見出し画像

富士山の御殿庭モレーンをつくる堆積物

氷河が残した地形であるモレーンが富士山にあることを2016年10月にみつけた。このnoteでも、2019年11月に記事を書いて紹介した(富士山の氷河)。しかし、モレーンが地形としてもっともよく残っていると私が見ている御殿庭は1707年宝永噴火の噴出物であるとする見解が、2019年5月に2グループから発表された(御殿庭は1707年噴出物か)。

今回、モレーンをつくっている堆積物をよく観察する目的で、水ヶ塚公園を発着する一周ルートを調査した(2020年6月2日)。行きは須山口登山道で御殿庭まで登り、帰りは自然休養林歩道で幕岩を経て下った。

画像14

紫の細線が6月2日の調査ルートである。御殿庭モレーンの排水溝を遡り、モレーンの東腕を、小天狗塚に向かって下りた。

画像14

須山口登山道は、宝永第三火口モレーンから排水する谷に沿って付いている。登山道に露出するスコリアれきはあまり発泡していなくて、水冷されたガラス光沢をもつものが多い。

画像15

9世紀の溶岩に覆われていない地表は、平滑な扇状地になっている。アウトウオッシュと呼んでよいかもしれない。

御殿庭モレーンの南端に着いた

画像2

御殿庭モレーンの排水溝と自然休養林歩道の交点(標高1960メートル)から宝永山(赤岩)と山頂を望む。手前の左右の崖がモレーンの断面。その間が排水溝だ。

画像8

大きな気泡をもつアア溶岩の大きなかけらが、いくぶん摩耗されて丸みを帯びている。御殿庭モレーンが、たとえばタフリングのような噴火で直接できた地形だと考えるなら、このような岩塊が含まれていることが説明できない。

画像3

モレーンの断面はこのように見える。角張ったれきが互いに接していて、空隙を砂が充填している。あまり発泡してなくて、水冷されたガラス光沢をもつ。そして、高温酸化された赤いスコリアが随所にみつかる。急冷された黒いスコリアとよく混ざっている。噴火で堆積したままの地層ではない。

画像9

深成岩のかけらも含まれている。

画像10

普通輝石の大きな斑晶が目立つ安山岩のかけらもみつかる。このようないろいろな種類の岩石が(いくぶん摩耗して)含まれていることは、氷河が運んだティルであると考えるともっともらしい。ティルは堆積物を、モレーンは地形を、指す専門用語である。

画像5

断面に、火山弾が着弾してつくった衝突クレーターは認められない。大きな岩塊の下の地層がたわんでいることはない。したがって、この堆積物と凸地形が火山噴火でつくられたとは考えられない。

画像6

排水溝上部のモレーン断面はこう見える。水冷効果が弱く、スコリアが発泡している。

画像7

それでも、大きな岩塊の表面は水冷されてパン皮のようなヒビができている。

東隣の谷壁には宝永ラハール堆積物が露出する

このあと、御殿庭モレーンの上に出て、東腕を小天狗塚に向かって下った。自然休養林歩道に出たら東に向かい、三辻で谷沿いに幕岩まで下った。

画像11

ここは、小天狗塚を挟んで、御殿場モレーンの排水溝とは別の谷である。ガラス質の角れきが積み重なった断面がよく露出する。

画像13

よく観察すると白い軽石粒がみつかる。これは、宝永噴火(1707年)の堆積物だ。御殿庭モレーンの断面ではそこらじゅうにみられた高温酸化した赤いスコリアがひと粒も含まれてない。青黒いスコリアばかりだ。

画像14

白い軽石れきもみつかる。黒の縞がはいった軽石もある。この堆積物で埋没した森林を宮地ほか(1985)がよく調べて復原している。森林を埋没させるほど厚い堆積物だから、噴煙柱から降下したとは考えられない。等値線からこの地で期待される厚さは25センチである。その10倍以上の厚さがある。スコリアは小さく、岩片は大きく、降下物としてふさわしくない。ふるい分けられていない。宝永噴火直後あるいは噴火中に、谷を下ったラハールが残した堆積物だろう。御殿庭モレーンのような凸地形はつくっていない。1707年噴火は12月に起こった。冬だったから富士山には積雪があり、それが融けて下った。

結論

・御殿庭は氷河がつくったモレーンである。噴火でできた地形ではない。
・幕岩の谷に宝永噴火直後のラハール堆積物が厚く露出するが、谷がひと筋違うので御殿庭には連続しない。

追記
幕岩の谷にラハール堆積物が露出するとしたが、ラハールではなくて斜面崩壊による滑動堆積物だと解釈を改めた。(2023年6月22日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?