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【感想】NHK 歴史探偵「米騒動」を視聴しました

2022年8月31日(水)22:00~22:49、NHK 歴史探偵「米騒動」を視聴しました。

<始まる前に>

米騒動って戦争による米不足から発生した内乱だったかな。
現在の物価高騰、食糧危機と関連させようということかな。

<NHKのあらすじ>

100年前、日本を揺るがした米騒動。
当時、内閣総辞職にまで発展した大事件はどうして起こったのか?
騒動の参加者の証言テープを入手。
富山の暴れババとは何者か?

■スタジオで
佐藤所長「米を求めて女性たちが決起したぐらいのイメージしかない」
大正時代1918年の夏、当時の新聞には7月女性46人が集合し役場に押し寄せた。と書かれています。
8月大阪も米屋を襲う。東京市ついに不穏に陥る。
9月内閣総辞職に追い込まれた。

■参加者の肉声を入手

神奈川県藤沢市に貴重な資料があるとの情報が。
肉声を記録したテープ。
・井本三夫さん
1960年代、米騒動の目撃者にインタビューしたものです。
「暴れ女、暴れババ」タダでは収まらない集団と一目置かれていました。
当時の写真を見ると、貫禄があります。

■謎の集団”暴れババ”

富山市水橋へ米騒動が最も激しくなった場所です。
・郷土史家の大村歌子さん
大きな米庫がいっぱいあり船に乗せて北海道に運びました。
港で60kgの米俵を運ぶ女達が暴れババと呼ばれていました。
結束力が非常に強かった女達、なぜ騒動を起こしたのでしょうか?

■背景に”米価高騰”

米価高騰の原因は戦争でした。第一次世界大戦の真っ只中、空前の好景気でした。
富裕層は、米への投機につぎ込み、1年半で2倍近くに米価は上がりました。
生活に困った暴れババたちは行動に移します。

■動き出した暴れババ

米商人の元へ向かい、暴れババたちは、暴れたと思いきや、米を北海道にやってくれるなと頭を下げてくれたらという思い。
騒動というよりは、お願い運動だったのです。
米、旅にやるな!荷車を囲んでみたり、威圧したり、米を出させないよう抗議を続けたのです。
「暴れたり棒一つ持っていない、ガラス一枚破っていない」
働く女性たちの抗議活動、ストライキに似たもの、全然イメージと違いました。
さらに、バンドリ騒動、バンドリとは、わらで作ったカッパでした。

■天気から見えてきた真実

当時の天気、米騒動の本質に迫る鍵だったのです。
富山地方気象台
米騒動が報じられたのは7月下旬は、雨の数字なし、雨は降っていなかったのです。
6月下旬から7月上旬にかけては、雨が降っていました。
女性たちが騒動を始めたのは、新聞報道より2週間以上前に行動していたのです。

■警察資料に迫る

当時の警察の記録に手がかりがありました。
明治45年、明治40年、米騒動の記録があります。

■富山で騒動は”恒例”だった!?

なぜ報道は遅れたのでしょうか。
明治40年の記録、もっと古い記録、明治時代から何度も起こっていたため新聞は注目していなかった。
頻繁に米騒動は起こっていたのです。

■スタジオで
佐藤所長「暴れババ、全然暴れてないし」
河合先生「専業主婦というのは戦後の概念です」
当時「おからめし」を食べていました。
佐藤所長「茶色い感じ」

■”おからめし”とは?
佐藤所長「味はどうなんでしょうか?」
食感はおからですが、満腹感があってお腹が膨れました。

■急拡大のナゾを解明

富山県滑川市立博物館へ
・館長の近藤浩二さん
7月下旬の騒動を報じた新聞記事です。
”女性たちが46人押し寄せた”
”あまり緊迫感がなく大丈夫だろう”という書き方です。
ところが、8月6日、”2千名”桁違いの規模に膨れ上がり何日も続きました。
その原因は、暴れババとは別の人達でした。
富山県が内務省に提出した資料には、羽織を着るもの、巻煙草を吸うもの、学生風など様々な人達でした。
なぜ参加者が急増したのでしょうか?
大きな原因は、8月のシベリア出兵です。
富裕層は、米価のさらなる高騰を見込んで、投機を加速させたのです。
米価は20%以上上がりました。
これが混乱を引き起こします。
・能川泰治さん
会社員、公務員も支出が収入を上回って生活が苦しくなりました。
「洋服細民」という言葉に象徴されています。

■人々の不満 高まる

多くの人が抱える不満が爆発したのです。
その騒動に注目した記者がいました。
高岡新報の特派員です。

■マスメディアが注目

格差が広がる社会構造の問題に記者は注目しました。
ニュースはすぐに広がります。
「女房一揆」「富山の女一揆」センセーショナルな見出しが踊ります。
・井本三夫さん
米と女たちにニュースバリューがあるのです。
事態は大きく動きます。

■始まりはストライキ

当時、労働者たちの不満が大きくなり、大規模なストライキが発生していたのです。
ストライキに米騒動が乗っかり、広がっていきます。

■スタジオで
佐藤所長「不満、火種があったんですね」
ある歌が流行っています。
「イキテルソング」(1918年)です。
”生きたガイコツが踊るよ踊る外米食ってやせたやせた”
河合先生「政府も東南アジアの外米を急遽輸入していました」
「ジャポニカ米と違い、まずいお米に不満を持っていました」
「新聞が急激に部数を伸ばすのが日露戦争の前後で、過激な報道をしました」

■各地で暴動が続発

大きなうねりを巻き起こします。
最初は大阪で動きがあり、暴動が発生したのです。
16歳の少年の証言が残っています。
米屋が米を2階に隠していて、人々が気づき、群衆は米を盗み出しました。
東京ではさらに過激化していきます。
日比谷公園に群衆が集まり、自動車を押し倒すなど、数万人が該当を占拠、吉原遊郭に押し入り放火する集団もいました。
44道府県に拡大、市民生活が完全にストップします。
内閣総理大臣・寺内正毅は、記事掲載を禁止、言論統制を行いました。
これに全国の新聞記者たちが猛反発、寺内内閣の退陣を求めたのです。

■政府とメディアの対立

ついに、政府は軍隊を出動、約10万人が動員されました。
宇部では軍が群衆に発砲、12名が死亡したのです。
9月21日、寺内内閣総辞職
・能川泰治さん
軍閥内閣といわれる内閣が退陣、センセーショナルな出来事でした。
死者30人、検挙者25000、参加者100万人日本中を襲った大騒動になりました。
富山で女性たちが抗議を始めてから、わずか2か月の出来事でした。

■スタジオで
佐藤所長「怖さみたいなものを感じました」
米騒動の民衆の力が、その後の社会を変えていく力にもなっていきます。
河合先生「例えば、制限選挙から普通選挙法が成立、無条件で選挙権を得ました」
「食の安定のため、公設市場、築地、豊洲とかの元になる法律ができています」
「朝鮮半島で盛んに米を作らせることが始まり、植民地支配が強化されました」
佐藤所長「暴れババはその後どうなったの?」
当時のことを語らなくなってしまったのです。
河合先生「オーラルヒストリーという公的に残らないことを調べていこうという成果が出ています」

ーーーおわりーーー

次回は「千利休」9月7日(水)放送です。

■感想

なんだか、今のご時世と重なる時代背景ですね。
米価ではないですが、原油価格や食料の価格が上がり不満が爆発寸前。
当時はロシア革命、今はウクとロの紛争中、中共と台の対立。
当時は共産主義者のテロ、今は新グローバル秩序主義者や昔と同じ共産主義者の勢力台頭。
LBGなんとか、気候変動、SGDs、ブラックライブなんとか、グレートなんとか、ですかね。
つまり、今の秩序をぶっ壊せー、ってやってる輩がイメージできます。
歴史は繰り返す、
この騒乱は、米騒動をきっかけに、共産主義勢力の台頭によるストライキが過激化したということのようです。
つまり、共産主義者が暴動を扇動したということでしょう。
証拠はありませんが。
それに、当時のマスコミにはそれほど影響力はなかったんじゃないかと。
読者数が拡大していたとはいえ、新聞だけでそれほど騒動が拡大するとは思えないですね。


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