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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第17回「助命と宿命」

2022年5月1日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第17回「助命と宿命」を視聴しました。

<始まる前に>

タイトルから見ると、木曽義仲の息子・義高の話のようです。
まだ12、3歳の若者の運命は如何に。

<NHKのあらすじ>

源義経(菅田将暉)の軍略がさえわたり連勝に沸く鎌倉方。
しかし、木曽義仲(青木崇高)の討伐により鎌倉に再び暗雲が立ち込める。
義仲の嫡男・義高(市川染五郎)を危険視する源頼朝(大泉洋)は、戦勝報告のため範頼(迫田孝也)とともに鎌倉へ戻っていた義時(小栗旬)に義高の処断を命令。
大姫(落井実結子)を思う政子(小池栄子)は憤り、義高を救うため奔走する。
一方、頼朝に試された義時は八重(新垣結衣)ら家族を思い……

■プロローグ

後白河法皇は鵯越の逆落としを褒められますが義経がやったと勘違いしています。
梶原景時(中村獅童)が逆落しは義経がやったものではないと言います。
「馬に乗って駆け下りたほうが絵になるしなあ、歴史はそうして作られていくのだ」(義経)

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

義経の連勝に鎌倉は湧いた。
しかし、頼朝とその家族には、義仲討伐の代償が待っていた。
鎌倉に再び暗雲が立ちこめる。

■八重と義時

客人、八重の従兄弟・工藤祐経(坪倉由幸)がやってきました。
子どもたちに人殺しと石を投げられるのは、親の仇と恨んでいるとか。

■鎌倉殿では

義仲を討った今、片付けておきたいことは、甲斐の武田信義と木曽の倅・義高の処遇です。
義高の討伐は義時に預けられました。
これは、人の世を治めるには、鬼になることを義時にわかってもらうためです。

■義高

「逆らったら鎌倉で生きて行けぬ」(時政)(坂東彌十郎)
「義高の首をはねることは断じて許さない」(政子)(小池栄子)
父・義朝を平家に殺された怒りの炎は20年たっても消えることはない。
父の恨みは万寿に万寿に降りかかる」(頼朝)
「冠者殿に合わせなさい」(政子)

伊豆山権現に匿ってもらい、その間に鎌倉殿の気持ちを変えて見せる」(政子)
「私は鎌倉殿を決して許しはしない。一刻も早くこの首をとることをお勧めします」(義高)

■検非違使に任命

義経が後白河法皇より検非違使に任ぜられました。
「頼朝は忘れて良い」(法皇)
検非違使に決まり大喜びです。
そこに白拍子が現れ、踊りを披露します。
義経はその一人に惚れたようです。

■比企能員

義経と比企能員(佐藤二朗)の姪との婚姻が決まりました。
比企と源氏のつながりがますます深くなります。
和田義盛(横田栄司)が捕らえた巴御前(秋元才加)が義時に会いたいと伝えに来ました。
義仲からの手紙を読む義高は、生き延びることを決意します。
政子は伊豆山権現に逃げる手配をします。
女人に化けて逃げる手筈を行い、工藤祐経に見張り役を依頼します。
三浦義村(山本耕史)は、名越の寺に泊まり、翌朝伊豆山権現に出立するよう助言します。

■武田信義

頼朝側についた武田信義(八嶋智人)と嫡男の一条忠頼(前原滉)は、恩賞を賜れないのが不満です。
木曽義仲の息子・義高が幽閉されていることを利用することを企みます。
信義が義高に団結して戦おうと言いますが、義高は断ります。

■鎌倉殿

政子と実衣(宮澤エマ)が作戦を練ります。
全成(新納慎也)が偽物の頼朝に扮装して義高の部屋に入る策を練りました。
範頼から木曽義仲との戦いの話を聞きますが、義時は上の空です。
義高の企みをバレないように必死です。
安達盛長(野添義弘)も味方についてくれたのです。

■逃げられるか

一条忠頼が義高の部屋に入りますが、義高は居ませんでした。
そのころ義高は、女装して逃げ出していました。
工藤祐経はお役御免になってしまったようです。
八重(新垣結衣)に連れられた女装した義高が義村に連れられ寺に匿われました。

頼朝は義高が逃げたことを知り、首をはねるよう命じます。
義時は、畠山重忠(中川大志)と和田義盛に時間を稼ぐように依頼します。
三浦義澄(佐藤B作)は我らが捕らえると息巻いています。
義高は、義時を信じられず、信濃に逃げようと寺を抜け出してしまいます。

■大姫

「冠者どのをお助けくださいませ、私も死にます」大姫(落井実結子)
「あなたがさせているのです」(政子)
「わしの負けじゃ」(頼朝)
義高の助命が認められました。
殺さず連れ戻せと司令が出ましたが、遅かった、藤内光澄(長尾卓磨)が首を持って現れました。

■処遇

頼朝は、出家してもらうという書状を書いています。
そこに、首が到着。
藤内光澄が謀反人を討ち取ったという報告をします。
「これは天命ぞ」(頼朝)

■北条を試す

藤内光澄を殺せという命令が義時に伝えられます。
義時は、これはできないと、拒絶します。
「鎌倉殿のご命令じゃ、覚悟を決めるのじゃ、小四郎」(時政)
そして、一条忠頼は成敗されました。
藤内光澄も義時に成敗されました。
武田信義は、頼朝に弓引くことなど微塵もなかった、と言います。
「これは警告だ」(義時)
「お前たちはおかしい、狂っておる」(信義)

息子の金剛を抱く義経「父を許してくれ・・・」

----つづく----

次回は第18回「壇ノ浦で舞った男」5月8日放送です。

■感想

源義高のやり取り、なかなか面白かったです。
通説では大姫が指示して逃げさせたとあり、すこしドラマと違っているようです。
確かに6歳の女の子の命令を真に受けるとも思えないので、ドラマの方が信憑性がありますね。

■勝手に解説

その後、大姫は後白河法皇近習との政略結婚の話も拒絶し、20歳の若さで亡くなります。
この辺り、ドラマでも放映されるのでしょうか。

いつも後白河法皇とペアで登場する丹後局について少し説明します。
仁平元年(1151年)生まれといわれる丹後局は、高階栄子とも言われます。
後白河法皇の側近・平業房と婚姻しますが、平清盛に討伐されたため、未亡人として後白河法皇に寵愛され法皇の皇女・覲子内親王(宣陽門院)を産んでいます。
「楊貴妃」「ウバザクラ」とも謳われる美貌の持ち主だったと言われています。
後白河法皇の寵愛のもと、院の執権として権力を持ち、九条兼実とも対抗するほどでした。
法皇の遺領として山科荘を与えられ、宣陽門院の112箇所の膨大な「長講堂領」を保持し、法皇死後も京都政界に影響力を及ぼしていました。

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