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【実況と感想】渋沢栄一 NHK大河『青天を衝け』第18回「一橋の懐」

2021年6月13日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』第18回「一橋の懐」を視聴しました。

今回のテーマは、篤太夫、歩兵取立御用掛として備中へ。

■慶喜 天狗党討伐命令
武田耕雲斎、藤田小四郎率いる天狗党は、尊皇攘夷の意思をお見せするため慶喜を頼って兵を上京します。
篤太夫と成一郎は慶喜の命を受け、天狗党討伐隊に加わります。
藤田小四郎のことを思い出す栄市

■元治元年12月、松平昭徳が挙兵
成一郎が目にしたのは、天狗党の疲れ果てた姿でした。
藁にくるまり震える残党。
一橋様の命令を兵に伝える成一郎
「武器をとり京都に入るのは天使様に逆らうことである。すぐに撤退せよ」
武田耕雲斎は、一橋様を追い詰めてしまったことをわからぬのか、もはやこれまでであると兵を撤退させます。

天狗党は、御公儀に降られることがわかりました。
武田耕雲斎も、原市之進も討伐だけは避けたいのです。
初陣は戦うことなく終わりました。

■二条城では
田沼意尊は公平な措置をとると約束します。
しかし、影では「水戸の動乱でどれだけ迷惑を被ったか
取り調べは私がやる」と反対のことを考えています。
結局、武田耕雲斎、藤田小四郎等、352人が首をはねられました。

「幕府に侮られたのだ」(成一郎)
「俺が小四郎様を焚き付けてしまった」(篤太夫)
「うぬぼれるな、お前が言わなくても立ち上がったのだ」(成一郎)

「俺たちが信じた攘夷の成れの果てだ。攘夷などどうでもいい」(成一郎)
「一橋を守るために生きる。栄一、お前はどうする」

■欣也家康公登場
こんばんは、徳川家康です。
尊皇攘夷は多大な犠牲を払って終わりました。
それどころか、外様大名が外国に頼りだしました。
薩摩もイギリスに留学生が旅立ちました。
日本を守るのは徳川ということです。

■江戸城では
小栗忠順/武田真治は、渡米で得た造船所のネジを持ち帰ります。
家茂に対し、フランスとコンパニー設立を準備すると説明します。

■慶喜と篤太夫
新たな兵を集める御用を仰せ付け願いたいと慶喜に提言し、「軍制御用掛 歩兵取立御用掛」に任命されます。
篤太夫は、備中の一橋領に向かいました。

代官の稲垣は、庄屋に命じて村々の人間を呼び集めます。
篤太夫は村人に話します。
「国のために尽くす千載一遇の好機である」
村人はまったく聞く気がない様子です。

■横浜では
英国の公使・ハリー・パークスが横浜に来日します。
「幕府がフランスと組むのは本当か?」
「将軍は日本の元首ではないのか?」

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ハリー・パークス Wikipediaより引用


■家茂と和宮
二度目の長州征伐で京に向かうことになった家茂に対し、
「どうかご無事で」と和宮
和宮に優しく振る舞う家茂です。
天璋院は、甲冑姿の家茂をみて立派な姿だと褒め称えます。
「お体だけはどうかお気をつけください」
「私に万が一のことがあれば・・・」
と意味深な言葉を投げかけあいます。

■備中では
阪谷 朗廬という備中の塾長と交流する篤太夫。
「拙者も百姓で論語などを学んだ」(篤太夫)
「私は、港は開くべきだと思います」(阪谷)
浜田弥兵衛(はまだやひょうえ)を知らないか?
「台湾で貿易した人物です」(篤太夫)
篤太夫は、何日も阪谷の塾に通い詰め、交流を深めました。
剣術で稽古をしたり、鯛網をやってみることで一目置かれるようになりました。
塾生の中から「俺等も一緒に連れてってくれ」というものが多数現れました。
篤太夫は、それを書面にまとめてくれないかとお願いします。
そしてその志願書を庄屋に見せます。
「五人もの志願があるのに、一人もいないのはどこかで邪魔立てしているのではないか」
「お代官様が成り上がりで面倒なことを言ってきているが、だれもいないといえば済む」と白状します。
篤太夫は、代官に申し上げます。
「御用を果たせなければ生きては戻れぬ」
「貴殿も拙者と同罪になる。明後日には出立します。よく考えご決断を」
翌日代官が庄屋たちに申し付けると、多数の志願者が集まりました。
「代官はどこも厄介なものだ」と嘆く篤太夫でした。

慶喜に対し栄一は、兵を賄うための金も入用です、と進言します。
まずは米です。
播磨の米は良い米ですから、入札払いにするのです。
年貢5000両を得ることができるでしょう。
売り方次第で利益を得る事ができます。

次は、備中の硝石です。
火薬の材料は今一番の入用です。
必ず求められるようになります。

烈公は石頭かと思っていました。
烈公のことを思い出し大笑いする慶喜
「渋沢よ、もはや腰掛けではあるまいな。お主の腕を見せてみよ」

平岡の言葉が浮かんできます。
「おめえはおめえのままに生き抜け必ずだ」
一橋家を豊かにするために動き出しました。

つづく

■大河ドラマ紀行
岡山県井原市
農兵募集のために栄一が訪れた一橋領の一つです。
井原堤、江原陣屋跡陣屋跡など、当時の面影をしのばせています。
稲荷神社は、今も変わらず、かつての陣屋の敷地内に鎮座しています。
近世山陽道
渋沢栄一が交流を深めたのが漢学者・阪谷朗廬(さかたにろうろ)です。
興譲館には2人が対談した館が残っています。

■感想
今回は神君家康公の語りが印象に残りました。
あれだけ尊皇攘夷といっていた連中が、外国になびき、結局徳川将軍家だけが日本を守ろうとした、というものです。
明治維新は日本の大改革となったことは確かなんですが、「外国かぶれ」を引きずった面はありました。
小栗忠順(上野介)は、徳川幕府で西洋文明をいち早く取り入れようとした人物です。
安政7年(1860年)に、日米修好通商条約締結のため米艦で渡米し、世界を視察して帰国しています。
結局、明治維新前に斬首されてしまうのが残念ですが、徳川にも優秀な人材がいたんですね。
まさに勝てば官軍で、負ければただの謀反人なんですかね。

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小栗上野介 Wikipediaより引用


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