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285日後に25万もらうためのノート

ワニ

どこぞのワニ。

そもそもこのノートを始めた理由は、関野翔太くんというド変態に、100本記事書いて5本仕事が来なかったら25万くれるとそそのかされたからだ。

けど、まだ記事は10本にも達していない。当初、月10本も書かなくていいんだ。余裕だと思っていたら、なんやかんやと演劇なんぞやっている間に2ヶ月が過ぎ、間も無く3ヶ月が経とうとしている。

これはやばい。285日後に25万、もしくは仕事を5本手に入れるために書かなきゃいけない。

とはいえ、演劇なんぞの記事を毎回書くにも、書くことなんかすぐなくなるので、今日は最近話題だったどこぞの広告ワニについてちょろっと書いて、やったぞ記事を書いたぞという気分になろう。

100日後に死ぬワニは、12月12日から更新が始まり、つい先日、3月20日に連載が終了した。まぁ、概要とかはwikiを見ていただければと思うのですが。

で、この色々な疑惑のあるワニなんだけど、今回はそんな色々な疑惑が本当だったとか、違ったとかいうことはどうでもよくて。
だって、ワニが批判されてる理由もよくわかるし、擁護されてる理由もわかるから。

じゃあ、何を書くの?っていうと、結局最終的には広告代理店が絡んできて、結果100日後に書籍とか映画化が発表されて、炎上してるこの状況については思うことがあるので書きます。

それは僕たちの「リテラシー」は結局成長していないのではないかということ。

いくらテレビの影響とか、ツイッターやブログのステマなどの批判を繰り返しても、結局、昔から続くメディアミックスだったり、そう言った過剰なまでの宣伝でコロッと集団が動くことに僕たちの「リテラシー」が昔のままだったということを強く感じたということ。

犬神家の一族

日本初のメディアミックスと言っても過言ではないご存知「犬神家の一族」


僕の芝居のテーマはいつも「リテラシー」というのが根底にある。
この情報社会の中で、得ようと思えば他人の素晴らしい知見や特殊な違った見方が簡単に手に入る。
そしてそれをあたかも自分の意見のようにいうことはとても簡単なことなんだけど、それを本当にあなたの考えなのって問い直す作業って絶対必要だと思うんですよ。

いろんな意見があって、「こう」という自分の意見は本当は他人の意見なんじゃないか?そう疑うこと。情報を自分なりに解釈すること。これがリテラシーだと思うんですよ。

でもこのリテラシーというのが、どんどんなくなってるとずっーと感じている。世の中のより多くの意見を目にするようになったのはツイッターが出た頃だった。その時からずっと疑い続ける僕のテーマなんですね。

4年前に「この街がなくなる」という大批判と少しの賞賛もらった芝居をやりました。
あらすじは、簡単にいうと、過疎化した街を、芸術を少しかじったけど売れなくて故郷に帰ってきたボンクラたちがアートで街おこしする話。

この街



で、結構ありえないけど、当時の社会的なニュースだったり実話をボンボコ話の要素に組み込んだんですね。まぁ、実話を元にっていうスタンスが当時はあったんですけど、過剰なまでに取り入れたんですよ。

そしたらそれが一つの原因で大批判の嵐を起こしまして。
突然おかしい・ありえないとか。まぁ、それこそワニの事故にあって死んだとかその類の話だったんですが、物語に熱中する人たちにとってはそれが理解できない。
だって前振りがないじゃんってことなんだろうけど。人生ってそういうもんじゃん。と。ワニと変わんないじゃん。と。

まぁ、ワニは100日後に死ぬと分かってんだろという振りがあるけど。
でもそんな振りをしなくても現実の事件にあったことを書いてるし、それをおかしいと言われるのはリテラシーが低いんじゃないの?って当時は思ってた。
まぁ、今も思ってる節はあるけど、この芝居はこの芝居でダメなところがいくつもあった。そもそも挑発的すぎたなという反省もある。

今回のワニの一件をみてそんなことを思った。
いつものようにあまりまとまってないけど、僕たちのリテラシーはあの頃からどうなったんだろうと、ワニを通じて改めて考えるきっかけになった。

そして、その答えはあまり変わってないということだろうな。
これが変わる時が、本当に何かが変わる時なんだろうって思う。


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