見出し画像

【感想】渋沢栄一 NHK大河ドラマ『青天を衝け』第5回

昨日2021年3月14日は、渋沢栄一モデルの大河ドラマ『青天を衝け』第5回が放送されました。タイトルは「栄一、揺れる」

■悲憤慷慨(ひふんこうがい)
「悲憤慷慨」という四文字熟語が登場してきました。
意味は、この世の悪や理不尽に耐えかねて憤慨してしまう、ことらしい。
前回の回想で、岡部藩の代官にお金を献上するのが「悲憤慷慨」だと栄一は承服できない様子です。
栄一は、尾高惇忠/田辺誠一に絵本を渡されて読みます。
アヘン戦争で清がイギリスに制圧される絵本。
弱小アジアが欧米列強にやっつけられる絵本を読んで、これまた「悲憤慷慨」する栄一です。

■ここで東照神君家康公の登場です。
「今日も出てきましたよ。『悲憤慷慨』を作ったのは私なのです」と。
「士農工商の身分制度を作り、武士とその他を明確に別けたのは私(家康)です」
「そして、江戸末期、❝その他❞である民衆が、徳川幕府を疑い始めました」
歴史学者のように冷静な分析をする家康公です。
フランス革命のように権力を独占していたものが一般市民の前に崩壊するような事態を想定しているのでしょうか。
世の流れなんでしょうか、世界の潮流には逆らえない。
そんなことを家康公は示唆しているのでしょうか。まだそこまでは言っていません。

■魂を奪われた
魂を奪われたのはアヘン戦争での清国人だけではありませんでした。
栄一の姉・なか/村川絵梨の縁談事件が発生します。
なかは相手を気に入って縁談話が進むと思いきや、渋沢宗助/平泉 成・まさ/朝加真由美が、オサキモチ(尾先狐)が憑いていると、縁談に反対します。
いつの時代にも、お節介で時代錯誤のことを言う人が居ますよね。
更に、憑き物を落とすために修験者とか祈祷師を招き入れます。
修験者なのに念仏を唱えず、祝詞を唱えます。
インチキ過ぎて笑えてきます。
イタコのような霊媒師も笑えます。
ただし、この時代笑えない一面もあります。
科学技術の発達していない江戸末期、病気の原因は憑き物とか祟りとして扱われていたのです。
こんなインチキ霊媒師に対し、栄一が論破します。
「無縁仏が出た」(霊媒師)
「いつの時代の無縁仏か?」(栄一)
「60年前だ」(霊媒師)
「年号は?」(栄一)
「天保3年」(霊媒師)
「天保3年は30年前だ。こんな事も知らないのか。人の弱みにつけ込む神なんか知らない。とっとと帰れ!」(栄一)
なかは、栄一の言葉で勇気づけられたのか無事に回復します。

■江戸幕府では
水戸の斉昭/竹中直人は、「メリケンの次はイギリスと和親条約するのか」
「日の本の精神をしらしめる。隷属国になってしまうぞ」と忠告します。
下田沖でロシア船が転覆します。
斉昭は、皆殺しにしろと主張、それに反対する阿部正弘/大谷亮平は転覆船を助けるため、川路聖謨に救援を指示します。
藤田東湖/渡辺いっけいは、「ロシア人にも家族や親や子がいるのだ。寛容な心を持ってください」と説得します。
ロシア人に対し暖かく援助の手を差し伸べますが、はたして日本の国益になったのでしょうか。
その後、日露戦争、北方領土占領、シベリア抑留といった問題が立て続けて発生するところを見ると、ロシアは恩を仇で返しているように見えますね。
だからといって、皆殺しにするのも日本人の寛容な精神には反します。

■血洗島では
尾高長七郎/満島真之介は、剣を学んで攘夷を実現したいと考えます。
一方、栄一はそこまで過激ではなく長七郎から「何たる腰抜けか!」と罵倒されます。
「人は強く見えるほど弱いもの。一面ではわからない」(千代)
なかなか、哲学的な深い考えをもつ千代でした。

■江戸城では
1855年秋、安政江戸地震が発生します。
藤田東湖が地震で亡くなります。
かけがえのない東湖を亡くして号泣する斉昭公。

藤田東湖

藤田東湖は、水戸の両田といわれるほど優れた家臣だったそうです。
過激な斉昭公を鎮める役割だったのでしょう。
享年50歳。
ここで今回は終了です。

さて、大河ドラマとしては、渋沢栄一の思想的な基礎づくりのエピソードと幕末の政治的背景の描写が続きます。
連続小説的演出としては、徳川慶喜と栄一の絡みが前半のクライマックスになってきそうです。
慶喜の考えが栄一に特別影響があったのでしょうかね。
あまりないんじゃないのかと思いますが。
その辺、楽しみではあります。

■大河ドラマ紀行
神道無念流は、剣術だけでなく学問も学ぶ流派だそうです。
長七郎は、江戸に出て剣術を学びます。
大川平兵衛の大川道場と鹿島神社が登場。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?