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5月8日(3)土石なだれ

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磐梯山1888年土石なだれが広がった範囲を薄いピンクで示します。風船は埋まった村。赤いほど死者が大勢出ました。死者合計477人でした。

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磐梯山頂(裸地と赤い屋根の山小屋)の上空から見た1888年崩壊凹地と土砂がせき止めてつくった檜原湖、小野川湖、秋元湖。

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ワシントン州のセントへレンズ山は1980年5月18日に北に向かって崩壊して、大規模な土石なだれが発生しました。

快晴の日曜日の朝に起こったこの崩壊は、近くでキャンプしていた地球物理の大学院生ローゼンクイストによってつぶさにカメラに収められました

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上の画像をクリックすると、Gifアニメが別ウインドウで開きます。動きます。山が崩れて荷重が除去されたために、山体内部にあったマグマが勢いよく噴き出しました。崩れた山が土石なだれになり、噴き出したマグマが熱雲になりました。熱雲は少し遅れて走り出しましたが、途中で土石なだれに追いついて抜き去りました。

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ローゼンクイストが連続写真を撮影した場所です。案内板が設置されて観光スポットになっています。当時はいまのようなデジカメではなく、35ミリフィルムでした。レバーでフィルムをいちいち巻いてからシャッターを押す手順でした。次のシャッターを押すまでにかかった時間は、画面左下に映っている通常の雪なだれの移動速度から割り出されました。上のGifアニメは、そうして得られた時間間隔で動かしています。画面が右に振っていて、あたかも崩壊する方向を知ってたかのようにみえますが、異変を知ってあわてたローゼンクイストが三脚を足に引っ掛けたからです。崩壊前の写真(案内板右上)はセントへレンズ山を真正面にとらえています。

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1997年に撮影した土石なだれの表面には多数の流れ山があって、でこぼこしていました。火砕流やラハールのような平坦ではありません。

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2016年に撮影した写真です。流れ山のあいだに緑が侵入してきました。

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土石なだれは、遠くに見えるスピリット湖を通り過ぎて対岸までのし上がりました。湖面には裸になった多数の大木がまだ浮いています。

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浅間山も2万4300年前に大きく山体崩壊しました。長野原町応桑に見られる双子の流れ山です。

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長野原町応桑のドローン写真です。多数の流れ山があることがわかります。平坦面は畑として利用されていますが、流れ山の斜面は林のまま放置されています。

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塚原土石なだれの分布です。群馬県側は吾妻川に沿って下り、前橋高崎伊勢崎地域に厚さ10メートルの堆積物として広がっています。長野県側は千曲川に沿って下り、上田城まで届きました。

※もっと詳しく知りたい人は → 浅間山の山体崩壊と土石なだれ

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岩手山は7000年前に崩れました。北東山麓に展開した平笠土石なだれの表面にも多数の流れ山が見られます。手前の大きな流れ山は、大更の八坂神社です。

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1640年7月31日、北海道駒ヶ岳が南東方向に崩壊して土石なだれが海に入り、津波を発生させました。沿岸で700人以上が死亡しました。大沼公園に見られる多数の島々はそのときにできた流れ山です。

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30万年前頃に八ヶ岳南部が大規模に崩壊して大量の土砂が甲府盆地に流れ込みました。韮崎土石なだれと言います。その堆積物先端は韮崎駅のそばにあって、比高50メートルの崖をつくっています。七里岩と言います。雲をかぶった山が八ヶ岳。左は釜無川。

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韮崎土石なだれの流れ山はとくに大きくて、比高が90メートルもあります。世界最大級です。手前の線路は中央本線。

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土石なだれ堆積物の断面には、色とりどりの地層がつぎはぎされたパッチワーク構造が見られます。色の違いは、山体を構成していた部分の違いです。

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これも別の場所の浅間山塚原土石なだれ堆積物です。地層のブロックが変形こそすれ、混ざり合ってないことから、土石なだれは高速で移動する地すべりのようなものであることがわかります。

まとめ

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これらの流れがどこまで届くを知ることが、防災面からは重要です。到達距離を支配する最大要因は噴出量です。大量の物質が動きに参加すると、遠くまで届きます。

それ以上の考察は、上のスライドに掲げたキーワードをネット検索して自分で勉強してください。

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