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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第18回「壇ノ浦で舞った男」

2022年5月8日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第18回「壇ノ浦で舞った男」を視聴しました。

<始まる前に>

さていよいよ源平の最終決戦が描かれるようです。
平知盛、安徳天皇、建礼門院、三種の神器は出てくるのかな?

<NHKのあらすじ>

苛烈さを増す源平合戦。
必死の抵抗をみせる平宗盛(小泉孝太郎)率いる平家軍に対し、源頼朝(大泉洋)は義経(菅田将暉)に四国、範頼(迫田孝也)に九州を攻めさせ、逃げ道をふさぎにかかる。
しかし、範頼軍は周防で足止めをくらい、義時(小栗旬)・三浦義村(山本耕史)らが状況の打開に奔走。
一方の義経軍も、後白河法皇(西田敏行)の命により摂津から動けずにいた。
そんな中、梶原景時(中村獅童)の献策を一蹴した義経が……

■プロローグ

許嫁の義高が殺され心を閉ざす大姫(落井実結子)、八重(新垣結衣)は心を開かせようとしますが、なかなか難しいようです。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

都に足掛かりを築いた源氏に対して、平家は瀬戸内海を押さえ、
最後の抵抗を繰り広げる。
最終決戦が目の前に迫っていた。

■元暦二年(1185年)周防・松崎八幡宮

一の谷で敗れた平家は屋島に逃げた。
頼朝の戦略は、義経に四国を範頼に九州を攻めさせ逃げ道を塞ぐ。
しかし、九州に渡る船を集められずにいた。(長澤まさみ)
四国は義経が遅れていて九州にいる範頼軍は兵糧が届かない状態です。
三浦義村が敵の敵である小幡を懐柔し豊後から筑前に攻めこむ。
平家は逃げ道を閉ざされました。

■摂津国

比企能員(佐藤二朗)は、京に戻るというのはどうかと提案しますが義経は拒否。
梶原景時の戦術に義経は、バカみたいだ、と反対、すぐに出陣するといいます。
すぐに立ち上がらない御家人たちに、坂東武者は腰抜けばかりか、と愚弄します。
景時は義経の策に逆らわず賛成し、義経の作戦で戦うことにしました。
夜に嵐の中戦う無謀な策であり、畠山重忠(中川大志)は反対します。
景時は、九郎殿は神に選ばれた男、必ず成し遂げるであろう、と重忠を説得しました。
義経は、5艘の船で奇襲をかけ、平家は長門の彦島に落ち延びていきました。

■鎌倉殿

頼朝は、すぐに調子に乗る男だと、次の鎌倉殿は自分だと思うことを案じ、戦に出すなと命令します。
側近は笑って信じません。

■壇の浦の義経

戦に出るなという頼朝の命を受けた梶原景時に義経は反発、比企能員は窮鼠猫を噛むという、九郎殿の策でいいと義経側に付きます。
「どう攻める?」(義経)
三種の神器を取り戻す、という梶原景時に対し、義経は漕ぎ手を狙うという禁じ手を考えます。

■元暦二年(1185年)3月24日朝

戦いが始まり、序盤は平家軍が攻勢をかけ、源氏軍は防戦状態です。
平家軍500艘、源氏軍800艘
陸から戦況を見てているのは、範頼、義時、義村、和田義盛(横田栄司)です。
漕ぎてを射てという義経に畠山重忠は兵ではないと反対します。
義経が矢を放つと、敵の漕ぎ手に命中、それを合図に一斉に漕手に矢を放ちます。
すると、形成が逆転、船から船に飛び移る義経、源平の合戦の勝敗が決しようとしています。
「もはやこれまで」(平宗盛/小泉孝太郎)
三種の神器を探す義経、目の前で、三種の神器の一つ・剣を持った女性が海に飛び込みました。
そして、幼い安徳天皇が女性に抱えられて飛び込みました。
為す術もなく三種の神器の剣と安徳天皇は海にと消えました。

■合戦終結

「これは戦だ、多少の犠牲はやむを得ない、勝たねば意味がない」(義経)
「お前の兄も戦で死んらしいな、兄の死が無駄にならなかったぞ」(義時)
「果たして喜んでくれているのかどうか」(義時)
「この先私は誰と戦えばいいのか。私は戰場でしか役に立たない」(義経)

■鎌倉殿

北条時政(坂東彌十郎)、安達盛長(野添義弘)、大江広元(栗原英雄)の前では、
「帝を救えず宝剣を失った、これでは勝ったことにはならん、九郎をしかりつけてやる」
と厳しい態度を見せる頼朝です。
しかし、政子の前では、九郎がやってくれた、と泣きながら平家の滅亡を喜びます。

■義経と法皇

後白河法皇に戦況報告に訪れます。
宝剣のことを詫び、帝を救えなかったことを詫びます。
獅子奮迅の働きの話を聞きたいと後白河法皇はご満悦です。

■鎌倉殿

景時は一足先に鎌倉に戻り、頼朝に報告します。
勝利のためには人の情けを蔑ろにする、手を選ばない人間だと報告します。
九郎は強すぎる、戦に負ければ大きくなれるのだが」(時政)
義経は検非違使に任ぜられたため、鎌倉に呼び戻すことができなくなりました。

■義時と義経

時の人となった弁慶と義経は人気者になっていました。
弁慶(佳久創)は人気者の義経を見に来た女性達を追い払います。
自分の口で弁明したいが、検非違使になったため、帰ることもできない状態です。
義経自ら法皇様に掛け合って見ることになりました。
比企の身内で義経の妻となった里(三浦透子)が川で釣りをしている静御前(石橋静河)をこっそり見ていました。

■その時法皇は

鎌倉に戻りたいという義経に、法皇はそばにいてほしいと慰留します。
死に損なった宗盛を鎌倉につれていく役を義経に行わせたらどうかと、丹後局(鈴木京香)が提案します。
そして、京都で首をはねることが必須条件だとも。

■宗盛護送

宗盛は、体だけは親子そろって埋めてほしいと嘆願します。
兄が生きていればこんなことにはならなかったろうと宗盛は話します。

■義経の処遇

梶原景時は頼朝に次の鎌倉殿を狙っているに違いない、義経を鎌倉に入れるなと進言します。
頼朝は、九郎には合わず、宗盛だけに会い、義経は腰越に留め置くことになりました。
「義経は天に選ばれたお方、頼朝と互いに並び立つことはできない」(景時)

■腰越に

時政が宗盛を鎌倉につれていくことになり、義経は鎌倉に入れないことを知ります。
宗盛が頼朝に文を書くことを提案し、宗盛が手紙を代筆することになりました。

■5月16日宗盛鎌倉に入る

りく(宮沢りえ)は久しぶりに会ったと懐かしがります。
宗盛が義経からの手紙を差し出します。
頼朝の前に引き立てられます。
何の怒りも沸いてこなかったと。
頼朝の官職も知らないものが書いたことがバレていました。

■腰越

宗盛を連れてとっとと京に帰れと義時に伝えるよう命じます。
その前に、義経は宗盛の息子・平清宗(島田裕仁)と対面させました。
頼朝の対応に反感を抱き、法皇様第一にお使えすることを決意、検非違使の源九郎判官義経だと宣言しました。
以前、若き義経と一緒にいた者たちが面会、約束だった里芋を一緒に食べて懐かしがります。

----つづく----

次回は第19回「果たせぬ凱旋」5月15日放送です。

■感想

結局、知盛や建礼門院は出てこなくて、安徳天皇の入水と三種の神器の剣の喪失の経緯のみ描かれました。
そして腰越状のストーリーは面白かったです。
まさか、宗盛が代筆するとは?!予想外の展開!
通説では、腰越状そのものがあったのかどうか定かではなく、腰越で留め置かれたことも『吾妻鏡』にしか出てこないとか。
もちろん、宗盛が代筆するなんて奇想天外なストーリーは面白いんですけど、ちょっとありえない。
罪人(宗盛)をあんなに丁重に扱うのも本当なんでしょうかね。
なんですけど、面白かったので良しとしましょう。

■勝手に解説

寿永四年(1184年)頼朝は、弟・範頼、義経を大将とする大軍を派遣、義仲は粟津で敗死しました。
この頃、頼朝は、源氏御家人内部の統制を強化しています。
それゆえ、義経が頼朝の許可なく検非違使、左衛門少尉に任ぜられたことは、統制を乱すものとして許されませんでした。
文治元年(1185年)1月6日、義経は後白河法皇に西国出陣を奏上してその許可を得ると、19日の屋島の戦いで奇襲が成功し平氏は彦島に逃れました。
3月24日、壇ノ浦の戦いが起こり、追い詰められた総大将・知盛の命で、安徳天皇を抱いた二位尼(時子)、建礼門院徳子、経盛、資盛、知盛らは次々に入水し、三種の神器の宝剣も海に沈み、遂に平氏は滅亡しました。

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