど
これらはこういった育った環境に
あったのかもしれない。


毎年、
この時期には仕込みが始まり、
これまでの生活が一転する
3月の終わりまでの
およそ半年。
家中が酒造り中心に
回るので
子供の私たちも緊張につつまれ
仕込みの慌ただしさが
ひしひし伝わる中、
朝から晩まで分刻みの
忙しさに追いかけられるような
そんな日々が始まる。



母と、
その時はまた現役だった祖母と
お手伝いさんとで
その生活を整え
私たち子供も
何かにつけて手伝うような
そんな環境だった。

あらかじめ
蔵入りの日は
父から聞かされ、
だいたい午後3時くらいに
おやっさんを始め
5、6人の蔵人さんが到着。
子供ながら、
そわそわした気持ちで
お出迎えした。

いよいよ始まる
そんな空気に包まれていた。

当日の夜は早速、
これから酒造りが始まる
顔合わせのような
御膳が用意される。

酒造りは神ごと
さまざまな工程ごとに
お祝い事があり、
普段は食堂で
慌ただしく済ます食事も
折々の特別な日は
奥の座敷の間を広げて
お祝いの席が設けられた。


どことなくお祭りにも似た
いつもと違う雰囲気に
数日前から食器や御膳を
蔵から出すお手伝いをしながら
子供ながらに
非日常も感じながら
こんな風に
ひと冬ひと冬を
過ごしてきた。

大人になってからは
前ほど手伝う機会も減り
どんなふうに過ごしていたのか
今思い出しても
鮮明なものはない。
が、変わらず、
杜氏さんたちと一緒に
暮らしていた、という記憶が
そこにある。
だいぶ機械化も進み
合理的になっていたように
思うけど。


結婚して家を完全に
離れた時は
あの慌ただしさから
解放された安堵感を
一番に感じた。
だけど、
朝起きてきた時の
もうすでに蒸気が立ち込める
熱気のある様子や
「酒造り唄」を
感じられないのは
ちょっと寂しい気持ちもした。


おやっさんや蔵人さんとは
半年間、
こうして共に過ごしていたので
半年毎に会う家族みたいだった。
そんな長い時間を経ると、
ずっとお世話になっていた
おやっさんも
当然、
かなりの高齢に。
と、同時に
弟が造りに携わることになり
師弟関係を保ちつつ
おやっさんは引退に。

新酒が絞れると
真っ先におやっさんに
届けていた。
おやっさんからも
折に触れ、沢山の新鮮な魚
奥能登の立派な原木椎茸が届き、
近くに住む私も
その度にお裾分けを頂戴していた。


2017年、
夫が金沢に異動になってからは
月一、私は遊びにこの地に行っていた。
4年間、通う間にふと思い始めた。
いつか、能登へ
おやっさんを訪ねてみたい、と。

両親も高齢になり
なかなか叶わなそうな
おやっさん訪問、
私が代わりに行こう。
今行かないと、もうその機会は
ないかもしれない、そんな気がした。
そしたら金沢最後の年
昨年、夫が叶えてくれた。
珠洲まで会いに行った。

金沢からも片道120km
2泊3日の金沢滞在の中日を
それに充ててくれた。
朝出ないと到着は午後になると、
早い時間に出発。
おやっさんに、
あらかじめ連絡すると
大層になることを予測して
失礼を承知で電撃訪問することに。

私も高校生の時に
父と一緒に訪ねて以来。
道中は殆ど覚えていない。
辿り着けたらいいな、
くらいに思ってた。


でも、
あっさりと
見覚えるのある
あの大きな立派な家を
見つけてしまった。

もう雪囲いがしてあった。


おやっさんは
腎臓を悪くされ、透析治療中と、
聞いていたので
すっかり家で養生されていると
思っていたら
「山に杉の木の伐採に
行ってるのよ」と、奥さん。
相変わらず、パワフルだった。

とにかく、奥さんに会えただけでも
よかった。
祖母のお葬式以来。
私のほか、妹弟のこともよく覚えていて
くださってる。
お昼時真っ只中だったので
両親や家の近況を伝え、お暇した。

おやっさんには直に会えなかったけど
相変わらずパワフルだってことを
早速両親に報告し、喜んだ。
私はここに来れた。
長女としての役目を果たしたようにも
思えた。満足だった。




そんなおやっさんの
訃報が
昨日母から届いた

隣にいた夫に話すと
「去年、
行っておいてよかったな」
と。本当に、よかった。


直接会えなかったのは残念だったけど、
それはその時の縁。
気持ちをそこに残さずに
済んだのがせめてもの救い。



おやっさん、93歳

40年もの長きに渡り、
蔵を守ってくださって
本当に本当に
ありがとうございました。
在し日のお姿を思い返し
感謝の気持ちでいっぱいです。
心よりご冥福をお祈りします。


今年も造りが始まっています。


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