【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」
2022年11月6日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」を視聴しました。
<始まる前に>
君子は豹変する。実朝が目覚めたことで逆に、自分の危険度が増していくことに。
最高権力者を敵に回したらだめでしょ。
って言うのが、ドラマでのストーリー展開ですかね。
12月18日の最終回まで残り7回となりました。
<NHKのあらすじ>
決意を新たにした源実朝(柿澤勇人)は、後鳥羽上皇(尾上松也)を手本として人任せにせず自ら裁定を下すことを決意。
泰時(坂口健太郎)をそばに置き、自身の政を進める。
一方、鎌倉内での地位を盤石なものとした義時(小栗旬)は、のえ(菊地凛子)に勧められて執権を名乗ることを決断。
未熟な実朝らをけん制する。
実朝と義時との関係がうまくいっていないことに政子(小池栄子)が気をもむ中、源仲章(生田斗真)が京から戻り……
■プロローグ
実朝が夢にうなされています。
夢の中に後鳥羽上皇が現れ「私だよ、上皇様だよ、北条に惑わされるな、義時は食わせ者よ・・・さらばじゃ」
泰時が実朝に呼ばれ、「お前の力を借りたい、義時に異を唱えることのできるのはお前だけ」
実朝、三善康信、そして泰時が連なるところを義時は見逃しません。
---曲---
エバン・コール
■ナレーション(長澤まさみ)
和田一族は義時によって滅ぼされる。
しかし、そのことが実朝を覚醒させた。
強大な義時に対抗するため、実朝が頼ったのは後鳥羽上皇。
■実朝の政務
秋から年貢を三分の一に減らしたいという意向を示す実朝、御家人たちから
文句が出る、近臣は皆反対意見です。
しかし、泰時は、減税策の案を出します。
義時は「どういう立場でここにいるのか」泰時を問い詰めます。
いっそのこと執権になってしまえばという、のえ(菊地凛子)に渋い表情の義時です。
そこに現われた二階堂行政(野仲イサオ)も同意見です。
■執権誕生
「執権殿、遅かったくらいだ」(三浦義村/山本耕史)
「これからは鎌倉殿はご自分で政をするのです。誰かそばにいてあげた方がいい」と考えますが、政子は仕方なく実衣に任せることになりました。
■政務
伊豆の御家人より訴えが届き、年貢を三分の一に減らされ不公平だと怒っています。
「不具合が見つかれば別の手を考える」(実衣/宮澤エマ)
「周りのものがもっとしっかりせよと申しておる」泰時に対する不満をぶつけます。
泰時は自分の考えが甘かったと実朝に侘びます。
上皇が送ってきた聖徳太子像を見つめながら、「聖徳太子様は貴い生まれなのに功徳を積まれた自分の道標」
■陳和卿
源仲章が京都から戻りました。
宋の匠・陳和卿(テイ龍進)を連れてやってきました。
東大寺の大仏殿の再建を行なった経験があるといいます。
陳和卿は泣きながら「初めて会うわけではございません、前世で実朝様は醫王山の長老と門弟でした。お久しゅうございます」と話します。
実朝は、以前同じことを言ったと思い出し、夢日記をつけていて、それとそっくりだとも。
「船にまつわることじゃないか」(実朝)
大きな船、誰も見たことのない大きな船、それで宋に渡り中国に行くといいます。
■義時と時房
時房(瀬戸康史)は、伊豆で父親・時政のうわさを聞いたと、膝を悪くして歩くこともままならぬと。
様子を見るために、泰時に行かせることになりました。
■京から珍しい人物が
丹後局(鈴木京香)です。
政子は、「四人の子のうち三人を亡くし慎ましく生きたかった」と話します。
「頼朝殿と一緒になったのは何年?」と丹後局は問います。
「まだそんな甘えたことを行っているのですが、覚悟を決めなさい、人並みの人生望んではなりません。何のためにつらい思いをするのか、いずれわかるでしょう」(丹後局)
■泰時
夢日記は、いつでもみられる、前もって。
源仲章、つまり、「西のお方が糸を引いているということか」
「この船は坂東のためにはならない、完成させるわけには行かぬ」(義時)
泰時は陳和卿を助けてやってほしいと八田知家(市原隼人)に依頼します。
■京都では
実朝が船を作り始めたとの文を読み、意外に早かったと語ります。
伊豆の豪族にすぎぬのに将軍に指図するなど身の程を知れ、なぜか放ってはおけない、と語ります。
慈円(山寺宏一)に愛刀を突きつけながら上皇はほくそ笑みます。
■由比ヶ浜
竹で帆を編む陳和卿に、八田知家は重たくて倒れてしまうと意見します。
しかし、陳和卿は頑丈に作れば良いのだ、と耳を傾けません。
■政子と義時
「頼朝様は、鎌倉を武家の都にと考えられた、しかし実朝は上皇の言いなり。誤ったものは改めてもらう、実朝には表から退いてもらい、政は宿老で」(義時)
「つまり、あなたのようにしなければいずれ頼家のようになるということか」(政子)
■実朝の想い
実朝は、「船に乗って彼の国に渡ってみたい、泰時も千世(加藤小夏)も一緒に行こう」と話します。
時房は、船の建造を中止していただきたいと実朝に訴えます。
上皇様にそそのかされて造る船など必要ない、義時は反論します。
「徳を高めるのも大事だが、ゆっくり時間をかけて立派な鎌倉殿になればいい」(政子)
泰時は、建造に携わった御家人などの名を船に残すという提案をします。
三善康信(小林隆)も船の建造をつづけさせてほしいと懇願します。
「命を縮めることになるのだとしたら」(政子)
大江広元(栗原英雄)は「あとは尼御台のお気持ちひとつ。あなたが頼朝様の妻であったことに変わりはない、鎌倉を引っ張っていくのはあなたなのです」
政子は皆を集めることになりました。
■船は
八田知家が来て、4月には完成する。海までの運び方を説明します。
「この仕事を最後に隠居しようと思っている、あなたとそう変わらないのだ。最後に夢のある仕事に出会えた。この船が完成すれば思い残すことはない」(八田知家)
その夜、秘かに時房がやってきて、船の図面に何か書き込んでいます。
■建保五年(1217年)4月17日
船が浜にめり込んでしまいました。
陳和卿は混乱し、どこで計算が狂ったのかと言います。
必死に引っ張りますが、船は動きません。
義時は、それを冷静に見つめています。
八田知家が裸になって引っ張りますが、丸太が折れて船が沈んでしまいました。
午の刻から申の刻まで力の限り船を曳いたが海に浮かべることはできなかった
実朝はショックで声が出ません。
「その後、船は浜辺で朽ち果てた姿をさらし続けたという」(長澤まさみ)
■母と子
「御家人たちが束になってかかってもそれを跳ね返す力をつけるのです」(政子)
「家督を譲り、大御所となる」実朝が皆の前で宣言します。
「お子ができたということですか?」(実衣)
「子ができることはない。外から養子をとることにした。朝廷に連なる高貴なお血筋の人を、上皇様にお願いしてみる」(実朝)
源仲章と話をしろと指示します。
「鎌倉殿を大御所として支えていきたい」
鎌倉殿の好きなようにさせてあげましょう、と政子も同意します。
まずは鎌倉のことを考えるべき、泰時も反発します。
実朝も満足な結論でした。
■鎌倉が動き出す
源仲章「跡継ぎの件、然るべき人を見つけたいと思っております」
「このままではすまさん」(義時)
そして、「この男が6年ぶりに京から戻ってくる。頼家の忘れ形見、公暁(寛一郎)」(長澤まさみ)
■伊豆北条館
居眠りしている時政のもとに、泰時がやってきました。
りくは京に戻っていったと話します。
「今が一番幸せのような気がする、力を持つというのはしんどいなあ」(時政)
サツキ(磯山さやか)が時政の面倒を見ていました。
「北条時政はこの後78年の生涯を閉じた、鎌倉を追われてから10年後のことである」(長澤まさみ)
----つづく----
次回は第43回「資格と死角」11月13日放送です。
■感想
八田知家が三善康信と同じくらいの年齢だったことがバレました。
つまり、70歳くらいだと。
13人の紹介のときに「保元の乱で源義朝について戦い武功をあげる御家人です」と書いていたので、少し気になっていました。
ドラマの為せる技ですね。
そして、時政がドラマ上の退場、お別れです。
■勝手に解説
なぜ、いい国作ろう・1192年鎌倉幕府成立ではなくなったのでしょうか。
実は、第二次世界大戦前は、文治元年(1185年)鎌倉幕府成立が通説化されていたのです。
1185年成立説だけでなく、段階的成立説も有力視されるなど、1192年説はそれほど有力ではありませんでした。
戦後、なぜか1192年が通説化、教科書にも採用されるようになります。
そして、最近になって1192年説が否定され、複数段階説へと変化したのです。
戦前から1185年説が存在したということを考えると、歴史研究が進歩したからということではなさそうです。
どちらかというと、諸説存在しよくわからないからウヤムヤにしたということで、結論を先送りして研究が退化しているようにもみえます。
このような混乱から、最近の入学試験では、特定の暦年を解答する出題はなくなりつつあるようです。
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