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量子精神学の挑戦 エレクトロマグネティック・シャーマン 【体内聖地防衛戦】12. 参照:●『キリスト元型ユングが見たイエスの生涯』エドワード・エディンジャー著 ●『電子洗脳あなたの脳も攻撃されている』ニック・ベギーチ博士著 《一人一人の人間がキリストを受肉する》

✙『キリスト元型』✚                                 “何世紀にもわたって、一連のイメージが集合的な心(サイキ)から結晶化してきて、「元型的な諸力に対する守護符」としての役割を果たしてきた。キリスト教芸術とキリスト体験とが交差するこれらの交点は、キリストの生の必要不可欠で本質的な段階を表現しているが、それは客観的な心それ自体によって、すなわち万人の同意によって、選ばれたものである。……      

神の先在の、唯一の息子は、自分から神性を取り除いて自分を空(から)にし、人間として受肉するのだが、それは聖霊の働きによるものであって、聖霊が処女マリアを孕ませるのである。彼は卑しい環境に生まれ、神聖な出来事が引き続いて起こり、最初の重大な危機を生き延びる。成人に達すると、洗礼者ヨハネの洗礼を受け、彼の使命を知らせる聖霊の降下を目撃する。悪魔の誘惑を生き延びて、聖職者となり、慈悲深く愛情のある神を宣言し、「天の王国」の到来を告げる。疑念に苦しんだ後、定められた運命を受け入れて、なされるがままに、連行され、裁きを受け、鞭打たれ、嘲られ、十字架にかけられる。多くの目撃者によると、墓に入って三日後に彼は蘇る。四十日間、彼は弟子とともに語り歩き続け、その後昇天する。その十日後、五旬節に、聖霊the Holy  Ghostが、約束の聖霊(パラクレテ)が、降下する。

キリスト神話を構成する一連のイメージの最初と最後は、聖霊の降下という同一のイメージとなっている。……キリストの体としての教会は、集合的に見ると、キリストと同じ一連のイメージを生き抜くよう定められている。フーゴー・ラーナーによると、「キリストの体としての教会の地上での運命は、キリスト自身の地上での運命をモデルとしている。すなわち、教会は、その歴史的な経過の中で、死に向かって進んでいくのである。」……これが、ユングの言う「持続的な受肉」である。

このサイクルが一人の人間に起こったことを表していると捉えれば、それは自我が意識に近づく過程を描写していることになる。しかし、それが、人間に受肉した神に生じたことを表していると捉えれば、それは神の変容を描写していることになる。この二重のプロセスが、今や、各個人の意識的な経験の領域に入ってきた。ふたたび、聖霊が降下してきたが、今度は「多くの人間のキリスト化」をもたらすためである。個人にとってこれが意味することは、

「キリストの模倣」ではなく、その逆である。…「キリスト像」を自分自身の自己に同化するのである。……聖者の伝説に表されている現実を、なんら意図せずに体験することである。”

■画像はバチカン宮殿、王宮の間サラ・レジア。ナショナルジオグラフィックより。


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■画像はフルーツコウモリ、ナショナルジオグラフィックより。

≈『電子洗脳』≈                                         “テレビやパソコン画面のパルス画像で人間の精神を支配する                            たとえば、1989年、パルス変調信号の効果がアメリカ特許に認定された。人間の頭部にマイクロ波信号を照射すると、聴覚が刺激される。その結果、頭の中の声を作ることができるのだ。のちにヘンドリクス・G・ルースが取得した特許では、信号をパルス化して神経システムを操作し、適用する周波数によって、リラックスした状態、眠気、さらには性的刺激までも生み出せることを実証した。……

コンピュータ画面やテレビのブラウン管は、パルス化された画像を表すると、このような励起を起こす電磁場を生む。したがって近くにあるコンピュータ画面やテレビに映し出されたパルス画像によって、対象者の神経システムを操作することができるのだ。……

すでに遠隔操作や他の搬送波に乗せた送信法も考案されており、自然かつ正字な人間の精神や肉体の状態を微妙ながら支配することが可能になっている。…” 


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(✷‿✷)私たちはどこに連れて行かれようとしているのか?                                  ■画像上は、帰還兵、米軍・第4ストライカー旅団戦闘団。ナショナルジオグラフィックより。  画像下は、香港の満員電車の中。ナショナルジオグラフィックより。                                      


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☹️『電磁シャーマン』🥺                          仏教圏において、“悟り”とはもはや輪廻転生を受けず、いかなる煩悩にも影響されない、時空次元を超越した周波数の量子場を体現することである。つまりは人間の業(カルマ)や因縁(強制運命)、人類としての種・生命の趨勢を脱している、そのもの自体が生きている智慧を獲得体現しているということと表現できる。    そのような、神々や絶対神・創造神よりも原罪=報いとしての堕地獄の解消そのものをテーマとする仏教ですら、末法思想がある。                                                      ■正法の時代:釈尊が説いた教えが世に行われ、修行して悟る人がいる時代。      ■像法の時代:釈尊の教えが行われても、外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代。                                    ■末法時代:人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代。

これに対してキリスト教の場合、イエス・キリスト昇天後、ペテロやパウロによる教会が、イエスの血肉・霊肉を場所、事蹟、教え、聖蹟などに受肉させながら、人類や社会を守護し、キリスト教を高め進化させてきたことは紛れもない。しかし、キリスト教、ユダヤ教、その母体たる旧約・新約聖書に、原罪そのものを昇華消滅させるというコンセプト、概念そのものがなく、原罪=業・カルマ・人類人間社会の強制運命(宇宙的量子的フラクタル)を制御・昇華・消滅・再創造させる法も教えも、あり得なかった。結果、地上的エゴを克服できず、異教徒・異端・異文明の略奪虐殺を繰り返し、そのブーメラン効果により、イエス・キリストとは真逆の存在エネルギーに何百年も憑依され続けている。まさにそのような時代に、一人一人のキリスト化とは、どのようなことなのか、真剣に取り組まなければ、人間が道具に食いつぶされる。まずは、私たち一人一人がシャーマンに成ることからかもしれない。


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