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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」

2022年6月5日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」を視聴しました。

<始まる前に>
曽我兄弟が登場するようです。
仇討ち事件が取り上げられるのでしょう。

<NHKのあらすじ>

源頼朝(大泉洋)の上洛が決まり、命に従い随行する義時(小栗旬)。
大軍を率いて念願であった京へと上った頼朝は、後白河法皇(西田敏行)、九条兼実(田中直樹)と会談。
今後の世のあり方を思い描く。
そんな中、自分たちには利益のない上洛に、三浦義澄(佐藤B作)、岡崎義実(たかお鷹)、千葉常胤(岡本信人)らが不満を募らせていた。
一方、比企能員(佐藤二朗)は比企家の地位を盤石にするため、一族の比奈(堀田真由)を……

■プロローグ

義時と三浦義村(山本耕史)が川に流され亡くなった八重の最期のことを話しています。
義村は、とっても満足だと、八重が語っていて、それが子どもたちのことなのか、どうかはよくわからないようです。
義時は、金剛に鶴丸を恨まず母を敬えと諭します。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

日本中が源氏の名の下に平定された。
しかし、その道のりには多くの別れが。
頼朝はいよいよ上洛実現を目指す。

■義時の館では

頼朝が義時の館を訪れ、上洛が決定したことを話します。
元気のない義時に、頼朝は都の景色を見れば気も晴れる、と上洛同行を命令します。

■建久元年(1190年)11月9日

大軍を率いて上洛した頼朝が後白河法皇と一対一で対面します。
大軍を引き連れてやってきた頼朝に対し、
「我らを無きものとするなら日の本は収まらない。やれるものならやってみるが良い」(法皇)
「新しい世、戦の無い世に、朝廷は欠かせません」(頼朝)
「戦のない世を喜ばぬものはいないが、武士は別」(頼朝)
「朝廷の与える誉が欲しいのか」(法皇)
若き帝の妃にしてほしいと頼朝は願い出ます。
九条兼実(田中直樹)は、頼朝に法皇との対面について問います。
「そう長くないと私は見ている」(兼実)
既に兼実の娘が帝の后になっていると頼朝を牽制します。

■御家人の宴会

工藤祐経に歌会に連れ出されため、頼朝は宴会に参加していません。
大江広元(栗原英雄)は都人に見切りをつけて鎌倉にやってきた坂東の一員だといい、皆に賛同されます。
畠山重忠(中川大志)が義時にもう一つの宴会が開かれていて頼朝への不満を持つ一派があると語ります。
その一派とは、源範頼(迫田孝也)を担ぐ、土肥実平(阿南健治)、三浦義澄(佐藤B作)、比企能員(佐藤二朗)等です。
上総広常の一件がくりかえされねばいいのだがと二人は心配しています。

■範頼と比企能員

世間では範頼が鎌倉殿であったのならと、と比企能員(佐藤二朗)は範頼に語ります。
しかし、範頼にはその気がありません。

■北条家では

義時の様子を見に行きたい政子を全成が制します。
伊東祐親の長男の子・曽我十郎(田邊和也)と五郎(田中俊介)が時政に連れられて北条館にやってきました。
御家人に取り立ててもらえるよう願い出るそうです。
全成は曽我兄弟が御家人になるのは難しいと思っています。

■子守をする義時

子たちの世話をする義時ですが、心配の様子の政子が身なりを変装してこっそりやってきました。
義時は子どもたちの引き取り手を見つけようと動いているようです。

■後白河法皇倒れる

側に後鳥羽天皇、丹後局(鈴木京香)も控えています。
丹後局が法皇様が再興した大仏様がお守りしてくれている、とささやきます。
「守り抜いた」と後白河法皇は最期の言葉を発し、崩御しました。
「日本一の大天狗と言われた後白河法皇が死んだ」(長澤まさみ)

■建久三年(1192年)7月

頼朝は、法皇の死を待っていたかのように征夷大将軍に任命されました。
「征夷大将軍、御家人を従わせる肩書に過ぎん」(頼朝)
といいながら大喜びの頼朝と政子です。
政子に第四子、千幡(実朝)が誕生しました。

■乳母親

千幡の乳母親となったのは、全成(新納慎也)と実衣(宮澤エマ)でした。
乳母について、全成は占いでは吉と出ましたがなにやら不安気です。

■比企一家

道(堀内敬子)は自分たちの立場が弱くなると、比企能員の姪・比奈(堀田真由)を頼朝の側女にすることを画策します。
「鎌倉殿の側で仕えたい」美人の比奈(堀田真由)を頼朝は一目惚れします。
頼朝は手を取って比奈に双六を教えていたその背後に政子が立っており、びっくりした頼朝は、とっさに、義時の嫁にと考えていたとその場を取り繕います。
比企と北条の架け橋になると政子もそれに同意します。
義時は比奈と対面し、後妻をもらうつもりはないと話し、比奈は自分の意思で動いてここに来たのではないといい、八重にも同じことを言われたことを義時は思い出しました。
比奈は、たらい回しだと不満です。
しかし、鎌倉殿の指図であればしようがないので、比企能員は比奈を義時の元に返します。

■金剛のけんか

安達盛長の息子と金剛の間で喧嘩があり、安達盛長(野添義弘)が謝りに来ました。
逆に金剛と義時は平謝りです。
戻ってきてくれと盛長は義時に話します。
金剛によると、安達の子が孤児とからかったため鶴丸をかばって殴ったそうです。

■建久四年(1193年)5月

曽我兄弟は工藤祐経を敵討ちしたい、と時政に願い出ます。
烏帽子親として何でもすると時政は約束しました。
その話をこっそり善児(梶原善)が聞いていました。

■巻狩り

富士で巻狩をすることになり、大江広元に仕切りを時政に任せるよう指示します。
岡崎義実(たかお鷹)が曽我兄弟の仇討ちのことで比企能員に相談に来ました。
岡崎はこの仇討ちには裏があり、それは頼朝討伐だと話します。
新しい世を作るため戦ってきたが平家の世と変わらない。
比企能員は岡崎や曽我兄弟の話しを断りますが、北条も片付けるという曽我兄弟の話に少し乗り気になってきます。
しかし、企みは十中八九失敗すると読みます。
道(堀内敬子)は、鎌倉殿がいないほうが都合が良い、どちらにころんでも比企にはメリットがあると読みます。

■事件の匂い

二階堂行政(野仲イサオ)は義時が居ると邪魔であるといい、梶原景時が義時を呼んでいると伝えます。
梶原景時(中村獅童)によると、御家人たちに謀反の気配があるとのこと。
それは曽我兄弟であり、烏帽子親は時政。
つまり父が関わっているといいます。
「坂東を揺るがす曽我事件の始まりである」(長澤まさみ)

----つづく----

次回は第23回「狩りと獲物」6月12日放送です。

■感想

さて、曽我兄弟の仇討ち事件が描かれ始めました。
事件の背景と首謀者達が紹介されましたね。
善児が聞いていたということは、頼朝も知っていたということなんでしょうか。
頼朝の死因にも絡んでくるだけに、どう描くのか楽しみです。

■勝手に解説

頼朝が征夷大将軍に任命されました。
そこで、以前書いた記事から鎌倉幕府の成立年について引用します。
元ネタはこちら
【感想】NHK鎌倉殿サミット2022「源頼朝 死をめぐるミステリー 日本史上の大転換点」

鎌倉幕府が成立したのは何年?

1192年、いい国つくろう鎌倉幕府
古くから教科書に載っていたが、最近は1185年、この頃鎌倉幕府が成立したというのが今までの通説です。
これ以外だと、1185年、いい箱作ろう鎌倉幕府
成立年には幾つかの説がある。
・近藤「1180年だと思う。山木兼隆を討った時、このときに別の国造りを歩み始めた。関東を制圧、鎌倉の新しい御所に入った日を吾妻鏡が記載しているから」

東国国家論
・佐伯「1190年だと考えている。天皇から日本の治安維持を任されていた。後白河法皇に謁見したときに決まったと、考えている。天皇を支える武家のリーダーを目指していた、と考える」

権門体制論
右近衛大将に任ぜられる1190年を幕府成立と考えている。

このように学者の間でも議論がなされている状況です。

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