【感想】NHK 歴史探偵「信長・秀吉・家康 天下人の趣味」を視聴しました
2023年9月6日(水)22:00~22:45、歴史探偵「信長・秀吉・家康 天下人の趣味」を視聴しました。
<始まる前に>
まだまだ続く、大河ドラマの番宣です。
三英傑だからしようがないかな。
<NHKのあらすじ>
戦国のヒーロー信長、秀吉、家康。
彼らはなぜ天下人になれたのか?
そのカギは3人が死の直前まで没頭した「趣味」にあった!?
三英傑の趣味を徹底調査し、その野望に迫る。
■信長・秀吉・家康 天下人の趣味
●スタジオで
所長の趣味はなんですか?
佐藤所長「強いて言うなら晩酌かな」
三英傑の趣味は、天下統一やその先の野望にかかわる壮大なものでした。
織田信長の趣味、死の直前まで打ち込んだ趣味がありました。
■信長の趣味
●天正10年(1582年)本能寺の変
戦火をくぐり抜けた遺品が残されていました。
・簗瀬城諒さん
茶色く変色した、火力が強かった跡は、本能寺の変のときに焼けました。
これに信長の趣味に迫るヒントがあります。
「建蓋天目茶碗」「灰被天目茶碗」「霰釜」など、たくさんの茶器でした。
茶の湯を毎年のように開いていました。
1573年以降毎年のように茶会を開いていました。
●1573年の最初の茶会を再現
・田中仙堂さん(大日本茶道学会)
信長の茶会を再現すると、豪華な名料理です。
アワビに白鳥、鷹狩で仕留めた鶏もあります。
食事19品、お菓子9品
これは当時でも大変豪華なものでした。
さらなる仕掛けがありました。
掛け軸を信長は見てもらいたく、丁度、朝倉家が滅んだことによって手に入れた掛け軸でした。
越前の朝倉義景を討ち滅ぼし、手に入れたのが「洞庭秋月図」でした。
朝倉家を滅ぼしたというアピールでした。
白天目の茶わんは、茶会の5日前に本願寺の講話の印として献上されたものでした。
白天目茶碗は、本願寺との和議の講話の証でした。
織田家が勢力拡大する様子を見せつけました。
そして、茶人や商人たちがインフルエンサーとして全国にマスメディア的役割をしていました。
●本能寺の茶会
集大成が本能寺の茶会でした。
・小和田哲男さん(静岡大学教授)
茶会の参加者全員が、九条、一条など公家でした。
太政大臣、関白は征夷大将軍に就任させようという動きが進んでいました。
朝廷に力を見せつける狙いが有りました。
もう一人「松井友閑書状」には、公家以外にある人物が招かれていたと書かれています。
博多の商人、島井宗室です。
大陸と太いパイプのある宗室をある野望のために利用しようとしました。
ルイス・フロイス「日本史」
大艦隊を率いて中国を征服する。明に攻め込む計画を考えていたと言います。
天下統一の野望を見据えた海外進出でした。
6月2日、信長は本能寺の変で茶器とともに炎の中に消えました。
●スタジオで
河合先生「お茶と政治を結びつけたのは織田信長が初めてでした」
河合先生「狙いは、家臣団の統制です。家臣に自分が集めた茶器を与えて競争心を煽りました」
河合先生「滝川一益は上野国よりも茶器が欲しかったと嘆きました」
だれが一番多く茶器をゲットできたのか、ランキング
3位は明智光秀、丹羽長秀5個
2位は織田信忠11個
1位は12個、誰でしょうか?
佐藤所長「秀吉でしょう」
河合先生「勲章のようなもので、与えるだけでなく、お茶会を開くことを禁止し、茶会の価値を高めました」
先程の朝倉義景の「洞庭秋月図」も、秀吉に与えられました。
■秀吉の趣味
●沼名前神社
・奥重信さん
400年以上前に作られた建物で催されたのが、「能」です。
秀吉が能にのめり込んだのは晩年のこと、名護屋城で開催したのが演能会です。
・壇上浩二さん(福山市学芸員)
能舞台の下に潜ると、大きい「かめ」が音響装置として使われました。
奥に進むと、漢字で四番とあり、柱にナンバリングされていて、短時間で組み立てることができる移動式の能舞台でした。
秀吉は、自ら登場する能の演目まで作っていました
・原田香織さん(東洋大学教授)
「高野参詣」秀吉が自分のために作らせた10の演目豊公能と呼ばれています。
「明智討」秀吉本人が光秀の首を打ち取るという筋書きのものがありました。
「任官ノ事」秀吉の出自が高貴な生まれに美化されていました。
原田さん「身分に合うような出自を書かせた、高貴な生い立ちをその力を持って知らしめるために作らせた」
さらなる野望を伺う演目、「この花」です。
・山井綱雄さん(能楽師)
最初から秀吉が出てきます。
秀吉の動きに注目です。
短冊に和歌をしたためていて、高貴な身分で教養の高い人物として演じられました。
この演目の主役・白い能面の梅の花の精霊が出てきました。
驚きの展開が。
梅の花の精霊が膝を付き、跪き頭を下げるような、珍しい、秀吉が神をもこえる存在として描かれました
天皇の前でも披露され、作られた物語が浸透し永遠に語り継がれることを狙っていたと考えられます。
●スタジオで
佐藤所長「信長より奥が深いです」
河合先生「徳川の世になったため、秀吉の能は広がりませんでした」
河合先生「鎮魂の芸術で、自画自賛ばかりで明るい話があって、オレ様能といわれ広がらなかった理由です」
佐藤所長「能に対する愛は本物だったのではないでしょうか」
河合先生「能楽師を保護し、茶人や狂言師や絵師も保護し、芸術を保護していこうとした桃山文化にも貢献しました」
最後は徳川家康です。
鷹狩、水泳、砲術、馬術、聞香など、今回注目するのは薬づくりです。
■家康の趣味・薬づくり
円光院(静岡市)
薬研といい、薬を粉状にすりつぶす道具で、葵の御紋が見えます。
健康管理で自ら調剤した家康、なぜ薬づくりに没頭したのでしょうか。
●豊臣秀頼が誕生
家康は52歳、秀吉が秀頼の成人前に亡くなれば天下を狙うチャンスが訪れます。
秘策の薬づくりです。
「秀吉より長生きするためにはどうすればいいかということで薬づくりがありました」
・鈴木寛彦さん(薬剤師)
中国の処方集「和剤局方」は家康が薬作りに使った教科書です。
咳、感染症、肺結核に効いたと言われる「蘇合香圓」
お気に入りの薬が、「八之字薬」こそ長生きするための秘薬です。
薬たんすの八番目に入れられていたためこの名があります。
●八之字薬の調合に挑戦
生薬1種類に1時間、12種類全部で半日かかります。
鈴木さん「作業、行為も家康公の健康に一役勝ったのではないかと思っています」
現代に蘇った八之字薬、直径5ミリの丸薬です。
1598年秀吉がこの世をさり、2年後関ヶ原の戦いで勝利、長生きの情熱が天下取りに繋がりました
●スタジオで
佐藤所長「家康の趣味は、健康に繋がっているものが多いですね」
河合先生「戦国大名は50歳前後でなくなっている方も多く、75歳まで生きた江戸幕府なかったでしょう」
スタジオに八之字薬をご用意しました。
現在市販されている漢方薬と同じ成分がいくつも入っているので実際に効いたのではないかと言われます。
河合先生「家光小児の頃、重病になったとき、家康が診察し紫雪という薬を与えたら快方に向かいました」
佐藤所長「根を詰める没頭する能力は才能だと思います」
ーーーおわりーーー
次回は「姫路城ナイトツアー」9月13日(水)放送です。
■感想
内容は既出のものが多く、驚くことはありませんでしたが新しい事実も登場していました。
それは、秀吉の朝鮮出兵、大陸進出の思想は、織田信長が先駆だったということ。
小和田教授がコメントしていたので、珍説ではないということですね。
趣味の話でしたので、深掘りはしていませんが、信長が天下統一後の先を見据えていたというのは、かなり信ぴょう性が高いのかも知れません。
当時世界最強と見られていた戦国武将が大陸進出していれば、明は屈伏していたかもしれないですね。
おそらく占領ということにはならず、貿易で有利になる程度だったかも。
中国やその付属の半島なんて、統治が大変そうだし、住みたい人少ないでしょう。