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【感想】渋沢栄一 NHK大河ドラマ『青天を衝け』第10回「栄一、志士になる」

2021年4月18日(日)20時からNHK大河ドラマ『青天を衝け』第10回「栄一、志士になる」が放送されました。

中山道が出てきましたので、すこし調べてみました。
地図に書かれた中山道は大まかに書いたものです。
下記の図のとおり、確かに血洗島近くを和宮の花嫁行列が通過したことは確かなようです。
歴史探偵第一回で参勤交代がテーマだったのも大変参考になりました。
普段の地方大名の行列は意外に簡素だったようです。
和宮降嫁のような公武一体となった大プロジェクトでは相当な規模だったのでしょう。
栄一が江戸に行くのに、中山道または利根川を使ったのか分かりませんが、血洗島が交通の要衝にあったことがよくわかります。
日帰りは無理でしょうが、1日、2日で行けたのでしょう。

中山道と利根川

Googleマップに筆者が加筆

■江戸に来た栄一
先に来た喜作や長七郎と情報交換しています。
「8年前の江戸とは随分と変わってしまった。物価も上昇し庶民の暮らしが苦しくなっている」
大橋訥庵/山崎銀之丞や河野顕三/福山翔大は、「この国を思う心のみで動く名もなき志士。つまり、我らのことだ」と叫びます。
栄一もそれに感化されたのか、「俺も草莽の志士になる!」と決意します。
しかし、真剣で藁を斬る稽古に誘われる栄一ですが、うまく斬れません。
河野に「こいつには人は斬れん、百姓は土でも掘っていろ」と蔑まれます。

[所感]「草莽の志士」という新しい言葉が出てきました。
草莽とは、民間にいて国家の危機を救おうと行動に出る臣民、という意味だそうです。
少し難しい言葉なんで、スルーされそうですね。
一般的には草莽の臣といい、幕末に派生して草莽の志士というようになったのだとか。
身分を超えた脱藩浪士のことを指すようです。

■徳川家康登場
家茂と和宮の婚姻話。幕府の権威を取り戻したい思惑がありました。
花嫁行列のコースには中山道が選ばれました。
行列は50kmに及んだそうです。
その行列の世話をするのは沿道の百姓たちでした。

■血洗島では
和宮の花嫁行列を総出で世話することになりました。
そこに、嬉しい知らせが。
千代が懐妊したようです。
「俺達でも風を起こせる。日の本を身内のように感じる」(栄一)
「この家を守ろうという気持ちは尊いものだ」(千代)
栄一は、人を斬れば世の中が変わるという思想を持つ大橋・河野一派とは考えが違うようです。

■江戸では
文久元年(1861年)和宮一行は、京を出発しました。
天璋院/上白石萌音は、一橋を推し進めていたことを徳川家茂/磯村勇斗の前で吐露します。
家茂は、徳川のため公儀と朝廷が一つになれば良いことだと天璋院を許します。

■血洗島では
血洗島では、和宮の花嫁行列の準備で高飛車な代官の元、忙しく働いています。
和宮に比べればウチの方がよっぽどしあわせだ、と話しています。
長七郎は、大橋訥庵に安藤信正を斬れと命令されます。
栄一は、長七郎から「河野と俺達で安藤信正を斬り、成功したら切腹する」と打ち明けられます。
尾高惇忠や栄一は、「安藤信正一人斬っても世の中は変わらない。無駄死にである」と長七郎を説得します。
栄一も「幕府がある限り変わらない。根本からやらないと世は変わらない。
幕府を転覆させる。それには長七郎が必要だ、行くな」と長七郎に話します。

■坂下門外の変
河野一派が安藤信正を襲います。坂下門外の変です。
河野は斬られ襲撃は失敗に終わります。
この事件によって、長七郎にも疑いの目が向けられます。
そんな中、長七郎が江戸に出るとの知らせが入ります。

つづく

■大河ドラマ紀行
滋賀県草津市
京を出発した和宮の花嫁行列は、3000人に及びました。
本陣では、改修工事が行われ、土間は板張りとなり、和宮は上段の間で昼食をとり、中山道を通って江戸へ向かいました。
一行が草津宿を抜けるのに、4日を要したそうです。

埼玉県深谷
深谷宿には和宮が休んだ部屋と、使ったといわれる草履が残されています。
江戸に到着したのは、3日後のことでした。

■感想
和宮は、悲劇のヒロインにふさわしい人生でした。
許嫁がいたのに政略結婚で強引に別れさせられ、江戸という異人や粗暴な浪人が跋扈する地に降嫁されるという悲劇的な運命を受け入れいます。
現代なら、東京という大都会に行けるという感覚が先でしょうが、皇族にとって江戸など野蛮な土地でしかありません。
時期も幕末という激動の時代でした。
本来なら、皇族の嫁として気品の高い平和な暮らしをしていればよかったのですが、政権側に入ることで、運命が180°転換します。
これはこれで、天璋院のように運命を受け入れて肯定的に行きていけばよいのでしょうが、和宮は、人間としての能力的な問題もあったのか、悲劇的な方向に話が進みます。
あまり、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、明治10年(1877年)32歳という短い人生を終えています。

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