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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第31回「史上最大の決戦」

2023年8月13日(日)20時『どうする家康』第31回「史上最大の決戦」を視聴しました。

<始まる前に>
小牧・長久手の戦いが描かれるようです。
関ヶ原の戦いの前哨戦でしょうかね。
それと石川数正。

<NHKのあらすじ>
お市(北川景子)を死に追いやった秀吉(ムロツヨシ)に、家康(松本潤)は激怒、打倒秀吉の意志を固める。
だが勢いに乗る秀吉は信長の次男・信雄(浜野謙太)を安土城から追放、着々と天下人への道を進んでいた。
信雄からも助けを求められ、10万を超える秀吉軍と戦う方法を考えあぐねていた家康は、正信(松山ケンイチ)の日ノ本全土を巻き込む壮大な作戦を採用。
しかし、その策も秀吉に封じられ、大ピンチに追い込まれ・・・・・。


■プロローグ

「めんどくせえのが残っているがや、白兎」(秀吉)
「秀吉はわしが倒す」(家康)

---曲---
稲本響

■天正11年(1583年)

■ナレーション(寺島しのぶ)
「織田家・次男・信雄を擁し、信長の後継者争いに勝利した羽柴秀吉は、天下人への階段を更に大きく、大きく駆け上がっておられました」

●天正11年(1583年)・大坂
秀長に案内されて石川数正は秀吉に面会しようとしていました。

●遠江・浜松城
祝いの品として信長よりもらった初花肩衝を献上すると家康は話します。

●面会
石川数正がお祝いを述べに参上し、秀吉はふざけた態度で数正に接します。
秀吉は、数正のような家臣が欲しいと話します。
無表情で献上品の初花肩衝を差し出す数正に、秀吉は感動で感無量の表情を見せます。
建築中の大坂城が出来上がったらお招きするので、仲良くしようと話します。

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(感想)
ムロ秀吉の演技は絶品です。
そして、献上品は初花肩衝ですね。最後は徳川に戻ってくるとか。

●岡崎城下・数正の屋敷
妻の鍋(木村多江)に帰宅を労われ、数正は何か夢想しています。

●追い出された信雄
無能な信雄を排除し、織田家を蔑ろにし、激怒してその場をさりました。
秀吉は信雄が誰かに泣きつくだろうと警戒します。

■織田家・清須城

秀吉に見限られた信雄は徳川家康を頼りました。
家康は信長と織田家と徳川家は盟約を交わしたと話し、今後も変わらぬが秀吉と戦うのは大変である。
刺し違える覚悟を問われると無論だと信雄は答えました。
10万を超える軍勢の秀吉に、無謀な戦をするべきではないと考えていました。
家康の心中を見抜き、必ず合戦になるだろうと話していました。
瀬名に必ずできると言われたことを家康は思い出します。


(感想)
築山殿の言葉を信じて実行するというストーリーですね。

■家康家臣の覚悟を確認

井伊直政に大きな戦になったら、家臣を思いのままに動かせるか問います。
必ず手懐けてみせると約束しました。
榊原康政は、勝算を問われると何の悔いはないと覚悟を述べ家康から地図を渡されました。
本多忠勝は俺に聞くべきではない、やるべし。
天下を取ったら主君だと認めてもいいと豪語しました。
本多正信は家臣等に池田恒興を調略すれば秀吉に深く入り込むことができる。
越中の佐々成政、土佐の長宗我部元親、根来衆、雑賀衆を巻き込めば畿内の秀吉を、日ノ本全土で取り囲むことができると戦略を説明しました。
日ノ本全土の大いくさ、強くなければ奪われるだけ、乱世を沈め安寧な世をもたらすのは自分の

安寧な世を築くため、欲に果がない秀吉に勝負を挑みたいと決意を述べました。
猿を檻に入れましょうと石川数正も同意しました。


(感想)

■天正12年(1584年)・2月

家康は、信雄に人払いを求め、一対一で話し合います。
家康は信雄に、池田恒興の調略を秀吉に通じたものがいてもできるかと迫られます。
(ナレ)「信雄は秀吉方に通じていた3人の家老を誅殺。ついに戦いの火蓋が切られたのでございます」

●秀吉
池田も信雄と家康に付くと返事をしたと報告を受けました。
秀吉の目論見通りとなりました。


(感想)
怖い!これほどまでに戦略通りになるなんて、秀吉すごすぎる。

●於愛と
於愛の肩をもみながら、家康はおろかな戦ばかりであきれているだろうと話します。
瀬名の目指した世はなんとなく分かっていると於愛は返答します。


(感想)
於愛とのやり取りを描くのなら、築山殿の目指した世を作ることを目指すとは思えない。
女性が戦争を望んでいないというのは本当なんでしょうか。
負けたら終わりの弱肉強食の世界、女性も男性と同じでしょ。

●鍋と数正
戦となることを告げると、岡崎城代の妻として城に詰めてもらうと命じました。

■三河・岡崎城

大久保忠世(小手伸也)、鳥居元忠(音尾琢真)、平岩親吉(岡部 大)は甲斐・信濃を守り真田に備え、残りのものは清須に入ることになりました。
日ノ本を二分する大戦となる、織田信雄のもと上洛し、天下を取る時ぞと宣言しました。

■美濃・大垣城

池田恒興(徳重 聡)によると、秀吉は家康の首を取れば、美濃に加え尾張と三河をくれると約束したとのこと。
森長可(城田優)はどちらに付くのか聞くと、池田は秀吉は嫌いだが秀吉に付くことになりました。
(ナレ)「織田を裏切り秀吉に付いた池田軍は進軍を開始。尾張北部の防衛線、犬山城を瞬く間に落城せしめたのでございます」

■織田・徳川本陣

うろたえる信雄に家康は、信長の息子ならしっかりせよと活を入れました。
池田軍は犬山城を出て、清須の眼の前の楽田に向かっています。
酒井忠次はこれが最後だという決意で決戦の場に出ていきました。

■羽黒(森長可の陣)

酒井忠次と鬼武蔵と呼ばれる森長可の戦いが始まりました。
正面に引き付け、横っ腹を討つという戦法です。
森長可の軍勢に酒井忠次は勝利しました。
正信は岡崎城まで兵を引いて籠城するのが得策だと進言しますが、前に出ることに。
榊原康政が策を提示します。
小牧山城を10日で難攻不落の要害にできると言ったため小牧山に陣を移しました。
(ナレ)「迫りくる羽柴秀吉の軍、10万。犬山城に着陣すると勢いそのままに楽田城をも一気に制圧したのでございます」

■3月29日・楽田城

秀吉は池田恒興、森長可の前に登場します。
(ナレ)「我らが君は、本陣としたるはその南方わずか一里半、榊原康政が5日のうちに強靭な城に作り替えたる小牧山城。ここに両雄ついに相まみえることとなったのでございます」
「家康と勝負をつけたるわあ」(秀吉)

----つづく----

次回はどうする家康 第32回「小牧長久手の激闘」8月20日放送です。

■感想

教科書では小牧・長久手の戦いと習ったこの合戦、今は「小牧合戦」とか「天正十二年の東海戦役」とか言われるようになったとか。
関ヶ原の戦いに匹敵する天下分け目の戦いとして描かれました。
秀吉が家康に事実上敗れたとされる合戦ですが、実際は秀吉の勝利ではないかとも言われるようになりました。
江戸時代に徳川政権によって、印象操作が行われたのかもしれませんね。
それだけ複雑で全国に及んだ重要な合戦だったということです。
小牧山とか犬山という名を聞くと子供の頃が思い出されます。
よく遠足で行った記憶があります。


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