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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」

2022年9月11日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」を視聴しました。

<始まる前に>

忠義一徹、関東武者の鑑・畠山重忠が餌食になりそうです。
婿殿まで消すなんて異常ですね。

<NHKのあらすじ>

源実朝(柿澤勇人)の妻になる後鳥羽上皇(尾上松也)のいとこ・千世(加藤小夏)が鎌倉へ到着。
政子(小池栄子)らが出迎えるが、愛息・北条政範(中川翼)の凱旋を心待ちにしていたりく(宮沢りえ)は失意に沈んでいた。
そんな中、娘婿・平賀朝雅(山中崇)が畠山重忠(中川大志)の嫡男・重保(杉田雷麟)への疑惑をりくに告げる。
一方、朝雅の振る舞いについて重保から相談された義時(小栗旬)は、父・時政(坂東彌十郎)に……

■プロローグ

和歌集に興味津々の実朝、三善康信(小林隆)の詠み上げる父頼朝の歌を聞き、政子に和歌を勧められます。
「道すがら 富士の煙も わかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに」

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

実朝の婚礼が近づく。
その陰で、時政とりくは息子を失っていた。
不可解な死の真相を巡り、駆け引きが始まる。

■のえと義時

子がほしいかと問われたのえ(菊地凛子)、欲しくないといえば嘘になると。
「小四郎殿には太郎殿がいる私はそれで満足」(のえ)
しかし、のえは陰で祖父・二階堂行政(野仲イサオ)には満足のわけがないと反対のことを話しています。
泰時はのえの裏の顔を見てしまい義時に打ち明けるべきか悩んでいます。

■実朝と千世の婚礼

元久元年(1204年)12月10日、三代将軍実朝と結婚するため後鳥羽上皇のいとこが鎌倉に到着する。(長澤まさみ)
千世(加藤小夏)が鎌倉に到着しました。
りくは息子の北条政範(中川翼)がなくなって落ち込んでいます。
その頃、実朝と千世が祝言を上げています。
畠山重保が、義時に政範が急逝した時の状況を義時、大江広元(栗原英雄)に報告、それによると、平賀朝雅が毒を盛ったという話を重保は聞いていました。
そして、畠山重保が平賀朝雅を問い詰めますが、逆に脅されました。

■りくと平賀朝雅

りくに平賀朝雅は、政範のことで嫌な噂が流れていて、毒をもられたのではと話します。
毒を盛ったのは畠山重保であると、りくにほのめかしました。
りくは重保について怒りが収まりません。
重保の策略にハマってはならない、信じてはいけない、と二人は話します。

■りくの思い

りくの血縁ではない重保なら非道な真似ができるのだ、と確信し重保を討つよう時政に訴えかけます。
毒を盛れば顔色が変わるのですぐ埋葬したのではないか、と義時は平賀朝雅の話を疑います。
時政は良き婿であるが、政範は大事な息子なのであるから、畠山を討てと言い張ります。
だれであろうと鎌倉殿の下文がないと勝手に動けない、下手な真似はするなと止めに入ります。
三浦義村は、のえとは初対面です。
「できたおなごだ」という義時に、
「義村は惚れてるのか?だったらいいが、手に飯粒がついていた。食べながら裁縫するやつがいるか」(義村)

■りくと政子

畠山重忠は頼朝様が誰よりも頼りにしていた人、そしてちえの夫。
政範の死に関わっているとは思えない。
りくはその噂を打ち消します。

■畠山重忠と重保

京都に戻った平賀朝雅が疑わしいが、上皇の近臣でもあり京都を敵に回せない。
畠山重忠は、一旦武蔵に帰り戦支度をすることにしました。

■和田義盛の館

実朝は和田の館にがやってきました。
面白いところにお連れしましょうと、やってきたのが歩き巫女のところでした。
歩き巫女(大竹しのぶ)、よく当たるといいます。
実朝、泰時(坂口)、鶴丸(きづき)が占いをされます。
実朝は、雪の日は出歩くな災いが待っていると歩き巫女に言われました。

■りくに促され

疑わしいのは平賀朝雅であり、畠山ではないと断言、後悔することになるということで、畠山討伐は待つと了承しました。
それに対し、りくは不満です。
「無理のし過ぎじゃないのかな」(時政)
「次は私の番かもしれない、そうゆうときまで来ているのです」(りく)
ついに実朝のところに畠山討伐を命じるよう話に行くことになりました。

■義時と時政

「だれよりも疑わしいのは平賀朝雅、次の執権を狙っている」(重忠)
畠山討伐は一旦待つことになりました。
次に殺害されるのは自分の番かもしれないと、りくは時政に迫ります。
その頃、鎌倉殿の姿が見えないと大騒ぎになっていました。

■歩き巫女と実朝

歩き巫女に実朝は悩みを打ち明けます。
妻を娶ったが、実朝の思いと関わりのないところで決まった、と悩みを打ち明けます。
「どんなものであってもそれは一人だけの悩みではない、お前一人だけではない」(歩き巫女)
気が晴れた実朝でした。

■追討の下文

時政が御所にやってきましたが、皆は、お引取りをと帰宅を促します。
帰るといいながら、大江広元の動きを影で探っています。
八田知家(市原隼人)が和田の館にいることを発見します。
実朝が帰ってきたことを影で時政は聞いていました。
時政は中身を隠しながら実朝に花押を押すよう誘導、ついに追討の下文が発効されてしまいました。

■そのころ畠山重忠は

武蔵国にやってきた義時と酒を酌み交わしながら、重忠は「戦となれば一切容赦しない」と話します。
「もしも執権殿と一戦交えることになったら執権につくだろう、鎌倉を守るためには私もそうする」(重忠)
「本当に鎌倉のためを思うなら、あなたが戦う相手は・・・」(重忠)
「それ以上は・・・」(義時)

----つづく----

次回は第36回「武士の鑑」9月18日放送です。

■感想

歩き巫女役で大竹しのぶさん、事前告知もなくサプライズ登場です。
クレジットに名前がなければ誰だかわからない変装ぶりでした。
歩き巫女(あるきみこ)は、その名の通り、旅をしながら占いをする巫女のことだそうです。
イタコのような死者を呼び寄せる「口寄せ」のようなことをしていた歩き巫女もいたとか。
実朝に雪の日は気をつけろ、と占うのは何とも不気味な予言ですね。

■勝手に解説

実朝の縁談では、周りの人々は下野国の足利義兼の娘を勧めますが、実朝は同い年の京都の貴族出の娘を選びました。
京風を好んだ実朝は狩りに出るのではなく、主として独学で和歌作りに励みます。
実朝の歌集『金槐和歌集』には、新古今調の風雅な作風の歌が多く選ばれていたといいます。
後鳥羽上皇に認められた実朝は、昇進も早く、建保六年(1218年)には権大納言兼左大将、右大臣へと駆け上りました。

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