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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第44回「徳川幕府誕生」

2023年11月19日(日)20時『どうする家康』第44回「徳川幕府誕生」を視聴しました。

<始まる前に>
あの弱々しかった松平元康がとうとう江戸幕府を打ち立てますか。
その強弱のギャップ面白いんでしょうね、脚本としては良かったです。
そしてお市の方とのギャップがスゴイ茶々との対決ですね。

<NHKのあらすじ>
家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。
茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。
時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。
ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。
そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。
一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会をうかがっていた。


■プロローグ

■ナレーション(寺島しのぶ)
「石田三成率いる大軍をみごとに打ち破った我らが神の君、そのまま大坂へと進み、豊臣秀頼公に健勝報告をしたのでございます」

●大坂城
天下のまつりごとは引き続き務めると挨拶する家康です。
片桐且元(川島潤哉)が秀頼の背丈を柱に刻んでいることを説明。
10年後太閤殿下のできなかった夢を果たすため、秀頼の代わりを茶々に依頼されました。
秀忠の娘・千姫と秀頼の縁組の話を進めることになりました。
「あの狸、決して信じるでないぞ」(茶々)
秀忠は縁組について良かった言いますが、家康は早く人質をよこせという意味だと教えます。
本多正信(松山ケンイチ)は将軍になっては如何と提案します。
本多忠勝は、槍を手入れしていると、迂闊にも指を切ってしまいました。

---曲---
稲本響

今回から音楽、映像もバージョン変更です。

■慶長7年(1602年)伏見城

於大の方(松嶋菜々子)が尋ねてきました。
寧々と於大の方が談笑しています。
於大の方は、家康に対し、国のためにすべてを打ち捨てよと言ってきたことを詫ます。
そして、もう大事なものを捨てるではないぞと涙ながらに話します。
(ナレ)「この三月の後、神の君に看取られながら於大の方様はそのご生涯を閉じられたのでございます」


(感想)
家康が本物であれば、このような光景も当たり前なんでしょう。

●慶長8年(1603年)
征夷大将軍

(ナレ)「慶長8年我らが神の君は、征夷大将軍に任じられここに徳川幕府が開闢。新しき世を築くため、戦以外の才に秀でたものを抜擢、若く知恵の優れたものを大いに登用したことで太平の世を担う才能が神の君の元へ続々と集まっておりました」
ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)が登用されました。
朱子学を説く人材もいました。
正信の息子・本多正純(井上祐貴)が登用されていました。

●伊勢・桑名
(ナレ)「長く神の君をお支えになった忠臣たちも戦なき世を謳歌しておいででございました」
本多忠勝は榊原康政に死んだあとににらみを聞かせるための自画像を見せました。
二人はそれぞれの領地である桑名、館林の地について、話しています。
本多忠勝は西に睨みを効かせるために桑名に着任したのです。
戦なき世が作られれば、自分たちは身を引くべき、昔の戦で活躍したことを思い出しています。
既に、井伊直政も関ヶ原の戦いの傷で亡くなっていました。

●千姫
江(マイコ)の娘・千姫が豊臣に嫁ぐことが怖いと泣いていました。
江が千姫に対し、茶々はいつも怖いと話しているから怖いと言います。
江は、もう一人の姉妹・初は優しいと言います。

■慶長9年(1604年)

柱に背丈の印を入れる茶々、家臣一丸となってと大野治長(玉山鉄二)が戻ってきました。

●江戸城
そして、結城秀康(岐洲 匠)も家康のもとにやって来ました。
真っ先に聞くことが千姫のことかと、秀忠は家康に叱責されました。
関ヶ原の戦いでの遅刻から何も成長していないと責められます。
本多忠勝も年を取り、文を読むのも一苦労です。
隠居を申し出ました。
榊原康政は、最期の箴言として、皆の面前で秀忠を叱るのは理不尽と述べました。
家康はこれに対し、酒井忠次、鳥居の爺さんがいた、耐え難い苦しみを何度も味わった。
苦しみを知らぬことに罪はない、悪いことではないと康政は申します。
それでは間に合わない、関ケ原はまだ終わっていない、所詮豊臣の仲間割れ、家中が仲違いしていられない。
大坂城中は秀頼の元で盛り上がっているとも。
九度山山中では、敗れて浪人となった武士たちや真田信繁(日向 亘)が暴れていました。
彼らの食い扶持は戦、秀頼が成長したらそのときは、豊臣に天下を返すか、それとも・・・・。
二人に隠居は認めない、力が必要でした。


(感想)
秀忠の育成にしても、秀頼茶々の動きにしても、家康はお見通しで、世の中が見えていたとしか思えないすごい戦略眼ですね。

■秀忠・征夷大将軍

秀忠は関ケ原は自分の落ち度だと話します。
それに対し、家康はこの世は理不尽なことだらけ、結果に責を負え、上手く行ったときは家臣を褒め、しくじったら己が責を負うのが我々の役目だと諭しました。
征夷大将軍は秀忠に引き継ぐことになりました。
才ある将一人に頼ると長続きしないと本多正信や榊原康政は秀忠に話します。
偉大なる凡庸、豊臣家ともうまくやっていける、関ケ原でも間に合わなかったお陰でもありました。

●大坂城
天下は徳川家が継ぐということ、挨拶に来いとも書いてあり、それに怒り心頭の茶々です。

■忠勝と康政

絵師も忠勝を見ずに描いていて、別人のような自画像が描かれました。
榊原康政は内臓の病気だと打ち明けます。
康政は忠勝が目が見えていないことを見抜きます。
まだ老いるわけにはいかないが、戦で一つも傷を負わなかったというものが、槍で手を切ったことを嘆いています。
二人は槍をもって対決しながら、家康を主君として認めていることを語ります。
主君して認めたのは、桶狭間の後、大樹寺での家康の「わしが守る」という言葉を懐かしく思い出していました。


(感想)
二人とも急に老け込みました。
感動の最期でした。
それに対し、家康は元気満々というのが面白い。

●慶長11年(1606年)
榊原康政 死去

●慶長15年(1610年)
本多忠勝 死去
完成した忠勝の自画像を見つめる家康です。

■慶長16年(1611年)

柱の印が秀吉を越え、秀頼(作間龍斗)は19歳、立派な青年になりました。
千姫(原 菜乃華)も立派な成人に成長しました。
「さあ、宴のときじゃ」(秀頼)
「時が満ちた」(家康)


(感想)
秀吉の子でないことがバレバレです。

----つづく----

次回はどうする家康 第45回「二人のプリンス」11月26日放送です。

■感想

今回は本多忠勝、榊原康政の最期がメインでした。
この二人は親友だったらしく、実際になんとなくこんな感動的シーンがあったように思えてきました。
秀忠については、凡庸だったという見方で描かれていますが、最後は大きく変わって大将軍に成長して終わるように予想しておきます。
秀忠、千姫、秀頼等も大人に成長し、対決の構図がどう描かれるのか、楽しみです。
そして、音楽も映像も最終章バージョンに大きく変更されました。
これだけ変わるのは大河ドラマ上、珍しい。
ちらっと、征夷大将軍は武将で、関白は皇族という言説が出ていましたので、皇室の豊臣家を潰す意図はなかった、仕方なく討伐したという家康の考えを示唆したのでしょうか。
あとは、ウィリアム・アダムスがちらっと登場したりするので、鎖国に関する考えも知りたいです。


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