雨の話

雨が好きだ。

僕は小学校の時に野球部に入っていた。

野球のルールも知らなかったし、球技の楽しさというものは微塵もわからなかった。

僕は剣道がやりたいなと思っていた。
でも、1学年20人の男子9人の田舎の学校で剣道やる人はほぼいなかった。というか野球と剣道という二択でほぼ全員が野球を選んでいた。

人生で唯一親に入れられたような部活だった。

野球部は地獄だった。
他のみんなはルールも、何となくキャッチボールもできていたけど、ボールのとりかたからだった。

そこそこ頭も良く、学年でもリーダーのような立場だったので、全然できない野球によって、友人たちからの「あ、こいつ野球はできないんだ」ってな感じの視線を大いに受けた。

それはとても辛いことだった。
というか恥ずかしかった。

僕はルールもわからないから、どのポジションをやりたいですかと聞かれた時に、一番みんなが答えていた「外野」と答えた。いかにも謙虚な田舎の小学生らしい回答だった。

「外野」はどうやら「フライ」という高く打ち上げた球が来る場所だった。
外野ノックの時間は恐怖の時間だった。

僕は「フライ」を半年ほどとることができなかった。
なんとなくキャッチボールやらバットの使い方などは学んで少しずつだが、できるようにはなってきていた。

けど、どうしても「フライ」はとれなかった。
顔面で受け止めたこともなんどもあってその度に部員に笑われた。

恥をたくさんかいた。
僕は嫌だなと思って、週に3回ほどある練習をだいたい1〜2回はサボるようになった。

小さいコミュニティだからあいつはサボってるとみんな分かっていた。
家族もちょっと困っていた。

でも、無理やり入れられたような、好きでも無い野球をどうして続けないといけないかわからなかった。

無理やり行かされたことも何度もあった。
その度に、嫌な思いをした。

練習をサボる→上達が遅れる→相手にされない
を繰り返した。

僕にとっては「フライ」がとれないことも嫌だったけど、学年のリーダーだったのに、一つ弱みができたことがたまらなく悔しかった。でも、そうなってでも行きたくないと思える部活だった。

そもそも、学校生活では何不自由なく先頭に立って何事にも取り組めたのに、野球になるとキャッチボールすら誰も組んでくれる人がいなかった。僕が下手だから、組みたがらなかったんだ。

だから監督といつもキャッチボールをしていた。友人のお父さんだった。それも恥ずかしさに拍車をかけた。

まぁ、その位、野球が嫌だった。

そんな野球も雨の日だけは休みになる。
ちょっとの雨模様だとやるのだが、そこそこ降ると中止になる。

僕は小学4年生ながら、天気予報を欠かさず見るようになった。
そして雨が降ると大喜びした。

雨の日は気持ちが落ち着いた。
今日は嫌な思いをしなくてもいいんだと。

雨が降る日はぐっすり寝られた。
雨の音が心地よく、不安な気持ちが和らいだ。
一説によると、母親の胎内の音に似ているからとも聞く。
最近だとホワイトノイズの効果は実に様々らしいが、僕は小学生ながらにその効果を存分に知っていた。

台風なんて来ると心が躍った。
東北はそんな台風による被害がなかったから、ただ大雨になる日という感覚しか当時はなかったからだ。

でも、いつまでも「フライ」がとれない日は続かない。
あることを境に僕は「フライ」をとれるようになった。

そして、そこからメキメキ上達して、新人戦で9番バッターだった僕が3番か5番を選べるくらいにまでは成長した。
最後のテレビ局主催の大会では2打席連続2ベースヒットを打ち、ニュースに取り上げられた。

そう、僕が「フライ」をとれるようになったのは全部あの品物のおかげだった。僕は今もそれがあるから頑張れるようになった。

この話の続きは次回。


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