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【感想】NHK 歴史探偵「藤原氏と平城京」を視聴しました

2024年5月8日(水)22:00~22:45 歴史探偵「藤原氏と平城京」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
大河ドラマで大注目の藤原氏。
日本史上有数の権力者一族はどのように誕生したのか?
不自然な街の形に込められた野望に藤原氏のための謎のパレード。
平城京から秘密に迫る。

■プロローグ

●スタジオで
光る君へでも大活躍の藤原氏です。

佐藤所長「光る君へ見ていると藤原氏だらけです」

藤原不比等、中臣鎌足の息子です。
平城京です。

佐藤所長「平安時代のイメージが強いので奈良と言われてもピンときません」
平城京を主導したのが藤原不比等と言われています。

■藤原不比等

●奈良市へ
奈良文化財研究所
・甲斐弓子さん
観世音寺の瓦です。
都を守る防衛拠点の役割がありました。
観世音寺を建てたのは誰か?
長屋王邸から出た瓦です。
一人で出来る盤石さはなかったんです

●不比等はどのように権力を確立した?
・千田稔さん(奈良県立図書情報館)
平城京の形にあると言います。
変わった区画を発見
東側が不自然に張り出した歪な形をしています。
千田さん「出っ張りに不比等の意図があったはずです」

●興福寺
高低差12mの高台があります。
「外京という特別な区域をつくって興福寺を建てたのです」

●CGで調査

・箱崎和久さん
二条大路からは興福寺が見えることがわかりました。
「貴族に対しても一般庶民に対しても、権力を誇示する形に見られた可能性はあります」

■不比等のさらなる秘策

●平城宮
平城宮にも東に張り出した場所がります。
・渡辺晃宏さん(奈良大学)
見事な庭園が姿を見せました。
皇太子を住まわせていたのです。
巨大な石は、門の一部でした。
東側に不比等邸
首皇子を住まわせ、後に聖武天皇に即位、強大な力を維持することになります。

●スタジオで

河合先生「ほかの有力者がのばすのば難しかった」
佐藤所長「」
河合先生「藤原京は南にあって有力者の地盤にありました。それを離してライバルの力を弱めました」

『公卿補任』(710年)不比等だけ
『公卿補任』(730年)武智麻呂、房前、宇合、麻呂
全員不比等の子供です

■橘諸兄

橘氏
河合先生「橘諸兄は不比等の義理の息子。藤原氏が力を持ったことで生まれたライバルといえます」

■橘諸兄
京都井手町
・福山博章さん(京都府埋蔵文化財調査研究センター)

●井手寺跡
きれいな緑色、彫刻も繊細です。
井手寺でしか見つかっていません。240mが井手寺跡の敷地でした。
大寺院だったことがわかったのです。

●瓦窯
平城宮で使う瓦を焼いていました。

●どのように対抗したのか?
木本好信さん(元龍谷大学)
関所を置いたことだった考えています。
しかけたのは藤原仲麻呂
なぜ関所を置くことが橘氏への対策になるのでしょうか?
平城山へ
この道が橘氏の繁栄に欠かせない場所でした。
山背国と平城京はつながっていました。
関所が置くことで橘氏の力を削ごうとしました。

挙兵
橘氏はクーデターにでますが、仲麻呂は察知し、処罰します。
藤原種継が国司に就任します。

●スタジオで

佐藤所長「藤原氏は頭を使っているという感じです」
山背国を抑えたことで大きなメリットがありました。
近江国とダイレクトに繋がったことです。
河合先生「藤原氏が水流、物流を抑えることでさらなる権力を得ていきます」

奈良時代から平安時代へと変わります。
ほぼ藤原氏になっています。
ところがあることが問題となります。
河合先生「氏長者と言って内部で争いが起こります」

■春日大社を利用

●吉田神社(京都市)
春日造のお社といえば春日大社です。
藤原氏が平安京に移ってから建てたものです。
春日詣
40km以上あるく一大パレード、権力を維持するための意味がありました。

●春日詣
・杉本宏(京都芸術大学)
藤原頼長の春日詣を再現します。
200人近くの人が参加していました。
太政官、役所、大納言、中納言、藤原氏の関係の人達
誰が参加するかを頼長がチェックしていました。

●いざ出発
奈良への道を外れてしまいます。
回り道をしました。
なぜ、回り道をしたのか?
小松殿の別荘地があり、そこに皇后、忠真がおり、有力者との深い繋がりを考えていたのです。
出発から7時間後、奈良市に入ります。
一行は、藤原氏の別邸に入ります。
・松原和歌子さん(春日大社)
すぐに参拝せず、夜になるのを待っていたのです。
およそ6時間後、ゴールの春日大社に到着しました。
御神宝が収められています。
この太刀は藤原頼長が奉納したのではないかと考えられています。
国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」
「螺鈿で猫が描かれていて、超絶技巧と言っていいですね」
「最高のものを奉納することで春日大社の神に認めてもらったことを、多くの貴族たちに知ってもらう意味もあった」
頼長は神に認められた存在だと参列した貴族に示しました。

●スタジオで

河合先生「春日大社は藤原氏の氏神様がお祀りされているので、全員にすごい重要な神社でした」

春日詣を最大限活用したのが、藤原道長です。
道長が企画した参拝の中で、奉納された神宝について書かれた史料です。
重要なのは、鏡、弓、矢、剣、ではなく、天皇を参拝させたのです、道長は。

佐藤所長「ほんとうに頂点だよね」
なぜ藤原氏の後も、日本の歴史に大きな影響を与え続けることができたのでしょうか?
河合先生「大きな武力を持たなかったことが影響したのではないでしょうか」

ーーーおわりーーー

次回は「清少納言と枕草子」5月15日(水)22時放送です。

■感想

藤原氏の基礎知識といった趣で、楽しませていただきました。
もちろん権力を握るまでのストーリーはよくわかったのですが、影の部分にもスポットライトをあててほしいですね。
『日本書紀』『古事記』の内容を改ざんするという「歴史修正」という悪手に出てまでも、当時の権力を維持するのはどこから来るものなのか。
興福寺とともに藤原氏と関係深いのが春日大社です。
ここには中臣氏の祖神である天児屋根命も祀られています。
鎌足は中臣氏として突然、歴史に登場します。
記紀には、鎌足の父母の名前も記されていません。
その他、『藤氏家伝』『大織冠伝』などには中臣御食子が父と記されていますが記紀には記されていません。
大化の改新を成し遂げた重要人物でありながら出自が不明な扱いなのです。
これだけ重要な人物、意図的に出自が隠されたと見るのが自然です。


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