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【感想】NHK 歴史探偵「江戸の旅ブーム」を視聴しました

2023年10月11日(水)22:00~22:45、歴史探偵「江戸の旅ブーム」を視聴しました。

<始まる前に>
街道が整備されたのは江戸時代以降だと聞いたことがあります。
それまでは獣道に近かったとか。

<NHKのあらすじ>
江戸時代に巻き起こった空前の旅ブーム。
箱根の関所、橋のない大井川など、東海道の難所を突破し、伊勢を目指す。
各地の名産やおもてなしもご紹介。
魅力いっぱいの歴史旅。


■江戸の旅ブーム

●スタジオで
日本で初めて起きた庶民の旅行ブームを取り上げます。
江戸時代、寺社へのお参りと温泉の湯治は許されていました。
一番違う点は何でしょうか?
佐藤所長「交通手段」

■旅の準備

●二川宿本陣資料館
早道(帯に引っ掛ける小銭入れ)
部屋に灯りのなかった宿も多くろうそく立ても持ち込みました。
日記や国元への手紙を書くときに使う矢立て(携帯用の筆と墨つぼ)
重さ40kg、コンパクトに折り畳めるため振り分け荷物にすっぽり収まってしまいます。

●旅のルート
世田谷区郷土資料館
旅日記「伊勢参宮覚」(田中国三郎)
伊勢神宮は年間60万人が訪れ、高野山から厳島神社まで足を伸ばす86日に及ぶ大旅行です。
2~3か月かけるのが当たり前でした。
・谷釜尋徳さん(東洋大学教授)
「当時の旅は一生に一度の機会で、より多くの異文化にふれる見聞を広めるということで旅行ブームにつながりました」

■江戸時代の旅を体感

●スタジオで
帰りは行きと違うルートで善光寺を経由していました。
谷釜尋徳さん「一筆書きのルートです。富士登山セット型もありました」
佐藤所長「恐ろしいほどの健脚ですね」
一件普通の刀に見えますが、お金が中から出てくる形で、「銭刀」といいます。
旅のルートは、日本橋を出発、伊勢を目指すルートです。

■旅の難所・箱根

・大和田公一さん
難所と言われた最大の理由は、峠道です。
それだけではなく、大きな石が斜めに並んでいます。
排水路です。
雨がふると足のスネが浸かるほどの泥水が押し寄せたと言います。
その流れを弱めるために作られたのが排水路です。
わらじ、江戸時代のトレッキングシューズで、クッション性があり滑りづらいです。
1時間登り、ようやく峠を越えました。
ここが箱根の関所です。
空港の出国審査のようなものです。
●関所のチェック
「出女」には女改めといい、大名の妻を人質として江戸に住まわせており、幕府が恐れたのが国元に帰ってしまうこと。
そこで、箱根で未然に通り抜けをチェックしました。
「御留守居証文」パスポートのようなもので、体や顔の特徴が記され本人に間違いないか確認が行われました。
人見女=改め婆と呼ばれました。
女性の髪を解くと取締が行われました。
つりハゲ=日本髪を結う時、髪をつり上げるためにできるハゲのこと。
これを読上げて確認していました。
大和田公一さん「非常に屈辱的な改めだったと思います」

●大井川(静岡)
東海道随一の難所でした。
・岩崎アイルトン望さん(学芸員)
川を越えるために活躍したのが「川越人足」と呼ばれる男たちです。
「川会所」チケット売り場です。
川の深さで値段が変わります。
股通で約1440円、最も深い脇通では約2820円でした。
費用がかかるのが、命がけの仕事だったからです。
シーボルトが描かせた川越し人足の絵です。
全身に入れ墨が入った人足の絵で、幽霊を描くことで魔除けをしていました。
島田市の職員で作った「イケメンふんどし隊」です。
今回はくるぶし位、CG合成で江戸時代の深さを再現します。

●スタジオで
佐藤所長「どうして橋をかけなかったのですか?」
谷釜さん「江戸の防衛のためだと言われています」
わらじを履いて味わってください。
佐藤所長「31センチなのではみ出ます」
谷釜「実はわらじはフリーサイズなのではみ出てもOKです」
谷釜「排水路だけではなく、江戸幕府が整備した背景は、参勤交代の制度で街道を整備する必要がありました」
谷釜「五街道を整備していきました」

■旅のお金

伊勢参宮覚(田中国三郎)
甘酒と書いてあって20文、大福16文と書いてあります。
最も多かったのが各地の名物、安倍川餅に150円、焼きはまぐりに240円払っています。
鞠子宿のすりおろした自然薯のとろろ汁が人気で1200円でした。
しかし、名物は地域にとっても重要な意味がありました。
鞠子宿の浮世絵です。
手に持つ自然薯を持つ農民で、お金が入った姿です。
旅は地域経済の活性化に役立っていたのでした。
宿代、宿泊費です。

●大旅籠「柏屋」
わらじはすぐにすり減る証文品、約400円を2日に一度交換していました。
相部屋で、一汁三菜が基本でした。
宿泊費は一泊6000円ほど、全体の半分近くを占めました。

■伊勢神宮到着

本当の楽しみは、夢のような場所がありました。
旧御師 丸岡宗大夫邸
・丸岡正之さん
御師とは伊勢神宮の神職のことで、全国を回り、伊勢神宮を勧誘していました。
伊勢には屋敷が800軒あったと言います。

●夕食を再現
12品が並ぶ豪華なお膳です。
海鮮は当時貴重でした。
御師は旅人を歓楽街に招待してもてなしていました。
伊勢音頭の見物です。
支払いは旅人持ち、締めて17人で5泊6日で60両、約600万円払っています。
一人あたり35万円の豪華なもてなしでした。

●スタジオで
佐藤所長「よくそんな大金を持ち歩いて旅をしていましたね」
谷釜さん「銅銭だと700kgというかなりの重さになるため、金の小判を持っていったといいます100gですみました」
谷釜さん「田中国三郎の日記の出費を合計すると5両、50万円でした」
谷釜さん「伊勢講というグループがあり、メンバー全員でお金を出し旅行資金を積み立てていました」
奥沢新田村の例
54人、400文を出し合うと、約65万円、2人伊勢参りに行ける金額でした。
全員行くには27年かかったと言います。
谷釜さん「くじ引きで決めたと言います」

ーーーおわりーーー

次回は「家康のピンチを救った!信長の息子 織田信雄」10月18日(水)放送です。

■感想

再放送だったかな?と思うほど既出の内容でした。
入り鉄砲に出女の具体的なイメージが掴めて面白かったです。
人見女という職業があったというのもよくわかりました。
時代が平和になるにつれ関所も緩和されたそうで、お伊勢参りのための手形があって通行がそれほど厳しくなかったとのこと。
現代で、団体旅行客に厳しくないのと同じかな。
しかし、オーバーツーリズムが叫ばれる今、入国に際し、厳しさが緩むことのないようにしていただきたいものです。

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