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【感想】渋沢栄一 NHK大河ドラマ『青天を衝け』第11回「横濱焼き討ち計画」

2021年4月25日(日)20時からNHK大河ドラマ『青天を衝け』第11回「横濱焼き討ち計画」が放送されました。

本題に入る前に、少し雑談。
血洗島の渋沢家は、ドラマの場面ではいつも作物の収穫をしているように、農家っぽく描いています。
思うに、実際の渋沢家は、もう少し商家に近かったんじゃないでしょうか。
津本陽さんの『小説 渋沢栄一』によると、
"父親の市郎右衛門は商才にたけていて、血洗島村内で、二位の資産家であった。市郎右衛門は農業より藍の事業に力を傾けた。
家運がさかんになってくると、出入りの人が多くなる。藍商人、親戚、藍を売りに来る人などがやってきて、客間では常に訪客の声がしていた”
とあります。
ドラマでは農民色を強く打ち出していますが、もう少し商人の匂いが強かったように思います。
書く人や演出によって、表現が変わってきますね。
商売人としての才能を発揮する渋沢栄一は、小さい頃から商人として魂が身に染みていたのでしょう。

■血洗島では
栄一は、江戸に戻ろうとする長七郎を追いかけ、河野が死んだことを伝えます。
「無駄死にするな!俺たちには、河野の代わりに成すべき定めがあるはず」と長七郎を説得します。
長七郎は京に逃れることになりました。

1か月後、千代が出産、市太郎が生まれました。
これで栄一も攘夷なんてことは言わなくなるだろう、と家族はホッとします。
ところが、尾高惇忠、栄一、喜作は横濱を焼き討ちすることを計画します。
その神託を書く尾高惇忠。
神託は今、渋沢栄一記念館に展示されています。

■家康公登場
「こんばんは、徳川家康です。幕府に動きが出ました。慶喜が将軍後見職に復活します。これは、薩摩の島津久光の提言でした。
栄一はどうやって慶喜に出会うのか?これは4年前の出来事です」

■血洗島では
市太郎がはしかにかかって亡くなります。
ショックで泣き叫ぶ栄一。
この年、はしかとコレラで20万人が死亡しました。

喜作と共に江戸で武器を買い、ひそかに惇忠たちのもとへ送ります。
武士でもない栄一たちが武器を買えたのも、攘夷の盛り上がりがあってのことです。

横濱焼き討ちの決行は12月、高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜外国人居留地を焼き払い、長州と連携して幕府を倒すというシミュレーション。
三人は、彼らの爪痕を残し、一矢を報いるそれだけで十分と考えました。

栄一と喜作は、江戸で中村三平と藤田小四郎に出会います。
藤田小四郎は、藤田東湖の息子です。

■京都・江戸幕府では
1863年文久3年、京都では尊皇攘夷派による天誅が最高潮に達しました。
この年は、天誅組の変、八月十八日の政変など激動の年でした。
長州藩と三条実美が攘夷を早くとせまります。
それに対し、徳川慶喜は攘夷は詭弁と取り合いません。
そこへ平岡円四郎が慶喜の元へ戻ってきました。
「良かったぞ!」と喜ぶ慶喜でした。

■栄一に子が授かる
栄一に娘が授かります。
名前は、歌子、うたとも言います。

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長女歌子と二女琴子 Wikipediaより引用

喜ぶと思っていた栄一ですが、悲しい顔をしています。
母が訝しがり「何をしようとしているんだ」と問います。
それに対し、栄一は「おれを中の家から勘当してくれ」と訴えます。
「天下のために働きたい。うたには婿養子をとって継がせてやってくれ。おれは大義のために生きてみたい」
千代も栄一側につき「お願いします」と両親に懇願します。
父も栄一の猪突猛進の気性を知っていて、家を出ることを許します。

つづく

■大河ドラマ紀行
京都府京都市
将軍後見職に就任した慶喜は、京に入り、東本願寺に滞在しました。
慶喜は大寝殿、白書院を使用しました。
これらは明治時代に建て替えられたものですが、大玄関は、慶喜が滞在した当時のものであるそうです。
庭園の渉成園で、慶喜は時間を過ごしました。

■感想
かなり遅いのですが、津本陽さんの『小説 渋沢栄一』を読みはじめました。
再読ですね。
10年以上前に読んだので、殆ど忘れています。

小説渋沢栄一

城山三郎さんの『雄気堂々』も読んだ記憶があるのですが、手元にありません。
童門冬二さんの『人生意気に感ず』は持っているので、これも再読したいです。

普段、あまり本は売らないのですが、読みたい本に限って売ってしまって手元になかったりするのは、ショックです。

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