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【実況と感想】渋沢栄一 NHK大河『青天を衝け』25回「篤太夫、帰国する」

2021年8月22日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』25回「篤太夫、帰国する」を視聴しました。

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折角、再開された『晴天を衝け』ですが、またお休みです。
次回は9月12日になるようです。残念!
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■こんばんは徳川家康です
明治になりましたよ。まだ出てくるのかって、はははっ!
新政権が奪いはしたものの課題は山積み、グラグラだ、もとの世に戻ると思うものも少なくなかった。
篤太夫はそんな最中に帰ってきたのです。

■プロローグ
昭武一行、薩長が無礼な行いをするかもしれないということで小舟で隠れて上陸することになりました。

篤太夫は福地源一郎と田辺太一から状況を聞きました。
ー上様が突然大坂から戻られたという知らせが入ったのだ。
ー浜御殿で、慶喜に対し、小栗上野介がよもや逃げ帰ったのではないでしょうね、と詰問します。
ーここで、公儀が薩長に負けたのだと知った。
ー錦の御旗を掲げた。
ー上様が朝敵だとは、、それを恐れたのだろうと。

--曲--

■江戸城
(天璋院)「静寛院宮は顔を合わせぬというのは最ものこと」
(慶喜)「朝廷に歯向かう気持ちはないということだけを宮様にお伝え願いたく」
(天璋院)「このようなちゃちな御方だったとは。
父に徳川のために将軍要請を申し使って江戸に来ました。
武士の棟梁として潔くお腹を召されませ!」
不甲斐ない慶喜に天璋院は怒り心頭でした。

静寛院宮は京都御所の岩倉具視に手紙を書きました。
「身から出た錆。徳川家に嫁いだわらわも死を選ぶしかございません。
天璋院は西郷隆盛に手紙を書きます。
「亡き上様に申し訳が立ちません。あなたから徳川家の存続をお願いしてほしい」
西郷「参ったのう」
慶喜は上野寛永寺に謹慎となりました。
小栗上野介は釘を口に入れて斬首。
川路聖謨は、ピストルを手に取り、「徳川万歳」と言い残し自決。


■翌朝
ー浅草本願寺で、成一郎が頭となって戦うことを宣言し、尾形惇忠も平九郎も賛成します。
(成一郎)「家臣の我らが身命をなげうって上様のご無念を晴らし、彰義隊として真心を世に示すのだ」
ーしかし、上様は水戸へ移ると決められた。
ーご無念を晴らす、と声を上げる成一郎に対し、成一郎が声をかけても一言も発しない慶喜でした。
ー彰義隊は分裂し、振武軍と名乗って秩父に進軍。

■武蔵飯能
ー上野の山が燃えている。
ー彰義隊一行を狙う官軍兵士と戦闘になり、あっという間に負けました。
ーはぐれた平九郎は、仲間が死体となっているのを見て、敵に囲まれ抵抗し逃走、民家に保護されました。
ーその民家は蚕農家のようです。
ー傷を負い一人となった平九郎は、ていからもらったお守りを握りしめます。
ー敵に囲まれ最後の力を振り絞り戦おうとしますが、銃弾を浴び、吾は渋沢の嫡男平九郎、といいながら自決し絶命しました。

篤太夫は、それを聞き、号泣していました。
ー首が晒され、犬が咥えていったと聞いた。

■箱館
箱館では土方歳三とともに成一郎も決起します。
土方歳三が五稜郭を攻め落とした、と聞いた篤太夫は、
「俺は行かない。烏合の衆がいくら集まろうと勝てるわけがない。
互いに活きて会うことはないだろう。潔く死を選べ」と成一郎に手紙を書きます。

■血洗島
栄一が横浜についたという知らせが家族のもとに。
良かったとうれしそうな千代に対し、ていは寂しそうです。
尾高は、長七郎と成一郎のことで心配です。
長七郎は、惇忠や千代が励ましても魂が抜けたような状況でした。

■小石川水戸藩邸
「天使様は、函館にいる兵を成敗せよと命令された」
昭武は「渋沢、水戸で私を支えてほしい」と話します。
(篤太夫)「民部公子様ご帰国の報告をしたいと存じます」
昭武は、朝敵に合うことはできなので、私の思いを届けてほしいと述べます。

■篤太夫は残務整理をしました。
新政府の太政官札を見る篤太夫。
「太政官札は信用が無い。金がないのにご一新してしまったもので、大坂でも鴻池などひどい目にあっている。紙幣を出すのは小栗様の悲願でございました。三井の番頭、三野村利左衛門でございます。
真の戦はこれから、商人の戦いです」

■成一郎は
会うこともなかろう、さらばだ篤太夫
土方歳三とともに去っていきました。

篤太夫は、6年ぶりに故郷血洗島に向かいました

--つづく--

26回「篤太夫、再会する」
次回は9月12日の放送です。

■大河ドラマ紀行
埼玉県飯能市にある能仁寺
振武軍は、能仁寺で焼き払われました。
渋沢平九郎は、越生町にたどり着きました。
顔振峠から山を下る途中、この地で命を絶ちました。
亡骸が眠る全洞院には後に、栄一も訪れています。

■感想
人から話を聞く形で、鳥羽・伏見の戦いと慶喜遁走のストーリーが放送されました。
薩摩に縁のある篤姫(天璋院)と和宮(静寛院宮)が嘆願する形で徳川家と慶喜を助けたということのようです。納得です。
ちょっと情けないですが。
なぜ大坂から遁走したのかは慶喜無言のため不明のママ。
栄一の方は、成一郎等への参加を拒否し、我道を行くことに。
このあたり、栄一の意思の強さを感じます。
戦いを異国という外部から冷静に見ることができたのが大きいでしょうね。
今回は元気そうな東照神君家康公が拝めて恐悦至極でした。


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