見出し画像

ちちんぷいぷい

てんもん君がちちんぷいぷいしています。地震、病気、争い、火山噴火が来ませんように。

ちちんぷいぷい    ちちんぷいぷい

地鎮武威武威     地鎮武威武威

ちちんぷいぷい    ちちんぷいぷい

地鎮武威武威     地鎮武威武威

私たちはここから出発した
『さっちん』荒木経惟著より

“最古の文明 シュメールの最終予言 秋山眞人著
〜〜〜
とんでもない数の進化の枝が伸びて、その枝の先に私たちという人類が誕生したわけですから、世界樹という概念は非常に的を射ていると思います。しかも、その人類の進化の過程を詳細に分析して、その仕組みがわかったうえで、セフィロトがつくられたのはまず間違いないでしょう。世界樹の枝分かれのなかで、個人がどう生きれば成功するかを記したのが、シュメールの預言書のなかにあった行動指南図として、世界樹だったのではないでしょうか。そこから戦略図として古代ユダヤ人がセフィロトという生命の木をつくったのだと考えています。~~~
このセフィロトの樹を、さらに簡略化したものが七支刀です。左右交互に三本ずつの両刃の分枝が出ており、中央先端の刃とともに七本の刃がある剣となっています。有名なのは、奈良県天理市の石上神宮に所蔵されている神宝の七支刀で、銘文から四世紀後半、百済でつくられたことがわかっています。『日本書紀』に神功皇后の時代に百済王からもらったと記されている七枝刀がこれに相当すると考えられています。~~この七つの刃は、七つの封印を表しており、同時に先に進むための七つのチェックポイントがあることや、障害・障壁が立ちはだかっていることを象徴しています。両刃の剣であることも象徴的です。七支刀はつかう相手を育てることも破壊することもできるからです。まさにセフィロトの樹そのものなのです。

華道にも、セフィロトの樹的な思想が伝わっていると見る考えもあります。アジアの伝統文化を研究している中山真知子氏は、現代生け花の源流をたずねるうちに、七枝の型を示す「立花」の作法が石上神宮に伝わる七支刀の伝統とその形に由来することを突き止め、『いけばなの起源ーーー立花と七支刀』で朗らかにしています。
一から七までの枝はそれぞれに人間関係や健康、主人、富、諸神などの意味があり、七番目にあたる上に伸びる中央の枝は「天長地久」を表すといいます。天長地久は、天地が永久に変わらないように物事もいつまでも続きますように、という意味です。天長地久を目指して、六つの枝のバランスを見るという構造は、栄光と勝利、峻厳と慈悲、理解と知恵という六つの球体(セフィラ)のバランスを取りながら中央の上にある「王冠」を目指すべきだとするセフィロトの樹の構造とまったく同じです。”

(✷‿✷)  セフィロトの樹、七支刀、生け花の立花などすべては、アンテナまたはバッテリーのように思われます。セフィロトの樹は、間違いなくヨーガ神聖科学のチャクラ行法図と同根同系統です。したがって人類が哲学的にたどったり、イメージングテクニックに使用するのでなく、体内の内分泌器官を励起させて発生させた量子的エネルギーのチャクラ循環行法の図です。ヨーガに熟達した人間の脳内体内を自在に巡らせる量子エネルギーを外界に放つ象徴としての七支刀なのです。古代、百済で七支刀が作られた時期、刀を活用するのはおそらく武人ではなく、超常パワーを持つ神官或いはシャーマンだったはずです。七支刀を地、天、民に向けて、災を祓い福を発生させた霊力拡大放射ツールです。神剣、宝剣はすべて、この原理から作刀され、シャーマン神官によって、様々な霊力、神力を帯び宿したと思われます。ときには神の依代、霊的存在の宮として。
立花もまた同様で、同じ花を同じに活けても、身魂こめて活けられた花には空間をデザインするほどの気がこもります。すべては花を活けることによって発生する人間の精神のエネルギーを宿らせる術、技法、神化のための鍛錬だったと思われます。様々な技術、芸術は皆、この高められた量子エネルギーの流出を形態化するため、また自己の中のエネルギーを高め、流出させ宇宙と共鳴させる人間の本能的衝動に他なりません。そしてその行法が成功したときには、剣、刀には霊界神界との通路が開くために、丹精こめて神霊と協働した剣、刀を神域の本体として祀ったのです。池坊が僧侶によって開創されたのは、生け花が神仏への供え、賛嘆、呼びかけであり、また“ひもろぎ”、榊だったからです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?