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【実況と感想】渋沢栄一 NHK大河『青天を衝け』第16回「恩人暗殺」

2021年5月30日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』第16回「恩人暗殺」を視聴しました。

今回は、タイトルそのまま、だれが殺されるの?
渋沢栄一の小説とか読んでる人には想像できてしまうのですが、ここで殺されるとは、惜しいしもったいないというか、ドラマ的にも史実的にも、これから盛り上がりつつ合ったので残念ですね。
今回クレジットで家康の名前が無かったので、欣也家康はお休みです。
最近出番が少ないのは幕府に動きが少ないからでしょう。

■関東へ
名前を篤太夫と成一郎に変えた栄一と喜作は関東に旅立ちました。
関東で平岡円四郎に出くわします。
平岡は、2人に茶でも飲まないかと声をかけます。
「元は武士じゃねぇってことも忘れんなよ。無理に死ぬのを生業にするんじゃない。石頭だけじゃ成り立たない」
「お前はお前のままに生きぬけ、必ず」
そして、やすに息災と伝えるようにと言付けし去っていきました。

■天狗党の乱
水戸藩の徳川慶篤/中島 歩は、天狗党の乱を起こした藤田小四郎/藤原季節を討伐する命令を出します。
武田耕雲斎/津田寛治が討伐の意向を示した慶篤を止めようとしますが、聞き入れてくれません。
逆に保守派の市川三左衛門に止められます。

筑波山の天狗党の陣では、隊長の田丸稲之衛門をはじめ数十名の志士が集まっています。
天狗党は総数700人になったと言われます。

■血洗島では
天狗党から資金援助の申し出が来ますが、尾高惇忠はこれを大義名分が大事だと断ります。
しかし、惇忠と平九郎は天狗党の一味とみなされて、岡部の役人に捜索されます。
平九郎に千代は、やましいことがないのなら正直に話しなさい、と言います。

■池田屋事件
京都の池田屋で新選組が長州・土佐の尊王攘夷派の志士を襲撃します。
土方歳三/町田啓太は、見事な剣術で志士を斬り殺します。
この池田屋事件は一橋家がやったんだ、平岡円四郎が悪いんだ、という噂が京の市中に広がりました。

■関東では
篤太夫と成一郎は、儒学者、剣術家など幅広く人材を探します。
ある時、ばったり真田範之助/板橋駿谷と出くわします。
真田範之助から、藤田小四郎の天狗党が挙兵したことを知らされます。
篤太夫と成一郎は、自分たちが一橋家に士官したことを話します。
すると、真田範之助は「ふざけるな、徳川を倒すと言っていたではないか、心底見損なった」と激怒します。
成一郎が、攘夷のために一橋家を強くするんだ、と言っても聞き入れることはありませんでした。

2人は血洗島の近くまで来ますが、父から手紙が届き、血洗島は今、尾高惇忠を捜索中で、大変なことになっているので、近づくなと進言します。

■水戸城では
慶篤は、天狗党を討てと檄を飛ばします。
それに対し、母の貞芳院/原 日出子は武田耕雲斎を追い出すとは何事だ、その方が家臣をまとめるのだ、と戒めます。

■京都の慶喜と平岡
慶喜と円四郎が会話しています。
「武田耕雲斎を京都に呼べぬであろう」
「渋沢は本当に人を集めて来れるのか」
「私は輝きが過ぎるのだ。私を恐れすぎ大獄事件を起こした」
「本当は輝きなどない、凡庸な男だ。皆、幻を見ているのだ」
円四郎は、「東照大権現の生まれかわりなのです」といいます。

■恩人暗殺
江戸にいるやすは、水戸の行列を見て、雨の匂いを感じ、家に戻ります。

雨の降る中、平岡円四郎は突然襲われ抵抗するまもなく斬り倒されます。
あっという間の出来事でした。
「まだまだ死ねるか。やりたいことが山ほどある。死にたくない」
こう言い残して、絶命します。
やすの顔が浮かびます。

■慶喜は
平岡が水戸藩の者に命を奪われたことを聞きます。
死体を見て、泣き出す慶喜です。
篤太夫と成一郎が平岡が死んだことを知るのは半月後のことでした。

つづく

■大河ドラマ紀行
東京都文京区の湯島聖堂。
徳川綱吉は、儒学の振興を図るために、湯島の地に聖堂を創建します。
その後、昌平坂学問所が開設されました。
孔子尊像があります。
現在の建物の再建には、渋沢栄一が深く関わりました。
平岡は、川路聖謨の推薦で、慶喜の小姓に採用されました。
平岡は西町奉行所のあたりで、命を落とします。

■感想
池田屋事件は、あっさり描かれました。
歴史探偵の内容は出す暇なかったのか、土方歳三だけが見事な殺陣を見せてくれました。
平岡円四郎の暗殺は、まったく残念ですね。
殺ったのが水戸藩の人間だというのもなあ。
桜田門外の変、天狗党の乱といい、水戸藩がまとまっていないのが影響したのでしょうか。
慶篤くんじゃあ、まとめきれなかったんでしょう、凶暴な家臣たちが多すぎます。
陰謀論じゃないですが、徳川内乱を起こさせたい一派が幕府内にいたんでしょうか。
水戸藩だったら徳川御三家なので取り潰されることはないですから。
それとも、ただ感情で動く志士が育っただけなんでしょうか。
会津藩は組織的で真面目っぽいのに、水戸藩はハチャメチャなただのテロ集団に見えます。

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