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黒珈琲



真っ黒の液体。カップの内面に触れているところは深い茶色を帯びている。
一口啜ると、Theコーヒーというガツんとした苦みと酸味が押し寄せてくる。そのあとには、まるで甘やかしてくるように香ばしい豆の香りが鼻を抜けていく。





十二のとき、
はじめてブラックコーヒーを口にした。

まだ浅く、記憶の短い人生だったから、「人生初」という肩書を残していてくれている物事が先の見えないほど残っていた。

丁度、中学に上がり友人もちらほらできてきた時期だったと思う。
昔から夜更かしに憧れがあったからか期末試験というどうせ大した成績も残せない行事にこじつけて、勉強会とは名ばかりの夜通しビデオ通話をした。

夜は大人の時間という幼気な固定概念から、
まるで悪いことをしているかのようで心底わくわくした。私はここで、「オール」という言葉も知ったのだ。


この日だけは、
少し大人というものが分かった気がした。


夜更かしを存分に楽しむためには、睡魔へ負けの交渉しなければならない。

睡魔と戦える武器といえば、カフェイン。
カフェインといえば、エナジードリンクかコーヒー。

しかし当時の私はやけに真面目だったせいで、エナジードリンクの「15歳以上」という注意表記に酷く怯えてしまって飲めなかった。規制はされていないものの、お酒と同じ感覚だったのだ。唯一飲めるエナジードリンク(?)といえば、ペットボトルに入ったデカビタだけだった。それさえも背徳感に襲われながら、ちまちまと飲んでいた。

となると、カフェインを摂取する方法は珈琲一択だった。

コーヒーなら、粉末状になったインスタントコーヒー瓶が家にあった。
母にコーヒーを入れたことがあったから作り方も知っている。

ここで私は、珈琲デビューを果たしたのだ。

彼女は十二歳。中学一年生。長女だったからか幼少期からものすごく生意気で、「中二病」といういわゆる背伸びをして”痛い奴”になってしまう病気を患っていた。進行状況はステージⅣ。二十歳を迎えた現在も、絶賛治療中である。もう救いようがないが。

その中二病少女にコーヒーなど持たせてしまったら、期待を裏切らない。

砂糖なんていれるわけがない。

甘いものが苦手だったから、
余裕だと思っていた。

それに、スターバックスでパソコンをカタカタ云わせながらブラックコーヒーを啜るかっこいい大人に憧れていた。
きっとこれが一番大きな理由だった。

かっこいい大人になった気になっている彼女は、淹れたての熱々コーヒーをついに口に含んだ。


苦すぎだろ。という素直な感想をぐっとこらえて、

「コーヒー意外と美味しいわ」

とかほざいた。

正直、これを飲むために稼いできたお金を払っている大人全員を変な目で見てしまった。なにが朝の一杯だよと。


暖かいコーヒーを三割ほど頑張った後、体も温まったことでそのまま絶望感を抱きしめて、深い眠りについた。


この日だけは、少し子どもになった。







しかしその後も憧れは諦めずブラックコーヒーを飲み続けていたら、いつの間にかおいしく飲めるようになっていた。
一人暮らしの家にはコーヒー瓶が常備してある。
冷え込んだ朝は、必ずホットのブラックコーヒーから始まる。


きっと舌だけは、大人になれたのだろう。








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