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北アルプス稜線に鷲羽池をつくった6000年前の噴火

北アルプスの鷲羽岳(2924メートル)はジュラ紀のカコウ岩からなる。その南東山腹に直径300メートルの火口が開いている。火口底には広い平らがあって夏季は水をたたえて鷲羽池が出現する。

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この写真は、ドローンを用いて2021年9月28日に撮影した。火口地形は新鮮で、氷河による浸食を受けていない。したがって、この火口は前回の氷期が終わったあと、すなわち1万年前以降に生じたとみられる。

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火口を取り巻く内壁には、花こう岩ではなく、安山岩溶岩が厚く露出する。つまり、この火口をつくった噴火の前から火山がそこにあった。火口底には、崖から転げ落ちた大きな溶岩塊が多数散乱する。

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安山岩だけでなく、鷲羽岳頂から落下してきた花こう岩も少数ながらみつかる。中央の角張った白色岩塊がそれだ。

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注意深く探すと、黒いスコリア岩塊もみつかる。

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そういえば、鷲羽岳につけられたジグザグの登山道でもっと大きなスコリア塊を見た。それは、鷲羽池から3キロ離れた双六岳巻道で初めて現れた。鷲羽池をつくった噴火を引き起こしたマグマだろう。

ドローンを飛ばして火口の外側斜面を観察した。

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地肌が大きく露出した崖が南西側にあって厚い砂礫層が見える。鷲羽池をつくった噴火が残した堆積物だろう。

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接近して観察すると、するどい稜を持った角礫ばかりだ。砂礫層の上部がやや風化していて、その上に飛砂が堆積している。

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南へ目を向けると、薄い玄武岩溶岩が一枚、斜面を流れ下っているのがわかる。

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鷲羽池火山の地質図。赤:6000年前の噴火堆積物、紫:その前からあった溶岩

鷲羽池をつくった噴火が残した堆積物を赤色で着色した。紫色は噴火前からあった溶岩だ。中野俊さんによると12万年前だという。2キロ流れた先で、氷河がつくったエンドモレーンに行く手を阻まれて止まっている。鷲羽池から1キロまでの範囲は、鷲羽池火口近傍を除いて、浸食されて失われていて、いまはない。いずれにしろ、この火山は小さい。円錐形の火山体は構築されていない。

では、鷲羽池火口から噴出して周囲に堆積したテフラを調べてみよう。

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三俣峠

鷲羽池の南西2キロ、三俣蓮華岳のカール底にあたる三俣峠にもっとも重要な露頭がある。砂礫が露出した地表の脇に、褐色火山灰層のなめらかな断面が草に覆われて露出している。

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近づいてよく観察すると、多数の火山豆石が認められる。互いに接触していなくてマトリックス(基質)の中に浮いている。欠けた火山豆石もみつかる。爆発的噴火で上空に立ち昇った火山灰雲から落下して、地表をはって流れている火砕流の上に降り注いだのだ。火山豆石は、この近くで火山噴火があったことを示す直接的な証拠だ。鷲羽池-三俣火砕流と呼びたい。

ここは標高2750メートルの高地だから、しかもカール底だから、氷期は氷に覆われていた。少なくとも周氷河環境にあった。もしそのとき噴火したら、堆積物は地層として残れない。氷が融けるときにいっしょに洗い流されてしまうか、裸地に働く風食によって迅速に取り去られてしまう。1万年前に氷期が終わって温暖化した以降に噴火したのでなければ、堆積物がこのように残ってはいない。

火山豆石をつくった火山灰雲は風に流されて水平に移動した。したがって、噴火時は北東から風が吹いていたことがわかる。降下火山灰の分布軸は南西に向かうはずだ。

じつは、ここに火山豆石があるのは、いまから27年前、1994年8月に高田将志さんに案内されて来たときに気づいていた。そのときの写真だ。

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1994年8月の三俣峠

27年間、この火山灰露頭はほとんど変わっていない。あのときも、いまも、自然のままでとてもよく観察できる。ただし、断面は毎年後退しているとみられる。27年前の断面には斜交層理が見えたが、いまは見えない。

@Chiba_shunsuKさんが鷲羽岳から撮影した写真に三俣峠を加筆、2022年9月14日


鷲羽池の南5キロにある花見平は、古い火砕流台地の上にある。粉砕された火砕流堆積物からなる飛砂が厚く積もっている。

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花見平

その北端の登山道沿いに広くて観察しやすい断面がある。厚い飛砂の上に泥炭が重なり、さらにその上に褐色の火山灰が重なる。三俣火砕流が噴出したときに空高く舞い上がった火山灰がここに降り積もったのであろう。鷲羽池-双六火山灰と呼びたい。

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双六火山灰は、鏡池の下の登山道でもしっとりとした真っ黒な泥炭の中に明瞭なバンドとして露出する。この泥炭中には7300年前に鬼界カルデラから噴出したアカホヤ火山灰が挟まれていることが知られている。大角泰夫ら(1971、第3報第4報)によると、アカホヤ火山灰は双六火山灰の5センチ下にあるようだ。

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大角泰夫ら(1971、第4報)の第1図。火山グラス層がアカホヤ火山灰。

花見平の写真でねじり鎌の刃の位置にある白い筋がアカホヤ火山灰だろうと現地で思って、試料採取したのち室内で水洗いして検鏡したが、残念ながら違った。

2年後の2023年8月に再訪してその層準からもう一度試料採取しました。今度はアカホヤ火山灰のバブルガラスが顕微鏡下で確認できました。

この地の泥炭堆積速度を4センチ/千年と見積もると、時間差は1250年になる。双六火山灰は6000年前に噴火したことになる。

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6000年前の噴火地図。赤塗:三俣火砕流、赤細線:双六火山灰10センチ

今回の調査結果だけでなく、1994年8月調査結果と文献資料も用いて双六火山灰の等厚線を大胆に見積もった。鷲羽池火口からではなく、赤く塗りつぶした三俣火砕流の上面から噴煙柱が立ち昇り、北東風に吹かれて火山灰雲が南西に流されたと考えた。

10センチの等厚線が60平方キロを覆うから噴出物の量は7000万トンとなる。この見積もりには三俣火砕流も含む。噴火マグニチュードは3.8である。これは、御嶽山2014年9月27日噴火の140倍にあたる。

鷲羽池は、弥陀ヶ原と焼岳のあいだのギャップをいい感じに埋める。

まとめ

前回の氷期が終わってしばらくたった6000年前、北アルプス鷲羽岳の南東山腹から噴火が始まって三俣火砕流が発生した。同時に双六火山灰が南西方向に降った。噴出物は7000万トンだった。直径300メートルの火口内に鷲羽池が生じた。

(2021年9月27-29日現地調査、10月1日執筆公開)

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