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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第46回「将軍になった女」

2022年12月4日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第46回「将軍になった女」を視聴しました。

<始まる前に>
さて、残り3回となり、承久の乱と義時の最期というビッグイベントが残り、どう描くんでしょうね。
義時の最期とのえの絡みをどう描くか、楽しみです。

<NHKのあらすじ>
新たな鎌倉殿を迎えようと朝廷に伺いを立てる北条義時(小栗旬)、大江広元(栗原英雄)たち。
実衣(宮澤エマ)が野心を燃やし、三浦義村(山本耕史)が暗躍する中、京では鎌倉への不信感をさらに高めた後鳥羽上皇(尾上松也)が、藤原兼子(シルビア・グラブ)、慈円(山寺宏一)と共に今後を見据え、鎌倉への圧力を強めていく。
一方北条家では、思い悩む泰時(坂口健太郎)をよそに、のえ(菊地凛子)が愛息・政村(新原泰佑)を……

■プロローグ

実衣が息子の時元を、必ず鎌倉殿にしてみせると豪語します。
三善康信(小林隆)からは、鎌倉殿になるには朝廷の証である宣旨が必要だと聞きつけます。
実衣は、次は時元殿に決まったといえば朝廷は宣旨を下さない訳にはいかないと、三浦義村に扇動されたようです。
もちろん、義村は義時に報告し、阿野庄に戻った時元を打ち取る段取りです。
「謀反人は必ず打ち取る、公暁のように、鎌倉殿は誰にも渡さん」(義時)

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)
実朝の突然の死。
鎌倉殿の不在が続いている。
政権崩壊の危機が迫る中、義時と後鳥羽上皇の根比べは、緊張を増していく。

■京都では

「催促してきおった、あくまでも我らの方から断らせる、ならば、いっそう話を進めるか・・・」(上皇)
慈円に対し、「向こうの思う通りにさせるな、こうなったらばかしあいだ」と上皇は命じました。

■阿野時元の謀反

「実朝暗殺から1月たたない2月22日、阿野時元は挙兵を目前に義時の差し向けた兵に囲まれ自害」(長澤まさみ)
時元(森優作)の謀反にどれくらい関わっていたか、嫌疑されるのは明白、処罰されることになると、政子は実衣に言います。
どんな罪も甘んじて受けるという実衣に、政子は決して認めないよういい聞かせます。
詮議で実衣は関わっていないと否定しています。
三善康信は、以前実衣に宣旨のことを聞かれたか問われますが、忘れたと白を切りました。
しかし、時元の籠もっていた寺から、実衣が書いた宣旨が見つかりました。
それでも、実衣は決して白状しません。
大江広元は実朝の遺品を探すよう指示すると、遂に、実衣は自分が書いたと白状しました。

■義時と政子の思い
書きかけの書状が実衣の部屋から出てきて、宣旨を書くつもりだったとのことです。
実衣の首を刎ねるという義時に、泰時も時房も反対です。
しかし、義時は決して意見を変えようとしません。
政子は、捕らえられた実衣に、「殺されないよう手を打っているところ」といいますが、実衣は首をはねられる覚悟を決めたようです。
しかし「死にたくない」泣きながら政子にすがり抱きつきました。

■施餓鬼(せがき)

大江広元は、民と触れ合いたい政子に施餓鬼を勧めます。
「いいんじゃないですか、貴方らしくて、ほめていない、あきらめの境地」(初)
初(福地桃子)は泰時にはじめて褒められました。
そこに、政子が現れ、泰時に付き合ってほしいと要請されました。
「施餓鬼とは、死者供養の儀式、供え物が貧しい人々に振る舞われる」(長澤まさみ)
政子は、庶民と触れあい、いろいろな話を聞き、頑張る勇気をもらいました。
そこに、ウメ(石川萌香)という少女が現れ、どうしても言いたいことがあると。
「伊豆の小さな豪族の”生き遅れ”がこんな立派になられて、あこがれなんです。友達もみんな言っています」(ウメ)

■北条の後継ぎ
のえ(菊地凛子)は「後継ぎのことを考えてもいいのでは、あなたと私の子・政村が後を継ぐべき」と話しています。
政村も15歳になり、後継ぎにするべきだと、強く主張します。
のえは、政村(新原泰佑)の目の前で、二階堂行政(野仲イサオ)にもっと強く出ろと怒られます。
行政は、政村の烏帽子親である三浦義村に相談しろと命じました。

■上皇からの要求
上皇が、ある地頭を返上せよと要求がきましたが、その地頭とは義時のこと、圧力をかけてきたのでした。
政子に義時は、あくまで上皇側から断ってくるのを待つため、時房が軍1000人を率いて京に上り、新たな摂関家を迎えるという案を提案します。

■時房上洛

時房が上皇に拝謁します、どうやら同じことを考えていて埒が明かないから勝負で決めることになりました。
「トキューサ、どちらも同じことを考えているようじゃ、ここは勝負で決めよう」
蹴鞠で勝負することになりました。
藤原兼子が途中で時房に声をかけ、時房に負けるように耳打ちします。
「本音は親王を鎌倉に遣る気はない、代わりのもので手を打て」(後鳥羽上皇)

■慈円が鎌倉にやってきた
「摂関家の流れを汲み、なおかつ源氏の血を継ぐ御方、三寅様、2歳にござる」(慈円)

■京都では
慈円の得意げな顔が目に浮かび、上皇は腹の虫が治まらずイライラしています。
藤原秀康(星智也)に意見を求めると、慈円が気に食わない様子で、「これ以上僧正の好きにさせて良いものか、私なら鎌倉を1月で攻め落とす」と豪語します。

■三寅

「7月19日三寅が鎌倉に到着、実朝が殺されてから半年が過ぎている」(長澤まさみ)
元服されてから征夷大将軍になる、それまで執権として義時が政務を行うと話します。
政子はまた鎌倉が乱れると心配しています。
政子は、自分が鎌倉殿の代わりになり、「尼将軍」として表に出ることになりました。

■政所始め

三寅と尼将軍のお披露目となりました。
政子は義時に対し「どうしてもやっておきたいことがある、尼将軍に逆らうな」と釘を差します。
実衣に政子は「尼将軍になったから、誰も刃向かえない、もう大丈夫」これで実衣は無罪放免です。
「ウンタラクンソワカー」(政子)
「違う、ボンタラクンソワカー」(実衣)
「正しくはオンタラクソワカである」(長澤まさみ)

----つづく----

次回は第47回「ある朝敵、ある演説」12月11日放送です。

■感想

実衣と息子の話は描かないでは済まされなかったようで、1回使い切りました。
さすがの冷酷者義時も、実の妹には手を出せなかったということでしょう。
これで、残り2回で承久の乱と義時の最期が描かれるようですね。
施餓鬼で庶民と触れ合い、天命である将軍の代理として、最期のご奉公ということで立ち上がった尼将軍・北条政子が歴史に残る演説をすることになります。

■勝手に解説

■慈円僧正
慈円は、久寿ニ年(1155年)に生まれ嘉禄元年(1225年)に亡くなっています。
天台座主を務めた高僧であり、歌人としても名を残し、『愚管抄』を記したとされることでも知られます。
慈円の兄は九条兼実(田中直樹さん)であり、九条家は、五摂家の一つで、その九条家から枝分かれした一条家と二条家の祖でもあります。
■後鳥羽上皇
義時に対峙したのが後鳥羽上皇です。
後鳥羽上皇は、治承四年(1180年)に生まれ、延応元年(1239年)に流罪地の隠岐で崩御されています。
ドラマの中でも描かれた蹴鞠・管弦・双六を得意とし、刀剣にも造詣が深かったといわれる多芸の持ち主でした。
刀剣については特に関心が深く、菊を好んだことから「菊作りの太刀」などと呼ばれました。
皇室の「菊花の御紋章」の起源になったとも言われています。
■影の権力者:藤原兼子
藤原兼子(ふじわらのけんし)は、久寿ニ年(1155年)生まれで寛喜元年(1229年)に没しています。
上皇に最大の影響力を及ぼしていたのが、上皇の乳母・藤原兼子です。
院の近臣・高倉氏の一族で、乳母として幼少から育ててきたため、上皇のことを知り尽くしていたことが大きな権力を握る要因でした。

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