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大河ドラマ「どうする家康」開始にあたって(第二弾):徳川の家系

来年1月8日スタートの「どうする家康」の開始にあたり予習を兼ねて徳川の家系を調べてみました。

徳川家の系図つまり徳川将軍家15代は、皆さんご存知のとおりなので、簡単に記載し、家康を遡った系図をまとめてみたのが、下記の図です。

家康系図
家康の系図:自作

松平広忠(演者:飯田基祐)

家康のお父さんが松平広忠。
安城松平家4代当主。松平清康の子で家康の父。
大永六年(1526年)生れで、天文十八年(1549年)没。
竹千代(家康)を人質として今川氏に送り出し、臣従した人です。

松平清康

家康のお祖父さんが松平清康。
安城松平家3代当主。松平信忠の子で家康の祖父。
永正8年(1511年)誕生。森山(守山)崩れで家臣に討たれました。享年25

松平信忠

家康の曽祖父が松平信忠。
安城松平家2代当主。松平長親の子で家康の曽祖父。延徳2年(1490年)誕生。永正三河の乱で伊勢盛時(北条早雲)と戦ったが、暗愚だったという説あり。

松平長親

松平家の第5代当主。松平親忠の三男で家康の高祖父。
文明五年(1473年)誕生、没年は不明です。
永正三年(1506年)の永正三河の乱で伊勢盛時(北条早雲)と戦ったと言われています。

松平親忠

松平家の第4代当主。
松平信光の三男で安祥松平家の初代。
本拠地の岡崎市鴨田町に千人塚を築いたと伝えられます。

松平信光

松平家の第3代当主。
史料で確認できる最初の松平当主。
松平泰親(親氏)の子で応永11年(1404年頃)誕生。
岩津城を拠点とする岩津松平家の祖となり室町幕府の伊勢貞親に仕えたとされています。

松平康親

松平家の第2代当主。
松平親氏の弟で額田郡岩津(岡崎市岩津町)を占領し、西三河の平野部に初めて進出したと言われています。

松平親氏

松平家の始祖。
新田源氏・世良田氏の末裔と伝わります。
室町時代初期の人で、西尾市または刈谷市が本拠。
親氏の子に酒井家の祖・酒井親清がいます。

源氏を名乗った家康

家康の祖先は松平親氏まで辿れるものの、その先は諸説あるようで、不明確なようです。
その諸説を作った要因のひとつが、家康が頂点に上り詰め、名誉を得るため清和源氏の嫡流だと言い出したことにあります。
その祖先として出てきたのが、得川氏、世良田氏の祖といわれる新田義季(よしすえ)です。
新田義重の四男が義季で、鎌倉時代初期の御家人といわれています。
清和源氏流・河内源氏で、源義家の孫・新田義重を祖とするのが新田氏です。
群馬県太田市に領地があったようで、家康の発祥地として売り出そうとしているようです。

於大の方

家康の母親は、於大の方(伝通院)です。
どうする家康では、松嶋菜々子さんが演じます。
享禄元年(1528年)生れ、慶長七年(1602年)没。
関ケ原の戦いの頃まで生きていたので、ドラマでも長く登場しそうです。


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