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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第28回「名刀の主」

2022年7月24日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第27回「名刀の主」を視聴しました。

<始まる前に>

さて、今回の主役は順番からいくと、梶原景時でしょうか。
ハッピーエンドで終わるとは思えませんけど。。

<NHKのあらすじ>

北条時政(坂東彌十郎)と比企能員(佐藤二朗)との争いにより、義時(小栗旬)と梶原景時(中村獅童)の構想から大きく逸脱し、13人まで膨れ上がった訴訟の取り次ぎを行う宿老たち。
鎌倉殿となり気負う源頼家(金子大地)はこれを自身の力を侮っている結果だと捉えて憤慨し、北条時連(瀬戸康史)・頼時(坂口健太郎)ら若い御家人をそばに置いてけん制する。
そんな中、13人の宿老たちが集まり常陸の御家人の土地争いについて評議を……

■プロローグ

訴訟の評議を13人で行っています。
常陸の御家人・大谷の太郎、次郎に関する評定を13人が行います。
政に私情を挟むなとやり合いがあります。
八田知家(市原隼人)は父親が死んだのは20年以上も前で次郎が取り仕切っていたと見破ります。
梶原景時は、評議をやり直すよう戒めます。
残りの12人は何も言えませんでした。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

若き鎌倉殿を補佐する十三人の御家人たち。
父頼朝を超えようともがく頼家は、不信感を募らせていく。

■頼家

頼家は、13人は建前、補佐役なら2、3人で十分、自分をのけものにしていると憤慨しています。
北条時連に期待をかけます。
北条政子(小池栄子)は、勝手なことばかりする頼家のやり方を心配しています。
梶原景時は、好きにさせてほしい、任せてほしいと政子に願います。

■正治元年(1199年)6月、不幸が襲う

政子の次女・三幡が闘病の末、帰らぬ人になります。
これを機に乳母親であった中原親能(川島潤哉)が鎌倉から離れました。
頼家は肝心なときにいないと、政子は不満です。

■実衣の琵琶

結城朝光(高橋侃)が実衣(宮澤エマ)に琵琶を教えています。
影で、夫の全成(新納慎也)がそれを怪訝そうに見ています。
実衣は、琵琶を習い始めたのは、何かを超えたかったと結城朝光に話します。
そんな結城朝光も悩みがあると打ち明けます。
それは、仁田忠常(高岸宏行)と結城朝光は雑談しており、今は鎌倉を率いるにはふさわしくない、といったことを善児(梶原善)が聞いていました。
翌日、朝光に対し、梶原景時は「忠臣は二君に仕えず」という教えがあると語り、景時は謹慎を申し渡したのでした。

■あってはならぬ恋

せつ(山谷花純)は頼家に合わせてほしいと正室・つつじ(北香那)に願い出ますが、つつじも妊娠しているようです。
安達盛長の義理の娘、ゆう(大部恵理子)は頼家と恋仲になっていました。
ゆうは、安達盛長の息子・安達景盛の夫でもあります。
その頃、梶原景時は結城朝光に、謹慎を申し渡しました。

頼家は安達景盛(新名基浩)の妻を譲れと命じますが、安達盛長(野添義弘)は拒否します。
首をはねられても心は変わらぬと、諌めますが、頼家は首を刎ねろと強情に突っぱねます。
それを政子が来るタイミングを見図り、梶原景時は制止します。
そこに政子が現れ、いい加減に目を覚ませと叱りつけます。
義時も頼家を諌めます。
頼家は梶原景時に恨み心を持ったようです。

■結城朝光の処分

景時は、結城朝光に死罪をと提案しますが、御家人を一体にするための見せしめの厳罰でした。
三浦義村(山本耕史)は、人数を集めた書状を書き、頼家に梶原景時の処分を依頼するのがいいと提案します。
時政、比企能員は景時の処分に賛成、りく(宮沢りえ)は書状の最後に署名するよう誘導します。
八田知家(市原隼人)が景時に騒ぎが起きていることを話します。
多くのものが梶原景時に不満を持っていることがわかりました。
全部で67名の署名が集まりました。
しかし、りくは、時政が関わりなかったことにするよう時政の著名が入った紙の端を切り捨てました。
りくは、万が一頼家と梶原景時が結託したらどうするのかと考えていたようです。
「新たなはじまりでなければいいのですけど」(比奈)

■頼家の裁断

和田義盛(横田栄司)は大江広元(栗原英雄)に鎌倉殿に訴状を渡すよう強要します。
政子は梶原景時が欲で動く人ではないと味方します。
頼家は、結城朝光の謀反の訴状を破棄しました。
梶原景時への訴状に対して「恥じ入るところはただの一点もござらぬ」(景時)
頼家は、梶原景時の役目を解き謹慎を命じました。

■その頃、後鳥羽上皇は

「梶原景時それほど有能か?」(上皇/尾上松也)
「最も力のある御家人です」(土御門通親/関智一)
「我が手中に置きたくなった、試しにくすぐってみよう」(上皇)

■梶原景時

「どちらからも疎まれ、捨てる神あれば拾う神あり」(景時)
上皇様から文が届き、京へ来いとあります。
「行ってはなりませぬ」(義時)

■結城朝光

三浦義村は、結城朝光にしばらく姿を隠せと指示します。
義村は、梶原景時がいると何かと話が進まない、となにか企んでいます。

■梶原景時の去就

京からの誘いが頼家の耳に入り、奥州へ流罪となりました。
正治二年(1200年)10月
比企能員は一幡を救うよう義時に助けを請います。
梶原景時は、一幡を抱き、戦を仕掛けようと動きます。
義時は鎌倉を守るのが自分の役目だと景時に語ります。
「刀は斬り手によって名刀にも鈍らにもなる、鈍らで終わりたくなかった」(梶原景時)
景時は一幡を返し、流罪先に行くといい、置き土産として、義時に善児を預けて出ていきました。
義時は西に行くと予想し、すぐに戦の準備をするよう頼時に命じます。
「梶原殿は華々しく戦で死ぬおつもりだ」(義時)

----つづく----

次回は第29回「ままならぬ玉」7月31日放送です。

■感想

善児の名前がタイトルロールにあったので気分が落ち込みましたが、今回は密偵役でした。
なんだか、ホッとしたのは私だけ。
そして、その善児が梶原景時から遺言のように義時に渡されたのは、すごい演出ですね。
サスペンスホラー映画のようです。
頼家の評価は、歴史家の間でも意見が割れるところのようです。

■勝手に解説

【感想】NHK鎌倉殿サミット2022「源頼朝 死をめぐるミステリー 日本史上の大転換点」より抜粋

●源頼家
彼に関する吾妻鏡の記述には不可解な点がある。
土地の広い狭いはその身の運不運によるべし、と大事な御家人たちの調停をいい加減に行っていたと書かれている。
頼家をことさら貶める記述がある。
13人の合議制の筆頭には時政、義時が選ばれている。
義時は宿老の中で突出して若いのだ。
●頼家はどんな将軍だったのか?
佐伯(帝京大学准教授)「名君の素質はあった。愚管抄で腕利きだったという記述がある」
坂井(創価大学教授)「欠点もあるが名君、13人の合議制はなかったが13人の合議は確実にあった」
本郷(東京大学教授)「なかったといって無視するのはもったいない。頼家に実権はなかった」

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