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倉敷の地霊2.

倉敷の魔力に惹かれてまた軽く偵察に来てしまった。陽の光はすっかり初夏の4月。記憶の中の蔵ぶち抜きの喫茶の面影を求めて逍遥する。平日にもかかわらず、禍の最中の昼間、数えるばかりの観光客と地元の遊民風の若者たち、そしてカップルが、揺蕩っている。そこには文化、芸術という名の永遠が確かに確かに流れている。人々を惹きよせ、活かし、芸術に誘い込む力は、京都にも負けないものがある。白壁の街の、時空を支配する秘儀が、駅前からの長大なアーケード街にも還流している。小さな商店が活き活きとして元気だ。江戸期からの天領の気風と大原美術館をコアとする芸術立国のエネルギーは、イオンをはじめとするマネー至上主義を寄せつけなかった。一個35円のコロッケが少しやぶれたので30円で売っている。5個買ったが消費税なし。零細の店舗オーナーが数百集まると、街は自由都市化する。

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街角には年季の入ったボランティアガイドが佇み、蔵打ち抜き喫茶のいくつかを教えてくれる。間違えて桜を見上げる一般の年配男性に40年前に来たのだが、蔵喫茶を知らないかと聞くと、それはそれはと微笑んでくれた。

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人生交響曲の第一楽章、前期青春のタクトが振り下ろされた頃、この倉敷の蔵の中で、夏の陽が差し込んでいるのに涼しく、コーヒーが湯気立てていた時間が、怪しいローレライの思い出となっている。現在、大物演劇人となった友人の、少し危ない自主制作映画のプロットを聞きつつ、初恋の人を出演させようと画策していた血のざわめきも今は遠い。

芸術の街として観光立国に数百年を費やした倉敷の建造物は、日本離れしている。完全に倉敷化されたヨーロッパの文化はまだまだ深化可能だと思う。したたかで獰猛な戦略でヨーロッパの残光と中国からの血とマネーの資源を獲得して、倉敷都市自由同盟を構築してほしい。

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どうやら地霊に魅入られてしまったようだ。あの頃の友人たちはまだ皆生きているはずだ。目には見えない何者かが私を呼んでいる。今度は半日かけて蔵喫茶探訪するか。

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