見出し画像

自己紹介兼、人生紹介

はじめまして。シブヤカンナです。

多分これを読んでくれてるほとんどの人がはじめましてではないと思いますが、最後まで読んでくれたらうれしいです(__)

配信でも何度か話してる内容にはなるんだけど、内容を深く掘り下げてみたいと思います。

音楽サブスクに入ってる方は、杉山清貴&オメガトライブ/Dear Breeze
聞きながら読んでみてください。大好きな曲です。


2003年の9月20日、青森県に生まれました。

その後はすぐに仙台に引っ越し、年中さんの頃から父が経営していた塾に通い始めました。それのせいか、おかげか、勉強嫌いになってしまったことはさておき。

当時から文系だといわれ育ち、作文用紙と真っ白な大量のコピー用紙がお友達でした。作文用紙には自分の考えていることを永遠に書き溜めたり、コピー用紙には絵をかいたり詩を書いたり、何を描くも自由。何でもない紙を取り出して何かを生み出す時間が至福でした。


私が初めてワンコーラスを完成させたのは、多分小学二年生の時。
いまだに歌詞も覚えてます。

やりたいこと決める覚悟、そんな日はこないの
生きているだけで十分
歌を響かせ

日本語の意味は成り立ってないけど、なんでこんな歌詞7歳で思いついたんだろう(笑)
でも自然とこれが癖になり、今でも曲を書き続けています。

渋谷家の長女として生まれた私は、昔から重荷を背負わざるを得ない場面がたくさんありました。

仕事で普段はほぼ家にいない父と、週末にクイズ大会をしたり、ドリフを観たり、スキーに連れて行ってもらったりする時間が楽しかったです。

母は、常にヒステリックで、すべてを否定してくる魔物でした。
何をしていても嫌味しか出てこないモンスター。
つい最近まで、家族で食卓を囲む時間が苦で仕方ありませんでした。
母に逆らったものなら、目の前で茶碗を割り箸を折り、ダイニングテーブルをちゃぶ台返し。昭和のギャグマンガのようなキレ方をしたしまいには、油でギトギトのまずい肉炒めを捨て始めます。
これが日常のごく一部であったこと自体が今では信じられません(笑)




まあそんなこんなで頑張って生き延びた私ですが、
ついに人生の転機が訪れました。

師走。
その日は、もう何年も使っていなかったエレキギターをクローゼットの奥から引っ張り出し、切れたまま放置していた1弦を張り替え写真に収めて授業に向かうため家を出ました。
毎回席が変わる授業で、最後の4回だけはプレゼンのために固定班で行う珍しい形態。そこでプレゼンのためにインスタを交換したその時、さっき気まぐれでストーリーにあげたギターの写真をみられて、軽音の部活に誘われました。
ばかくそつまらん大学生活で、サークルだのなんだのわけのわからない集団に偏見が凝り固まっていた私。

その場の流れということで適当に流すつもりが、人生で一度くらい遊んでみようという気になり、即日入部。



変わった一日だったなと帰宅した瞬間、あるURLが送られてきました。

ちゃくら‐海月 (official music video)

”高校の同級生がバンドやってるから見てみて”とメッセージ。
同い年の子がバンドをやっているという衝撃と、心地よすぎるメロディに完全に心を奪われました。

はじめて、ライブに行ってみたいと思ったのもその日でした。

1弦を張り替え、部活に入り、ちゃくらに出会ったあの日は
今の私のすべてを作っているといっても過言ではありませんね。

暇さえあれば部室で過ごし、週末はちゃくら、家に帰ればギターを弾いて。なんて幸せなんだろうと感じる日々。
終わってほしくないなあ。




過去がどんなに暗くても、しんどくても苦しくても、それが犠牲になってくれたおかげで今があるのならそれでいいです。

どんどんくだらなくなっていくこの社会で、私は変わらず幸せでありたい。
欲張りだから、まだまだ楽しいことを探し求めて、歌います。


せっかくの自己紹介なので、一番好きな言葉を残します。



”私はまだいける”



自分を強く持たないとやってられないですからね、私の中では他責で生きることほどつまらないことはないと思っているので、今日も気まぐれに、やりたいように、生きます。


こんなことを書いていたら朝が来てしまいました。
日曜日の朝は静かで柔らかくて好きですよ。
自己紹介になってたかはわからないけど、私をよく知ってもらえる機会にはなったんじゃないかと思います。

おやすみなさい!





この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?