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【感想】NHK ETV特集 「誕生 ヤマト王権 ~いま前方後円墳が語り出す~」

昨日、寝ようとテレビのリモコンを操作していたら、たまたま面白そうなタイトルの番組が映し出されたので、見てしまいました。
NHK Eテレ(教育テレビ)のETV特集でしたので、あまり期待していなかったのですが、なかなか面白かったのでこちらで書くことにしました。
ETV特集といえば、左翼思想の自虐史観ネタが多く、誰が見るんやねん、と突っ込みたくなるようなひどい内容が多いのですが、今回は古代の歴史がテーマでしたので、どんな偏向内容にするのか少々期待しながら、怖いもの見たさに一気に見てしまいました。
どこの放送局も、この時間帯に放送する番組には、チャレンジングな内容が多いので、当たり外れが大きいことは事前に把握してから見るようにしています。
ていうか、普段寝ているので見ませんけど。。。
2021年3月27日(土) 23:00-23:59という、早起きが多い私の生活サイクルでいうとお休みタイムの視聴でしたので、内容については覚束ない状態だったことは差し引いても、偏向も無く良い番組だったと思います。

番組の進行役は、池田伸子アナウンサーと松木武彦氏(国立歴史民俗博物館教授)です。
松木教授は、大阪大学出身で考古学の教授だったそうで、今は歴博の教授のようです。

■箸墓古墳を通してヤマト王権誕生の謎に迫る
三輪山の麓にある全長280mの巨大古墳で、宮内庁による立ち入り制限があるのが「箸墓古墳」です。
「人民が手渡しで部材を運び、昼は人が、夜は神が作った」
『日本書紀』に唯一詳細が記された古墳です。
そして、今回セスナ機を飛ばし、レーザー光線をあてて測量を行うことで、はじめてその造形が明らかになりました。
箸墓古墳の造形は驚くべき姿でした。
前方部と後方部の階段が連続的にピッタリつながるように作られていて、階段ピラミッド状になっていたのです。
さらに、断面を横から見ると、なめらかな曲線が現れました。
当時、かなりの正確な技術をもっていたことが分かります。

箸墓古墳

■箸墓古墳には誰が葬られているのか
『日本書紀』には、孝霊天皇の娘である倭迹迹日百襲姫命が埋葬されていると書かれていますが、かなり不自然です。
なぜなら、巨大すぎるから。
ではいつ作られたのでしょうか。
箸墓古墳の土器の破片から炭素14年代測定法を使って推定したところ、240年~260年の間と考えられると結論が出されました。
それまでは3世紀~4世紀頃という考えだったので、かなり絞られたと言えます。
そして、この年代は卑弥呼とつながるのです。
魏志倭人伝によると247年に没したと記されています。
ただし、この番組では結論だせず、激しい議論が繰り広げられているとします。

■飛躍的な大きさの古墳が突如奈良に出現したのはなぜか。
ここで登場するのが宇宙物理学です。
ミューオンという見えない素粒子を使って箸墓古墳の形や数を知りたいという発想で科学が登場してきました。
このミューオン、ミュー粒子ともいうそうで、火山の内部構造、福島第一原発の炉心の調査、ピラミッドの構造解明に役立っています。
この調査は現在進行中だとのこと。

■被葬者はだれか
候補として、
・卑弥呼か台与
・崇神天皇
卑弥呼であれば大和に邪馬台国があったことになります。
ただし、文献的には九州説も有力で、吉野ヶ里遺跡があります。と番組は解説します。
崇神天皇は最初の天皇と言われています。
ヤマト王権は日本最初の中央政権です。

■突然出現した箸墓古墳
ヤマト王権が始まるまで前方後円墳はありませんでした。
王権誕生前と思われる唐古・鍵遺跡の墓は小さく、それではなぜ巨大前方後円墳が出現したのでしょうか。
それを解く鍵は3つの地域にあると説明します。
1. 出雲
ヤマタノオロチ退治で有名な大国主命の生まれた出雲地方は、銅鐸が多数見つかるなど、反映していたことは明らかです。
この地方独自のお墓に四隅突出型墳丘墓があります。
この四隅突出型墳丘墓は、幾何学的な造形で大きく、見せるためのお墓です。

四隅突出型墳丘墓サムネイル


2. 北部九州
福岡県糸島市の平原王墓西暦100年代のお墓で、四角形の小さなお墓ですが、銅鏡が40枚発掘されています。
銅鏡埋葬は北部九州の伝統でした。

漢_青銅鏡


3. 吉備
岡山県倉敷市の楯築墳丘墓は、特殊器台が特徴的です。
お祭りのルーツ、かがり火を焚いて祭りを行っていました。

年に一度、箸墓古墳の周りにある池の水を抜くと、たくさんの石が見つかります。葺石です。
箸墓古墳は、石で覆われていたことが推定されます。
これは、出雲の四隅突出型墳丘墓と同じように古墳の周りに石を貼っていたのです。
さらに、宮内庁が土器の破片を調べたところ、円筒形の特殊器台が見つかりました。
そして、土の成分が吉備のに近かったそうです。
また、墓に鏡を入れる文化は、北部九州のに似ています。

つまり、各地の墓の文化が融合して生まれ、統合国家の成り立ちを示しているのではないかと結論付けます。
各地の勢力が合意して成立していて、武力に頼らない政治体制であるのは、
日本国家精神の特徴を示しているとも述べます。

■なぜ倭国大乱が起きなかったのか
魏志倭人伝は、30カ国余りが乱立し、国が乱れていた、いわゆる倭国大乱状態があったと記されていますが、戦争の証拠は見つかっていません。
中塚武教授は、気象学でそれを解明しようとしています。
当時の気候変動を調べるために、酸素同位体を測定したところ、降水量が多かった事がわかりました。
風水害が頻繁に発生し、米が穫れず、民衆は混乱しました。
中塚教授は、大和の地形が有利だったのではないかといいます。
大和は山に囲まれ風水害を受け難く、日本列島の各地からアクセスしやすい場所にあったため発展したのだとも述べます。

箸墓古墳の近くの纒向遺跡で2009年大きな発見がありました。
建物の柱が多数出土、畳140枚分にのぼる量でした。
3世紀前半に日本最大規模の建物があったことになります。
纒向遺跡から、九州から関東まで広く土器が見つかりました。
運河がとおる物流拠点でもあったのです。

ヤマト王権初代の王が箸墓古墳に葬られたのではないかと推定しています。
共通の一人の王の古墳を造り、築造ノウハウ、祭祀、を各地に伝えました。
亡き王を天に返し、死後も天界から見守ってくれるという国家祭祀の始まりです。
200年後、大阪の大山古墳は全長525mの世界遺産です。
大山古墳も箸墓古墳の形を大切に引き継いでいます。
そして、驚くべき発見が東北の会津地方でありました。
杵ガ森古墳は、前方後円墳ですが、箸墓古墳の特徴そのものを表していて、比率も同じです。
箸墓古墳完成から間もない時期の古墳だとわかりました。
レーザー光線で各地の古墳を調べたところ、箸墓古墳型の古墳が見つかっています。
その代表が、
・宍甘山王山古墳(岡山県)
・浦間茶臼山古墳(岡山県)
箸墓古墳以降、数年で22基の古墳が、東北から九州に広がりました。
支配の証として首長権を与えてお互い結びついたと考えられます。

さらに、箸墓古墳は代替りでモデルチェンジしています。
・芝丸山古墳(東京都港区)は行燈山古墳の相似形です。
・網野銚子山古墳(京丹後市)は佐紀陵山古墳と相似形です。
・雷神山古墳(宮城県名取市)は宝来山古墳の相似形です。
・女狭穂塚古墳(宮崎県)は仲ツ山古墳の相似形です。
このように、日本各地の連合を物語っています。

前方後円墳は現在4700基存在します。
保渡田古墳群(群馬県)では、灌漑施設や用水路跡が見つかっており、古墳作りが根底にあったことが分かります。
このように、民の叡智が今も呼吸しています。
以上で終了。

■視聴した所感
大きな偏向もなく、いたって真面目な番組内容だったと思います。
弥生末期から古墳時代という記録も殆ど残されていない時代ですから、何を言っても許されるので、どんなとんでも仮説が登場するのかと半信半疑で見ていたのですが、終始いたって真面目な考古学の番組でした。
箸墓古墳の被葬者として、卑弥呼と崇神天皇説をあげていました。
これも通説を述べていて、偏向的ではありませんでしたね。
崇神天皇を初代天皇とする考えもある、というところはご愛嬌ということで。

興味深いのが、気候変動が倭国大乱の原因であったかも、というところですね。
戦争ではなく、国の根幹である農業が衰退したことを倭国大乱としていたのは面白かったです。
この辺、深堀りしてみたいところです。

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