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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」

2022年5月22日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」を視聴しました。

<始まる前に>

義経の討伐と静御前の舞がどう演じられるのか、見ものです。
この二人は謎が多いので乞うご期待ですね。

<NHKのあらすじ>

京を離れ、奥州へ逃れた源義経(菅田将暉)。
しかし、温かく迎え入れてくれた奥州の覇者・藤原秀衡(田中泯)が程なく死去。
これを知った義時(小栗旬)は、状況を探るため平泉行きを志願するが、義経の才を恐れる源頼朝(大泉洋)は、藤原国衡(平山祐介)・泰衡(山本浩司)兄弟の仲の悪さにつけ込み義経を討つように冷たく命じる。
八重(新垣結衣)に見送られ、平泉へと発たつ義時。
一方、捕らわれた静御前(石橋静河)は鎌倉で……

■プロローグ

文治三年(1187年)平泉
平泉に到着した義経、平家を倒したことを藤原秀衡に褒められます。
一方、頼朝はは平泉が義経と手を組めば強大な敵になることを警戒します。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

義経を迎え入れ、鎌倉の最大の脅威となった奥州平泉。
藤原秀衡によって保たれていた均衡が崩れようとしている。

■大姫

足立遠元とトンボを捕まえて遊んでいます。
万寿がセミの抜け殻を大姫に見せると義高を思い出しその場を去ってしまいました。
大姫を帝と結婚させようと頼朝は考えています。

■秀衡の最期

秀衡は泰衡に奥州を任せ、国衡に母親のとく(天野眞由美)と結婚しろと遺言を残します。
義経には「そなたが大将軍だ、九郎の元に力を合わせよ」と遺しました。
秀衡が死ぬと、泰衡と国衡の意見が割れ、二人が対立しそうな状況です。

■文治五年(1189年)4月

義経は生かして連れて帰るな、しかし直接手を下すなという命令が義時に下りました。
泰衡、国衡の仲の悪い二人を利用して平泉を滅ぼす計画です。
泰衡に取り入り焚き付けて義経を討たせ、平泉を滅ぼす目論みです。

■義時の館

義時は八重に奥州に秀衡の供養に行くことを話し、安心させます。
善児(梶原善)が梶原景季に命じられてお供することになりました。

■静御前のその後

畑を耕す義経がいました。
義経の娘と里(三浦透子)もここにいます。
義経は、戦をする気はないが平泉に手を出したら許さないと言い放ちます。
義時は静御前の話を始めます。
静御前は吉野から鎌倉へ向かおうとしていると頼朝の手勢に確保されました。
りくは、静御前の座り方から、お腹には子を宿しえいると推定します。
頼朝は男子であれば由比ヶ浜に沈めよと指示します。
道(堀内敬子)は妾にすぎない静御前を守る必要はない、と詰ります。
本当に静御前である証をご覧に見せようと、舞を披露することになりました。
義時は、静御前に偽物の振りをするよう願います。

■静御前の舞

静御前(石橋静河)は、頼朝の面前で舞を披露します。
初めは下手に舞う静御前でしたが、義経の言葉を思い出し、本気の舞をすることになりました。
「おなごの覚悟の舞、頼朝挙兵のとき私も覚悟を決めました」(政子)
4ヶ月後産んだ子は男の子でした。
男の子は善児に連れられていき、静御前はその後行方不明となり、美濃で似た遊女を見たとも。

■泰衡と国衡

泰衡に義時は国衡と計って挙兵するよう誘導します。
義経の首を取り、その首を頼朝に送るしか道はないと話します。
頼衡(川並淳一)は義経を討ってはならないと泰衡に詰め寄ります。
頼衡は善児に殺されました。
義時は種は撒いたと善児に文を託します。
義経の前に死んだ秀衡が現れます。

■義経の覚悟

潮時のようだ、と里に話します。
静御前を憎む里は、以前静御前が刺客に襲われたことは自分が手引したと告白しました。
里は義経に殺されました。

■討伐

義経と奥州勢の対決です。
戦となる直前、義時は義経のところに来ました。
義時は義時が静御前の話をしたことは芝居であり、鎌倉憎しという気持ちを想起させたという魂胆を見抜きます。
弁慶(佳久創)が時間を稼ぐ間に、自分の手を汚さない頼朝の魂胆を見抜きますが、どうでもよくなったと。
鎌倉を攻める作戦を義時に話します。
この作戦が書かれた手紙を鎌倉に届けるよう託します。
梶原景季ならわかってくれるだろうとも。
最後の別れのお辞儀をして義時はその場を去りました。

■鎌倉殿

義時は頼朝に事後報告します。
義経の作戦が書かれた手紙を読み、梶原景季(中村獅童)は間違いなく鎌倉は滅びていただろうと話します。
「ようがんばったなあ、話してくれ、屋島、壇ノ浦でどのように平家を討ち果たしたのか」
頼朝は泣きながら義経の首に語りかけました。
文治五年6月13日、義経の首が鎌倉に届けられた(長澤まさみ)

----つづく----

次回は第21回「仏の眼差し」5月29日放送です。

■感想

奥州から逃亡し生き延びたという義経伝説がありますが、ドラマでは首だけで死の場面は描かれていませんでしたね。
なにかの伏線になりそうな予感がします。
チンギス・ハンにはならないでしょうけど。。。

■勝手に解説

義経は熊野から京都に入り、大寺院に匿われながら、やがて伊勢、美濃を経由し奥州へ入り、妻と子らを伴って藤原秀衡の居る平泉に身を寄せました。
・勧進帳
ニセ山伏になりすました義経一行が、加賀国安宅の関で、弁慶の機転と富樫氏の武士の情けで難を逃れる物語は、『義経記』や能『安宅』、歌舞伎の『勧進帳』などで大衆の人気となります。
文治三年(1187年)10月、藤原秀衡が病没すると、頼朝は義経逮捕を命じる院宣を発布、これに反応した秀衡の跡継ぎ・泰衡は、義経を急襲して、遂に義経は自害しました。
源義経、享年31歳でした。
義経のいなくなった奥州藤原氏も頼朝によって制圧されました。
静御前の舞については、『吾妻鏡』に記載があるのみでその他の史料には記載がありません。
そのため、静御前の存在もよくわかっておらず、その後の消息も不明です。

日本の歴史アップデート「鎌倉殿と鎌倉幕府誕生」から抜粋


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