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【感想】NHK 歴史探偵「情報戦・日本海海戦」を視聴しました

2023年6月21日(水)22:00~22:44、歴史探偵「情報戦・日本海海戦」を視聴しました。

<始まる前に>
久しぶりの近代史がテーマです。
日露戦争はあまり詳しくないので、どのような新説が出てくるか大変楽しみです。

<NHKのあらすじ>
日露戦争の行方を左右した日本海海戦を「情報戦」の観点から徹底調査!
バルチック艦隊の動きを捉えるため日本が各地に構築した情報ネットワークや日本海海戦に史上初めて本格投入された「無線通信機」がもたらした戦果とは?
そして通信記録の分析から見えてきた知られざる司令部の混乱とは?
辛勝をひた隠しにする軍の情報操作は「理想の勝利像」を生み、やがて国民を暴力へ駆り立てる。
「情報」が戦争や人々に与えた影響に迫る。

■情報戦・日本海海戦

■スタジオで
佐藤所長「有名な戦いで、印象的なのが、東郷ターン」
実は、日露戦争で勝敗を決めたのは情報でした。
なぜ日本海海戦、日露戦争が起きたのか、経緯を見てみます。
日本は海を通じて大陸に兵や物資を送っていました。
それを阻止しようとしたのが、ロシア・バルチック艦隊。
日本はバルチック艦隊がウラジオストクに入られると制海権を奪われる恐れがありました。
その攻防が日本海海戦でした。
日本はどんな策を講じたのか?

■徹底調査!情報戦・日本海海戦

●隠岐諸島の西ノ島へ。
・稲葉千晴さん(名城大学)
山の頂上へ、日本海が見える15km先まで見通せる場所です。
日本海軍の水兵が、ロシア艦隊が通るのを見張っていました。
コンクリートの土台を「望楼」といい、ここで8人の水兵が24時間体制で監視していました。
100箇所以上設置した望楼でバルチック艦隊の情報を集めようとしました。
それにはある理由がありました。
ウラジオストクに向かうルートには3つの可能性ありました。
津軽海峡ルート、対馬海峡ルート、宗谷海峡ルート
どのタイミングでどのルートを通るかを正確に知る必要がありました。

●外務省外交史料館
英字の報告書です。
「上海からロシア側へ物資や船が密輸されている」
「ロシアがモンゴルを経由して満州へ軍隊を送る噂がある」
だれがこの情報を伝えたのでしょうか。
稲葉さん「外国人を派遣して情報を入手していました」
イギリスの新聞記事、フランスの大学教授、ドイツの商人など様々でした。
しかし、大きな問題がありました。
それは、伝達手段です。
高速の通信手段が普及していない時代、どうやって情報を素早く伝えたのでしょうか。

●松江市
・大西正富さん
100年前と思われるこの地域の風景画です。
漁村の中に謎の白い建物が描かれています。
海に向かって延びていた太い電線とは何なのか?
白い建物の跡地に不審な金属の棒があります。
地中不覚から伸びる鉄線、海底ケーブルです。
海底ケーブルとは、通信用の電線です。
海外との最速の連絡手段として世界中の海に敷設されていました。
イギリスと同盟を結んでいたため、情報のやり取りを密にしていました。

■1905年5月

5月14日にベトナムを出港、19日、台湾に目撃情報が。
後は、3つのルートのどこを通るか特定するのみ。
そして5月29日夜、上海の日本領事館にバルチック艦隊が現れたとの連絡がもたらされます。
情報提供者は協力者の一人、イギリス人です。
稲葉さん「非常に多くの情報を確認する姿勢を持つことでバルチック艦隊を見つけ出すことができたのです」

■スタジオで
河合先生「レーダーも飛行機もない時代なので、監視して見張り続けるしかなかった」
海は広いので、相手に気づかれずすれ違う可能性があり、それを防ぐ必要があったのです。
位置情報を把握する秘密兵器、無線通信機です。
三六式無線電信機(復元)

■日本海海戦決戦のとき

●5月27日早朝
バルチック艦隊を発見、両者激突の時が迫ります。
連合艦隊司令長官・東郷平八郎、最大の目的は、ウラジオストクに辿り着く前に、バルチック艦隊を完全撃破することです。
・戸高一重さん(呉市ミュージアム館長)
・畑の勇さん(海軍史研究家)
横並びの陣形を取り、Uターンして攻撃します。
万一取り逃がしても、日本列島の方に逃げます。
相手の航路を正確に把握するために活躍したのが無線です。
絶大な効果を示す無線記録「極秘 明治三十七八年海戦史」です。
巡洋艦、厳島、笠木、和泉の3隻。
しかし、3隻の情報から地図に落とし込み、線につないでみると、3つのバラバラな線になり、読み取れません。
その原因は船の位置計測にありました。
自分の船の正確な位置を知る必要がありました。
太陽や星を使う方法だったため、天候不順で太陽や星が見えず誤差が生じていたのです。
「どれが本当なんだと、大混乱が生じていました」
ルートのズレ幅は最大20km、最悪な場合、バルチック艦隊を見逃す可能性があります。
「通信懐旧談」
厳島のが最高指揮艦でしたから厳島の報告に重きを置いて判断していました。
厳島に最も階級の高い人物が乗っていたからです。
バルチック艦隊は真正面に姿を表します。
正しかったのは和泉のルートでした。
これでは当初の作戦を実行できません。
そこで、東郷は決断します。
「近距離での有ターン、敵弾を受けることを覚悟して日本艦隊がターンを行いました」
連合艦隊は、反撃開始、バルチック艦隊を撃破、勝敗が決します。
日本海海戦、情報に翻弄されたぎりぎりの勝利だった可能性があるのです。
戸高さん「受け取る側が判断するだけの能力をもっていなければならないのです」

■スタジオで
佐藤所長「ぎりぎりの勝利だったことに驚きました」
河合先生「アドリブで成功させた可能性もあります」
海軍将校の回顧録
佐藤所長「部下は間違っていることをわかっていたんですね」
国民にどのように伝えられていたのでしょうか?
当時の資料「日本海大海戦」
「戦術が迅速に勝利を決したということは明らかな事実である」
勝ったことが当たり前の書きぶりで混乱が生じていたことは書かれていませんでした。
佐藤所長「情報操作が行われたということですね」

■日露戦争と情報操作

・井上祐子さん(政治経済研究所)
「日露戦役写真帖」に写真が隠されたページがありました。
軍がこの写真を見せたくないという写真、兵士の遺体です。
隠された背景には軍の情報戦略があったと言います。
井上さん「国民の士気とか戦争熱を下げかねないことを軍が懸念したのではないかと思われます」
敗北につながるおそれがあります。
残酷な側面を隠すことで、戦争熱を保つことにあったのです。
・片山慶隆さん(関西外国語大学)
東京朝日新聞の露国の精神的弱点という記事。
「戦争への熱意は日本には及ばない」
「忠君愛国の精神死を惜しまない覚悟にある」
メディアのねらいがあったからだと考えられます。
「売上が伸びる、読者が読んで気持ちが良くなるということでした」
都合の悪い情報を隠したい軍と、売上を伸ばしたいメディアそれぞれの思惑で国民への情報操作が行われていました。
日常に浸透した日露戦争をテーマにしたすごろく「新案征露戦局双六」です。
実は、おかしな点があると言います。
明治38年1月1日発行なのに、すでにバルチック艦隊が負けているのです。
その4か月前に日本の勝利が描かれているのです。
モスクワへの侵攻、日本がロシア本土に攻め込むという架空の出来事が描かれています。
戦争の最中にも関わらず、ロシアの降伏、日本の圧勝に終わると結論付されていました。

■町田市立自由民権資料館

・河合敦さん(多摩大学)
実は、河合さんの専門は日露戦争
注目するのは当時の国民の書いた手紙です。
「このヘボ講和を信じるのは国民は憤慨している」と書かれています。
ロシアとの講和交渉に対する怒りの声です。
1905年8月ポーツマス講和会議
ロシアは賠償金を支払わないという日本に厳しいもの。
日本は戦費20億円(現在の2兆円以上)戦死者8万人
賠償金を諦めてでも戦争を終わらせるしかありませんでした。
勝手に理想の講和内容を作成し、賠償金を要求する人も現れます。
河合さん「賠償金無しの講和条約などありえないということですね」
1905年9月5日講和条約に調印します。賠償金はありませんでした。
その日の夜のこと、日比谷焼き打ち事件が発生、大臣官邸、交番を襲撃、東京は大混乱に。

■スタジオで
佐藤所長「大きく裏目に出てしまった、情報が人を狂わせていく恐ろしさを感じます」
河合先生「国民新聞は比較的正しいことが書かれていましたが、国家よりの新聞で焼き打ちされています」
河合先生に当時の郵便物をお持ちいただきました。
戦地の率直なつらさがリアルに書かれています。
河合先生「軍や政府が国民を戦争に駆り立て、メディアも売れるので戦争熱を上げていってしまった。国民も好む情報しか見ない、三者とも間違っていました」

ーーーおわりーーー

次回は「VR探検!信長の安土城」7月5日(水)再放送です。

■感想

この時代に海底ケーブルとは、まさかの驚きの技術力です。
それに、イギリスと連携していたというのも驚きです。
もしも、第一次大戦後、イギリスと断交していなければ日本は戦争に引きずり込まれなかったのかも。
そして、バルチック艦隊を撃破する東郷ターンは、ぎりぎりの攻防だったというのが驚きです。
まさに、ドラマや小説『坂の上の雲』が作り上げた物語。

番組後半はダメダメ。
NHKのプロパガンダにつきあわされました。
今でも戦争になるとプロパガンダは垂れ流されます。
もちろん、天下のNHKも。


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